報告書を作成したのは、パレスチナのデジタル権利団体7amleh(ハムレー:The Arab Center for the Advancement of Social Media)。2013年設立、ハイファとラマッラーを拠点に、SNS上での検閲、削除、アルゴリズムによる差別的抑圧の実態を記録してきた。Meta、X、TikTokなどグローバル・プラットフォームとの対話実績を持ち、国連人権高等弁務官事務所や欧州人権団体と共同声明を発するなど、パレスチナ人のデジタル空間における「発話の権利」を専門的に扱う数少ない組織である。
その7amlehが2025年10月に発表した報告書「Disinformation and its Impact on Palestinian Youth during the War on Gaza」は、2023年10月7日以降のガザ侵攻を、軍事作戦と情報作戦が一体化した現象として描く。焦点は、偽情報がパレスチナの若者の安全、心理、社会的認識にどのような形で浸透したかにある。報告書全体は、情報戦の理論的枠組、使用された技術的手法、主要な発信主体、典型的な偽情報パターン、若年層への多層的影響、そして制度的な規範の欠落という構成をとる。
情報が戦場となった構造
報告書は、現代紛争における「情報戦(Information Warfare)」を二層に区分する。第一層は軍事的意思決定を支える情報活動、第二層は情報そのものを兵器として認識や感情を支配する操作活動である。後者が今回のガザで主戦場となった。
7amlehによれば、10月7日からの初動72時間で、英語・ヘブライ語・アラビア語圏を横断して、数百万件規模の偽情報投稿が検出された。分析対象のうち約20%が自動化されたボットアカウントであり、投稿頻度は1時間あたり最大700件に達した。これは、自然発生的な抗議や支援の動きとは明らかに異なる統制的パターンを示していたという。
同時に、イスラエル当局による通信遮断が段階的に拡大し、被害現場からの直接発信が不可能になると、報道の素材は軍や政府の発表映像、または不明出所のSNS投稿に依存せざるを得なくなった。報告書はこれを「物理的優勢と情報優勢の同期化」と呼び、戦場の制圧と同時に認識空間の制圧が進行したと分析する。
生成AIと「偽の目撃者」
報告書が特に注目するのは、生成AIが導入した「即時かつ検証不能な証言装置」としての機能である。10月中旬には、AI生成の空撮画像や映像が「爆撃の瞬間」として何百万回も拡散され、CNNやBBCを含む主要メディアも一部を事実として報じた例があった。後に解析された結果、それらの映像の多くは、異なる地形パターンの自動生成モデルから合成されていた。
また、慈善団体のアカウントから投稿された“救出”動画の中には、実際には存在しない人物を描いたAI生成物も確認されている。7amlehは、こうした映像の目的が「視覚的な説得」ではなく、「共感の誘導」である点に注目する。真偽よりも感情反応が優先され、AIは「事実を代替する物語装置」と化した。報告書は「AIはもはや虚偽の証拠を作るのではなく、感情の交通を設計する手段となった」と結論づける。
アルゴリズムによる沈黙と可視性の偏り
7amlehの調査では、MetaやXにおける「#GazaUnderAttack」「#CeasefireNow」など主要ハッシュタグの露出量が、同期間中にイスラエル関連ハッシュタグの1/3以下に抑制されていた。さらに、アカウント停止や投稿削除の多くが自動検出システムによるもので、基準が非公開であったことから、パレスチナ側の声が体系的に減衰していたことが判明した。
UNRWAを標的にした広告キャンペーンでは、誤情報を含む映像広告が欧州地域に数百万インプレッションで配信されており、その一部は暴力的描写や虚偽の“人質映像”を含んでいた。これらはEUのDSA(Digital Services Act)において危機時の特別対応を要する案件であったが、実際には放置された。報告書はこれを「アルゴリズム検閲」と呼び、技術設計が語りの非対称を再生産していると批判する。
