EU DisinfoLabによる各国レポートの中でも、ポーランド報告「The disinformation landscape in Poland」は特異である。著者Mateusz Zadroga(FakeNews.pl編集長)は、偽情報を「誤報」ではなく「社会運動の構造」として扱い、2015年以降の政治動員を一つの流れとして描く。反移民ナラティブがPiS政権の選挙勝利を支え、2020年の中絶法抗議、2021年のベラルーシ国境危機、2022年のパンデミックと続く中で、偽情報は世論の感情を媒介する政治的回路になった。中でもCOVID-19期の反ワクチン運動が、ロシアのウクライナ侵攻後に反ウクライナ言説へと転化した事実は象徴的である。NASKなど複数の機関の分析でも、同一のアカウント群が主題を差し替えながら活動しており、Zadrogaはこれを「ナラティブの再利用」と呼ぶ。敵意と不信、被害者意識を循環させる仕組みが、社会の恒常的構造として機能しているという指摘は重い。
反ワクチンから反ウクライナへ──ナラティブの転移構造
この転換は、外部工作の成果というより、ポーランド内部に存在する心理的・社会的構造が基盤となっている。反エリート感情とカトリック的道徳観を共有するオンライン・コミュニティは長く形成されており、そこでは「国家と信仰を守るための抵抗」が物語として機能してきた。パンデミック期にはそれが「科学エリートへの不信」と結びつき、侵攻後は「西側による支配への抵抗」として再生された。Zadrogaはこの過程を、恐怖の提示→被害者意識の形成→外敵の設定→物語の置換、という循環構造として示す。恐怖を媒介にした被害者フレームが社会に定着すると、主題が変わっても同じ敵意が再生産される。反ワクチンから反ウクライナへの転移は、その構造の可視化にほかならない。
医療・教育・中絶──具体的事件に見る社会動員の仕組み
報告書で詳細に描かれる事例は、偽情報がどのように社会的行動へと変化するかを示している。2024年、政府が9〜14歳児へのHPVワクチン接種を発表すると、旧反ワクチン勢力が即座に再動員された。「不妊」「早発閉経」「強制接種」といった虚偽が拡散し、極右政党Konfederacjaの議員らが国会で医療当局を攻撃した。FakeNews.plはこれを「情報カオスの戦略的生成」と位置づける。彼らは疑似科学的“ホワイトペーパー”を行政機関に送りつけ、自治体が誤って掲載することで虚偽を「公的情報」に変換した。短期的な影響よりも、行政そのものへの信頼を削ぐ長期的効果のほうが深刻だった。
同様の構造は2024年の健康教育科目をめぐる論争にも見られる。教育省が包括的健康教育を導入しようとした途端、「自慰教育」「性の逸脱促進」といった偽情報が拡散し、カトリック教会と極右議員が連携して反対運動を展開した。結果、科目は必修から選択制へと後退した。宗教的権威と政治勢力が共振し、情報空間の中で制度を実際に変えてしまったこの事例は、偽情報が政策決定に直接影響を及ぼしうることを示している。
さらに2025年のオレシニツァ中絶事件では、医師への暴行とともにAI生成の偽動画と文書が拡散し、「国家が殺人者に報奨金を出した」とする虚偽が数時間で数十万回再生された。NASKはこれを受け、ディープフェイク検証モデル“INFOverify”を導入したが、Zadrogaは「AIが政治的情動を増幅した初の国内事例」として、情報戦の質的転換を指摘している。
ナラティブの連鎖──反移民・反EU・反LGBTをつなぐ構造
ポーランドでは、反移民、反ウクライナ、反EU、反ワクチン、反LGBTといったテーマがそれぞれ独立して存在するわけではない。Zadrogaは、これらが「ポーランドを守る」という単一の防衛物語に統合されていると論じる。2015年の反移民キャンペーンではテロと治安、2021年の国境危機では主権防衛、2022年以降の反ウクライナ言説では経済不安と支援疲れが動員され、EUグリーンディール批判では「ドイツによる支配」が被害者物語として再生産された。テーマは変わっても中心にあるのは「国家が脅かされている」という自己物語であり、宗教や家族の価値を通じて感情的同一性を形成する。Zadrogaはこの統合を「文明防衛ナラティブ」と呼び、社会的エネルギーを再循環させる情報構造として描いている。
国家不在のなかの対抗──ファクトチェックの社会的役割
ポーランドの偽情報対策は、制度よりも市民社会のネットワークに依存している。主要なファクトチェック機関であるDemagog、FakeNews.pl、AFP Sprawdzam、Pravda AssociationはいずれもIFCN加盟団体であり、政治、社会運動、医療などを分業的に検証することで「情報信頼の再分配」を担っている。国家レベルではNASKと通信社PAPのFakeHunterが技術的監視を行うが、恒常的な政府部署は存在せず、政策は断片的だ。2024年に外務省が「国際的偽情報へのレジリエンス協議会」を設置し、デジタル庁が2035年戦略で教育と協調を掲げたが、法的拘束力のある包括制度は整っていない。Zadrogaは、市民組織が国家機能の空白を埋める「社会的セーフティネット」として機能している現状を指摘する。
今後への含意──制度化すべき「情報レジリエンス」
報告書が示す最大の教訓は、偽情報がもはや情報の誤りではなく、社会の自己組織化現象だという点である。反ワクチンから反ウクライナへの転移は、物語が内容ではなく構造として持続することを明らかにした。したがって、対抗策は個別の検証や削除ではなく、社会的免疫を制度として設計する方向に向かわねばならない。EUのDigital Services Act(DSA)は表現規制の法ではなく、「情報レジリエンス」を社会的基盤として整備するための枠組みとして捉えるべきである。ポーランドの事例は、偽情報を公共衛生や教育と同様の「社会的衛生」の問題として扱う必要性を示している。
結語──偽情報は社会の鏡である
ポーランドでは、偽情報が国家的情動を組織する装置となっている。宗教、性、医療、安全保障といった異なる領域が「国家防衛」という共通の枠組みで結ばれ、敵意と被害者意識を循環させる。その過程で偽情報は外部からの干渉ではなく、社会が自己を語るための言葉に変わる。Zadrogaの報告は、偽情報を「社会の鏡」として読み解くべきことを示しており、これはポーランドに限らず、現代ヨーロッパの政治文化が直面する構造的問題でもある。


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