コートジボワール選挙に見る偽情報の分業構造

コートジボワール選挙に見る偽情報の分業構造 民主主義

 ナイジェリアの報道・メディア研究機関CJID(Centre for Journalism Innovation and Development)が2025年9月に公表した報告書「Mapping Disinformation Thematic Risks Narratives Ahead of the 2025 Côte d’Ivoire Elections: A Social Media LandscapeAnalysis」は、2025年10月に予定されるコートジボワール大統領選挙を前に、SNS空間で形成された偽情報のネットワークを体系的に可視化したものである。2025年1月から8月までの8か月間、Facebook、TikTok、X(旧Twitter)の三つのプラットフォームを対象に、仏語・ヌシー語の投稿を収集し、特に拡散力の高かった256件を抽出した。投稿本文、添付画像や動画、反応数、リツイートやシェア数を変数として、テーマ・感情トーン・拡散経路をコード化。自動ツールを使わず手作業で行い、Facebookは100件以上の反応、TikTokは1万回以上の再生、Xは50リツイート以上を基準とした。分析の焦点は「どのテーマがどこで生まれ、どの経路を通じて定着したか」にあり、発信源や真偽の特定ではなく、情報の構造的な動きを明らかにすることが目的とされた。

六つの主要テーマ

 CJIDは256件の投稿を六つの主要テーマに分類している。第一はアラサン・ウワタラ大統領の第4期出馬をめぐる合法性問題。2016年憲法で任期は2期までとされているが、2020年に改憲後、三選を果たしたウワタラが再び出馬を表明したことで、「第4期は違憲」「民主主義の崩壊」といった投稿が急増した。第二はクーデターの噂。2025年5月、Xで「ウワタラ死亡」「軍が蜂起」「首都アビジャン封鎖」などの虚偽情報が拡散した。TikTokでは軍用車両や爆発音の映像が数十万回再生されたが、その多くは隣国ブルキナファソやマリの過去映像を編集したもので、AI生成映像も混在していた。CJIDはこれを「Sahel spillover(サヘル波及)」と呼び、周辺国の不安定な情勢を模倣することで恐怖と同時に共感を生み出す仕組みと指摘する。第三は「France dégage(フランス出て行け)」に代表される反仏・反西洋ナラティブ。旧宗主国フランスへの反感がロシア支持や汎アフリカ主義と結びつき、政治的立場を超えて広がった。第四はブルキナファソのイブラヒム・トラオレ大統領を英雄視する汎アフリカ主義。TikTok上では「アフリカを解放する若きリーダー」としてトラオレを賛美する動画が大量に投稿された。第五は候補者を「西側の操り人形」とするフレーミング。第六は野党排除と不正選挙疑惑。主要野党候補ティジャン・ティアムの失格が発表されると、「体制による民主主義の破壊」とする投稿が連鎖的に拡散した。

時系列で見る拡散パターン

 1月から6月までは「第4期出馬」問題が中心的議題として継続したが、7月にウワタラが正式出馬を表明すると状況は激変した。Xで法的正当性をめぐる論争が爆発的に拡散し、TikTokでは街頭デモや抗議映像を素材とした短尺動画が増え、Facebookではそれらが録画やスクリーンショットの形で共有され、“市民の怒り”として定着した。5月のクーデター噂は短期的には最も速い拡散速度を示したが、継続性がなく数日で沈静化。一方、7月以降の第4期出馬問題と8月の野党排除論争は持続的に注目を集め、長期的な世論形成につながった。CJIDはこれを「瞬発型ナラティブ」と「定着型ナラティブ」に分け、拡散の速度と持続性を比較している。瞬発型は即時的な恐怖と混乱を生み出すが短命であり、定着型は継続的に社会的分断を深める。

プラットフォームごとの分業構造

 CJIDが最も強調するのは、SNSが異なる役割を担う分業的構造である。Xは政治家やジャーナリストが議題を設定する「発火点」であり、TikTokは映像と音楽によって感情を可視化し増幅させる「感情化装置」、Facebookは転載やスクリーン録画によって「社会的現実」を作る「拡散の終着点」として機能する。これら三つの層が連動することで、ひとつの主張が形式を変えながら拡散する。Xで投下された主張がTikTokで感情的ミームへと変化し、Facebookで再投稿を通じて大衆化する。この過程で出所や文脈は失われ、主張は「誰が言ったか」ではなく「みんなが感じていること」として受け入れられる。報告書はこの状態を「感情的証明(emotional proof)」と呼び、真偽よりも共感が真実らしさを保証する段階に社会が移行していると述べている。