情動の兵器化と脱人間化の構造
報告書は、偽情報を六つの型に分類する。安全地帯や避難情報を偽る「情報抑圧」、AI生成映像による「完全捏造」、白燐弾使用を否定する「事実否認」、被害映像を“演出”と断じる「疑義喚起」、旧映像を再利用する「文脈攪乱」、そして民間人を“テロリスト”や“ISIS”になぞらえる「脱人間化」である。これらはそれぞれ異なる情動操作を意図して設計されており、恐怖と怒りが戦争の正当化装置として利用される。
たとえば、イスラエル政府公式アカウントが投稿した「ハマスの拷問映像」とされる動画は、後に別の国の映画作品からの引用であることが確認されたが、主要メディアの訂正はほとんど拡散されなかった。7amlehは「偽情報の目的は誤認ではなく、疑念の常態化」であり、事実の不在そのものが支配構造を形成すると指摘する。
若年層の現実認識が崩壊する
偽情報の影響は抽象的な“認識の歪み”にとどまらない。7amlehは、パレスチナの若年層が受けた具体的被害を四層に整理する。第一に身体的安全。SNS上で拡散された「安全地帯」情報に従って移動した住民が空爆に巻き込まれた例が報告され、ドローンから「泣き声を再生する音声」を流す心理戦術も確認された。第二に政策的影響。虚偽報道や誇張された証言が欧米の政治判断を歪め、UNRWAへの資金供与停止など現実の政策結果を生んだ。第三に心理的影響。若者の間では恐怖と無力感、陰謀論傾斜が拡大し、社会的信頼が崩壊している。第四に経済的影響。偽の支援キャンペーンや寄付詐欺が氾濫し、危機便乗型搾取が発生している。報告書は、これらを総じて「情報が人々の生存条件そのものを変質させている」と結論づける。
規範の空白——戦時欺罔の合法性とその越境
国際法上、意図的な虚偽情報の拡散は必ずしも違法ではない。戦時欺罔(ruse of war)は、敵軍を欺く戦術として古くから容認されてきた。しかし、デジタル時代の偽情報は、もはや敵軍に限定されず、民間人の行動や感情に直接影響を及ぼす。7amlehは、現行の国際人道法や人権法がこの領域に対応していない現実を指摘する。国連決議76/227は偽情報の人権影響を懸念として明記し、DSAはプラットフォームに緊急対応を義務づけるが、実効性は乏しい。報告書は「技術の進化が法の想定速度を上回り、無法のグレーゾーンが拡大している」と警告する。
声を守るという新しい人権
7amlehは、偽情報対策を「発信の自由」ではなく「発信が届く権利」として再定義する。単に表現の自由を保障しても、通信遮断やアルゴリズム抑圧のもとでは声は届かない。報告書は、テック企業に対しアルゴリズム透明性、AI生成物の識別、異議申立て手続の公正化を求め、国家には体系的偽情報の犯罪化と検証義務の法制化を勧告する。さらに、教育面ではメディア・リテラシーの向上と地域検証ネットワークの整備が不可欠だと強調する。ここで7amlehが提示する「声を守る権利」は、通信の自由でも報道の自由でもなく、知識が届く構造を公平に保つことを意味する。情報の非対称性そのものを是正しない限り、いかなる人権も実体を持たないという立場である。
結論——「情報の非対称」が人権の新しい断層になる
7amlehの報告書は、偽情報を単なる虚偽や誤報としてではなく、情報流通の非対称構造として捉える点に核心がある。通信遮断、AI生成、アルゴリズム制御、広告経済の誘導という複数の層が重なり、どの語りが世界に届くかを決めている。戦争が終わってもこの構造は残り続け、記録される歴史と記録されない現実の差が固定化する。偽情報の時代における人権とは、暴力から逃れる権利ではなく、語り、共有され、理解される権利のことである。ガザの若者が直面しているのは、爆撃だけではなく、真実にアクセスする権利の崩壊であり、その修復には技術・教育・法制度のすべてを横断する介入が必要だと報告書は結んでいる。

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