気候政策が社会に受け入れられない理由は、技術的困難でも予算不足でもない。反対の声が大きいから、でもない。CSDI(民主制度研究センター)が2025年3月に発表したレポート『Municipal Matters: Building Capacity for Local Climate Conversations』は、その背景にあるもっと根深いもの、つまり語りのかたち=ナラティブに注目している。
このレポートが取り上げるのは、都市の気候政策に対して、「科学的に正しいことをしているはずなのに、なぜか激しく反発される」現象である。しかも、その反発はしばしば、事実誤認を含んだ誤情報や、陰謀論めいた想像によって増幅されていく。構想の段階であれ、条例として提出された後であれ、政策は「自由の侵害」「監視国家の兆候」といったレッテルを貼られ、実施不能に追い込まれることすらある。
なぜ、誤情報が都市政策を止めるのか
たとえば、カナダ・エドモントン市が導入を進めていた「15分都市」構想。徒歩や自転車で主要な施設にアクセスできる都市設計を目指したものだが、SNSでは「人の移動を制限し、居住区ごとに閉じ込める陰謀だ」とする情報が拡散された。結果として、市議会はわざわざ「この構想は憲法上の自由を侵害しない」と明記する修正条項を入れざるを得なくなった。
あるいは、バンクーバー市による新築建物への天然ガス禁止条例。これは脱炭素に向けた比較的穏当な政策だったが、「停電のときどうする」「暖房の自由が奪われる」といった誤情報が広まり、市民の間に不安が広がった。その背景には、ガス業界が資金提供する“市民団体”のロビー活動があった。条例は一時撤回されるが、市が対話と説明を重ねたことで、最終的には再導入されている。
ロンドンでのULEZ(低排出ゾーン)拡張もまた、誤情報と反発の応酬にさらされた。導入が予定されていた区域では、車の所有者に新たな費用が課されるという事実以上に、「労働者階級いじめ」「エリートによる操作」といったナラティブが流布された。ポスターが破られ、監視カメラが破壊され、制度そのものの正当性が問われるようになった。
誤情報は、「語り」のかたちで広がる
このレポートが示す最大のポイントは、個々の誤情報の正誤を追うことではなく、それがどのような「語り」として社会に広がるかに注目している点だ。
「ナラティブ」として整理された気候政策への反発は、しばしば以下のような要素を含む:
- 市民の生活を縛るものである
- 自由を奪い、選択をなくすものである
- 自分たちに説明なく一方的に進められている
- エリートや官僚、外部勢力が操作している
これらの構造は、事実誤認というより、制度に対する不信のかたちとして表出する。だからこそ、ただファクトを提示しても、反発は止まらない。問題は「何が正しいか」ではなく、「誰が、誰のために、どのように決めたのか」のレベルにある。
地方自治体は、語りの当事者になれるか
本レポートは、誤情報に対抗する手段として「5つの柱」を提示しているが、特に注目すべきなのは、「誰が語るのか」「どう語るのか」が政策の行方を左右するという認識である。単なる広報ではなく、信頼される“語り手”としての自治体の立場を再構築しようとする点に、このレポートの射程がある。
たとえば、地元の図書館員が市の取り組みを説明する、学校の授業に気候政策が含まれる、地域メディアが反論の場を提供する。こうした形で、「制度の言葉」が「身近な声」に変換されることが、誤情報と対抗するための最も強固な手段だとされている。
抽象化された対策ではなく、「制度の語り方」の実践として
『Municipal Matters』は、気候政策の対立を「賛成か反対か」の問題としてではなく、「語られ方の不均衡」によって生じる構造的な弱点として捉えている。そしてその分析は、誤情報対策が単なるコンテンツ規制やファクトチェックでは不十分であることを、具体的な事例を通して示している。
このレポートが描いているのは、地方政策の脆弱性ではなく、語る力の回復の物語でもある。誤情報に対抗するとは、制度をただ守ることではなく、その制度が誰にとって意味のあるものかを、もう一度問い直すことである。
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