AI生成映像と「英雄の物語」

 TikTokで観測されたAI生成コンテンツの事例は象徴的だ。ブルキナファソのトラオレ大統領を称えるAI合成映像では、米歌手R.ケリーがトラオレを賛美する歌を歌うという架空の映像が拡散した。存在しない映像にもかかわらず、視聴者はそれを“西洋に屈しないアフリカの英雄”の証として受け止め、コメント欄には「コートジボワールにもトラオレを」といった投稿が並んだ。報告書は、AIが事実を置き換えるだけでなく、感情を補強する「神話化装置」として機能していると分析する。また、AI合成技術の普及によって、映像がもはや検証不可能な領域に入りつつあることも指摘している。こうした映像が広がるとき、受け手はそれが虚構かどうかよりも、そこに込められた感情を共有することに重きを置くようになる。

拡散ネットワークと否認可能性

 CJIDは拡散の担い手を三層に分けている。Xでは政治家や記者が最初の火をつけ、TikTokではインフルエンサーがそれを再演して感情的な共鳴を作り、Facebookでは匿名の政治系ページが組織的に拡散を担う。この三者は明示的な指令系統を持たないが、結果的に補完的に機能する。政治家は炎上によって注目を集め、インフルエンサーはフォロワーを増やし、匿名ページは広告収益を得る。全員が異なる動機で行動しているが、最終的には同じ方向に情報を増幅させる。CJIDはこの仕組みを「ハイブリッド拡散ネットワーク」と呼び、責任の分散と否認可能性が同時に成立する構造であるとする。情報空間は指揮者のいないオーケストラのように機能し、誰も操作していないのに協調している。

Facebookの再投稿経済

 Facebookでは、政治キャンペーンを支える匿名ページ群が特定の動画を同時期に再掲していた。「Tidjane Thiam Forever」などのページでは、TikTokで作られた動画が画面録画され、ニュースサイト風の体裁で配信される。本文は存在せず、短いスローガンと映像だけ。管理者情報は非公開で、国外からのアクセスも確認されている。報告書はこれを「再投稿経済」と呼び、ニュース形式を模倣することで信頼感を演出しながら、政治的主張の出所を隠蔽する仕組みと分析している。この構造が、情報の責任主体を消し、政治家や政党が直接発信せずとも影響を及ぼせる環境を作っている。

感情の飽和と公共空間の麻痺

 報告書によると、分析期間を通じ最も高いエンゲージメントを記録したのは「第4期出馬」と「クーデター噂」であり、全体の過半を占めた。前者が怒り、後者が恐怖を喚起し、公共空間はこの二つの感情で飽和した。CJIDはこの状態を「ナラティブの飽和(narrative saturation)」と呼び、社会が怒りと不安に支配されることで政策論や討議が成立しなくなる過程を示している。怒りと恐怖が交互に供給され続けることで、人々は常に危機の中にいる感覚を維持し、体制批判も権威支持もともに感情的反応に変わる。報告書は、偽情報が社会に与える最も深刻な影響は「議論の不在」そのものであると結論づけている。

政府の対応と課題

 コートジボワール政府は2025年初頭から「Stop aux sorciers numériques(デジタル魔術師を止めろ)」キャンペーンを展開し、偽情報拡散者の取り締まりを進めている。だがCJIDは、この政策が「誰が発信したか」に偏り、「どのように広がったか」を軽視していると指摘する。発信源の摘発では構造そのものを変えられず、SNS上の分業構造が温存されたままになる。また、政府自身が過去に政治的目的で情報統制を行ってきたため、キャンペーンが検閲とみなされて逆効果を生む危険性もある。

構造としての偽情報

 報告書の最終章は、偽情報を「構造的現象」として理解する必要を強調する。Xが議題を作り、TikTokが感情を作り、Facebookが現実を作る。この三層構造を断ち切るには、単なるファクトチェックでは不十分で、プラットフォームごとの特性に応じた多層的な介入が求められる。CJIDは、XとFacebookでは早期警告と検証を、TikTokでは視覚的に理解できる市民教育コンテンツの制作を提案している。さらに、候補者発表や投票日といった「予測可能な発火点」に合わせた事前警戒とリアルタイム対応を推奨している。偽情報が構造として再生産されるならば、対抗策もまた構造として設計されねばならない。

まとめ

 CJIDの報告書は、コートジボワールという一国の事例を超え、SNSがどのように政治を再構成するかを実証的に示した。AI生成映像、匿名ページ、感情的共有、アルゴリズムの推奨――これらが一体となって形成する偽情報の分業構造は、もはや個人の意図や虚偽を超えた社会的メカニズムである。報告書は、民主主義の危機が投票日ではなく情報流通の設計に潜んでいることを明確に示した。偽情報は国家を覆す単なる「誤り」ではなく、情報空間の新しい秩序そのものになっている。

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