「責任あるふり」が隠すもの──英国アルコール業界の情報操作戦略を分析する

「責任あるふり」が隠すもの──英国アルコール業界の情報操作戦略を分析する 偽情報の拡散

 2025年6月、英国で発表されたレポート『Spin the bottle: How the UK alcohol industry twists the facts on harm and responsibility』は、アルコール業界の広報活動と公共政策への影響力行使を精緻に分析したものである。本レポートはエディンバラ大学のEmma Thompsonによって執筆され、Institute of Alcohol Studies(IAS)およびScottish Health Action on Alcohol Problems(SHAAP)という公衆衛生団体によって発行された。いずれの団体もタバコ政策を念頭に置いた産業監視の視点を強く持っており、商業的決定因(Commercial Determinants of Health)という国際的な概念に則って、アルコール産業の言説操作と政策干渉の構造を暴いている。

 以下では、レポートが指摘する9つの主要な主張と、それに対する反証・分析を整理して紹介する。

1|経済に貢献しているという主張:数字の裏にある損失の構造

 アルコール業界は、雇用創出や税収を理由に、公共政策の対象として「保護」されるべき存在として自身を描いている。しかし、NHSや刑事司法への負担、生産性損失など、アルコールがもたらす社会的コストは英国だけで年270億ポンドに上る。税収(約110億ポンド)をはるかに上回っており、「貢献」どころか「損失源」としての性格が濃い。


2|過剰課税されており業界が危機だという主張:危機演出のレトリック

 税制改正(2023年8月)の際、業界団体は「過去50年で最大の増税」と批判し、収益減少を主張したが、実際の税収は前年度とほぼ同水準。Diageoはむしろ過去最高益(60億ドル)を計上した。業界が一貫して用いる「雇用喪失」や「地方経済への打撃」といった語りは、公共政策を封じるための政治的言語にすぎない。


3|アルコール被害は減少傾向にあるという主張:選択的な指標使用と矮小化

 2024年現在、英国のアルコール関連死は過去最高レベルに達している。にもかかわらず、業界は若者の飲酒減少や飲酒運転の減少といった「都合の良い」指標を強調する。全体的な被害傾向を語らず、部分的な改善をもって「問題は小さい」と見せかけるこの手法は、タバコ産業にも見られた典型的な戦術である。


4|責任ある飲酒と低・無アルコール製品で被害は減るという主張:消費継続を前提とした“解決策”

 業界は「節度ある飲酒」キャンペーンや無アル製品を、あたかも被害対策であるかのように扱う。しかし、節度的飲酒を勧めるプログラムには効果がなく、むしろリスク情報の隠蔽や正常化をもたらすとの批判がある。無アル製品も消費抑制ではなく「市場拡大」の手段として設計されており、実際に業界内部資料では「フルアル製品の売上を奪わない」ことが高く評価されている。


5|アルコールは地域社会を支えているという主張:共同体イメージの政治利用

 「パブは孤独を癒す場」「社会の絆を育む」といった言説は、BBPAなどの業界団体が繰り返し使うレトリックだ。しかし、アルコールによる暴力、地域医療の圧迫、治安悪化、家族崩壊といった「社会的被害」には一切言及されない。さらに、実際の中小パブ運営者は業界団体の主張に懐疑的であり、業界は「地域の声」すら代表していないという批判もある。


6|アルコール業界は多様性と包摂に貢献しているという主張:アライシップのビジネス化

 DiageoなどはLGBTQ+や女性に向けた広告、イベント支援、雇用施策などを「包摂的企業活動」としてアピールしている。しかし、これらのグループはアルコールによる健康リスク・社会的被害をより大きく被っており、マーケティングによるターゲティングとの矛盾が浮き彫りになる。「社会貢献」という外見の下で、実態は新市場の開拓であり、WHOはこれを商業的搾取と見なしている。


7|環境保護に取り組む産業だという主張:グリーンウォッシングの構造

 紙ボトルや水源支援プロジェクトなど、業界は環境対応を盛んに喧伝するが、同時にEPR(包装廃棄物の責任制度)などの環境規制には反対。ペットボトル回収や泥炭地保全の規制にもロビー活動で抵抗している。象徴的な「持続可能な酒づくり」は限定的な試験導入に留まり、実態はブランドPRの一環に過ぎない。


8|業界資金の団体は独立しているという主張:利益相反と情報の私物化

 Drinkawareは「独立した慈善団体」とされるが、資金の大部分は業界由来。2024年の活動では、HeinekenやStaropramenと組んだ販促的キャンペーンが展開され、「啓発」と「宣伝」が曖昧化されている。提供される健康情報には誤解を招く表現も多く、政策介入を装った情報操作が懸念されている。


9|業界はアルコール被害の解決に貢献しているという主張:教育を通じた影響力拡大

 Smashedなどの学校向けプログラムは「飲酒の害を伝える」とされるが、実際には飲酒の正常化・容認を促す内容で構成されている。WHOはこれを「企業広告による教育の私物化」とし、特に子どもや若者を対象とした活動は明確に制限すべきだと勧告している。にもかかわらず、英国ではこうしたプログラムが教育現場に受け入れられつつある。


まとめ|「責任ある産業」という物語の終わりへ

 『Spin the bottle』が描くのは、アルコール業界がいかにして「責任あるふり」を通じて、構造的な誤情報を社会に流通させているかという実態である。それは単なる事実の歪曲ではなく、経済、健康、環境、教育といった領域にまたがるナラティブの設計であり、制度的規制を回避するための戦略的情報操作にほかならない。

 こうした語りが社会の中で「もっともらしく」受容される過程こそが、誤情報の構造的側面であり、対策を考える上での核心である。業界の発信をそのまま「情報」として扱うことの危険性を、このレポートは具体的かつ体系的に示している。

コメント

タイトルとURLをコピーしました