『Time, Space and Information』は、情報を物質やエネルギーと同列の存在基盤として扱う異色の研究書である。著者は、時間・空間・情報の三つの概念を相互に還元できる統一的枠組みを提示し、物理現象を「情報の更新過程」として再記述する。
本書で特徴的なのは、“disinformation(偽情報)”という語が社会的現象としてではなく、情報構造の秩序が破れる現象として登場する点である。通信路におけるノイズや量子状態のデコヒーレンスと同様、情報が自己整合性を失うことが「偽情報」の本質であるとされる。
この発想は、フェイクニュースや情報操作の問題を超えて、「情報そのものがどのように真偽や秩序を生成するか」を問う哲学的かつ構造的な試みであり、現代のAI時代における“信頼性の物理”とも言える内容を含んでいる。
情報理論の基盤としての「偽情報」
本書の第一部「Information and Physical Reality」では、情報をエネルギーの一形態として位置づける立場が明確に示される。シャノンの通信理論と熱力学のエントロピーが並置され、情報の欠如が系の無秩序と等価であることが論じられる。ここで著者は、“disinformation”を次のように定義する。
「Disinformation is not a social lie but a physical degradation of informational order.(偽情報とは社会的な虚偽ではなく、情報秩序の物理的劣化である)」
この一文が本書の方向性を象徴している。つまり、偽情報とは「虚構」ではなく「ゆがみ」なのである。観測者が世界から情報を得る際、どの部分を失い、どのような形で再構成するかという不完全性そのものが“偽情報”を生み出す。真理は情報の完全性、偽情報はその欠損の側面として生じる構造的結果だという見方である。
この枠組みでは、情報の正確さは通信経路や意図の問題ではなく、物理的な情報伝達の整合性として定義される。たとえば量子情報理論では、観測によって波動関数が縮退し、もとの重ね合わせ情報が失われる。これもまた「disinformation」の一種と捉えられる。
偽情報とは、物理的世界が保持しうる情報量と、観測者が再構成できる情報量との差であり、両者のギャップが増大するほど時間の不可逆性――すなわち「時間の矢」が生じる。ここで“disinformation”は、社会的概念を越えた時間の非対称性の根源的要因として登場する。
時間・空間を情報構造として再構成する
第2部「Time and Space as Informational Constructs」では、時間と空間の定義そのものが情報理論的に再構成される。空間的距離は、二つの点がどれだけ情報的に独立しているか(相互情報量)によって測定できるとされ、時間の流れは情報が更新される速度として表現される。
このとき、“disinformation”は情報の更新過程におけるノイズの蓄積として現れる。著者は、時間の進行を「情報の損失を伴う再符号化の連鎖」と捉え、情報空間の局所的な歪みを「偽情報の重力」と呼んでいる。物理空間で距離が離れていても、情報相関が強ければ即時的に作用する――量子もつれの非局所性を、情報空間上の距離の短さとして説明する箇所は特に興味深い。
つまり、偽情報はこの文脈で「空間的分離をもたらす力」として登場する。完全に整合した情報空間では、すべての点が相互に透明であり、因果関係は対称的だ。ところが、観測者が持つ情報が部分的であれば、空間が立ち上がり、そこに因果の方向が生じる。物理的な距離や時間の進行とは、情報の欠損が生み出す擬似的な秩序である。
観測者の限界としての偽情報
第3部「Observation, Meaning and Consciousness」では、情報理論は意識の問題に接続される。著者は、「意味(meaning)は観測者の内部情報構造が外界情報と整合する度合い」と定義する。観測とは、外界の情報を内部モデルに写し取る行為だが、その過程で必ず情報の劣化が起こる。これが偽情報の源である。
観測者が自己の情報構造を通じて世界を理解する以上、常にゆがみが生じる。著者はここで次のように述べる。
“Every act of observation produces its own disinformation, which defines the observer’s arrow of time.”
(すべての観測は固有の偽情報を生み、それが観測者の時間の矢を定める。)
偽情報はここで倫理的・社会的概念ではなく、知覚そのものの条件として位置づけられている。観測がなければ偽情報も時間も存在しない。観測があるからこそ、情報の不完全性が時間の流れをつくる。この関係を逆転的に読めば、時間とは「偽情報の生成速度」とも言える。
社会的偽情報研究への示唆
このような抽象理論を現代の偽情報研究に接続することには明確な意味がある。現在のディスインフォメーション対策は、発信者の悪意や虚偽意図の分析に偏っている。しかし本書が示す視点では、偽情報とは構造的ノイズであり、情報空間全体の非整合性によって生じる現象である。
この観点を応用すれば、個別の投稿や発言の真偽判定ではなく、**情報ネットワークの秩序度(informational coherence)**そのものを測定対象とすることが可能になる。SNS上で同一情報が相反する文脈で流通する現象も、情報空間のエントロピー増大として解析できる。つまり、「どのノードがゆがみを生んでいるか」を構造的に検出する方法論につながる。
またAI生成コンテンツの時代においても、「情報の整合性」「自己参照の透明性」は中心的課題であり、生成モデルがどの程度disinformationを内部的に抑制できるかを物理情報的観点から評価する理論的基盤としても有効である。
情報秩序を守るという課題
『Time, Space and Information』が提示するのは、偽情報を取り締まる倫理論ではなく、情報秩序をいかに維持するかという物理的課題である。情報は閉じた系ではなく、観測によって常に更新され、ゆがみを生む。完全な真理や完全な整合は存在せず、秩序は常に部分的・局所的に維持される。
この視点は、現代の情報社会が抱える構造的不安定性を深く照らす。フェイクニュースや情報操作を「人間の悪意」として処理するだけではなく、情報構造の物理的限界として捉え直すとき、ようやく対策の根拠が見えてくる。偽情報とは社会のノイズではなく、情報宇宙そのものの「熱」であり、完全に消し去ることはできない。重要なのは、それを検知し、秩序のゆらぎを最小化する構造を設計することだ。

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