偽情報が都市を揺らす――『Disinformation in the City: Brief #1』を読む

都市における偽情報の拡散は、抗議、分断、制度不信といった形で可視化される。『Disinformation in the City: Brief #1』を通じて、「15分都市」陰謀論やキャンベラ占拠事件などの実例から、その構造と深刻さを検証する。 偽情報の拡散

 都市は偽情報の温床ではない。むしろ、それが最も鋭く可視化される場である。

 選挙干渉や国家安全保障といった視点から偽情報を語る議論は多いが、日常生活の中でその影響が現れるのはどこか。それは、議会が開かれ、市民が集い、住民が顔を合わせる都市空間にほかならない。2025年6月に発表された『Disinformation in the City: Brief #1』は、この現実を的確に捉えたレポートであり、都市研究と偽情報研究を架橋する試みとして注目に値する。

 このブリーフは、メルボルン大学の都市研究センターと米国のGerman Marshall Fundが共同で進める「Disinformation in the City」プロジェクトの一環として作成されたものだ。シリーズの第1回として、偽情報の定義と構造、そして都市における具体的な影響を扱っている。

偽情報・誤情報・悪意ある真実

 このレポートがまず丁寧に整理するのは、情報操作に関する用語だ。disinformation(偽情報)は、単に誤った情報ではない。それは、「意図を持って虚偽を作成・流布する行為」を指す。これに対して、意図なく誤りが拡散するmisinformation(誤情報)、事実を悪用するmal-information(悪意ある真実)といった区別がなされる。

 例えば、SNS上での「ワクチンでDNAが書き換えられる」といった投稿は、発信者がそれを真実と信じているならば誤情報だが、クリック収入を目当てに意図的に広めるなら偽情報に該当する。さらに「政府が副反応を隠蔽している」という実在の文書を意図的に誤読・誤用すれば、それはmal-informationとなる。

 都市ではこれらが組み合わさり、情報の混乱(information disorder)として可視化される。

なぜ都市が狙われるのか

 国家レベルの選挙戦や国際外交に比べて、都市政治は地味に見えるかもしれない。しかし、公共空間のデザインから気候政策、LGBTQイベントの開催に至るまで、地方自治体は直接的な政策決定と実施の現場である。偽情報の標的として最適なのだ。

 COVID-19パンデミックのさなか、オーストラリアでは首都キャンベラに何千人もの抗議者が押し寄せた。彼らはワクチン義務化に反対し、国会議事堂を包囲する「Occupy Canberra」と称する運動を展開した。その背景にあったのは、「政府は違法な株式会社に乗っ取られている」とするソブリン・シチズン運動の偽情報だった。SNSグループには20万人を超える参加者がいたという。

 抗議者の一部はカナダのトラック運動に着想を得ていたが、集団の構成は雑多だった。反ワクチン、Qアノン、極右、反グローバリズム。レポートが言うように「hodge-podge of grievances(雑多な不満の寄せ集め)」が、都市空間に物理的な圧力として現れたのだ。

「15分都市」がなぜ恐れられるのか

 象徴的なのが、「15分都市」構想をめぐる事例である。これは、徒歩や自転車で15分以内に日常生活のほとんどを完結できるよう都市を設計しようという、極めて合理的な気候・生活政策だ。しかし一部の論者は、これを「国連による監視社会の導入計画」と断じた。

 実際、オーストラリアのヤラ・レンジズ議会では、15分都市と5G通信を結びつけた陰謀論者ら100人超が議場を占拠する事件が起きている。公聴会の公開ギャラリーは閉鎖され、議会運営が一時停止した。

 ここで用いられる語り口は典型的だ。「自由が奪われる」「市民が追い出される」「土地の私有が禁止される」──都市政策に過激な物語が付与されることで、無関心だった人びとも怒りや恐怖に動員される。

フェイクはどこから来るのか

 このブリーフは、偽情報の発信者を「市民」「メディア関係者」「国家アクター」の三類型に分けて分析している。

  • 市民グループ:宗教的・政治的信条から自発的に偽情報を作り出す。スペインのアルメンドラレホでは、地元の少年たちが女子生徒の顔写真をAIで加工し、裸画像を捏造して拡散した。これは偽情報というより「名誉毀損としてのAI利用」の先例として重い。
  • メディア関係者:新聞やSNSインフルエンサーが収益や政治的目的のために誤情報を流布。タスマニア州ローンセストンでは、架空のトランス女性による事件をでっちあげた投稿が地域紙に掲載され、拡散の果てに自治体が否定声明を出す事態に発展した。
  • 国家アクター:国際選挙介入や対外宣伝活動はもちろん、国内世論の操作にも関与する。米国議会襲撃や、ロシアのウクライナ侵攻前に国境都市で流布された偽情報は、その典型である。

 都市レベルの施策も、こうした上位構造の延長線上に置かれ、時に直接的な標的となる。

認知のショートカットとしての偽情報

 認知心理学的にも、偽情報は受け手の脳に入りやすい構造をしている。繰り返し提示されることで真実らしく感じられ、感情を喚起する語りは判断力を鈍らせる。とくに、排外主義や家族防衛といった感情は強力な動員軸となる。

 その典型例が、フランス・パリで警官に射殺されたナヘル・メルズク事件だ。被害者の少年に似た別人(スペインのラッパー)の画像が「犯人」として拡散され、過去の映像が文脈を外れて使われた。犯罪歴のない彼が「危険な移民」として描かれ、暴動と報復感情が都市を覆った。

 偽情報はここでも、都市空間の分断を深める触媒となっている。

まとめ

 このブリーフは、都市が単なる情報の受け手ではなく、偽情報の出力が可視化される社会的インフラであるという視点を提示している。第2回・第3回のレポートでは対処策や制度面の議論が期待されるが、本稿で示された実例だけでも、都市がこの問題の中核にあることは明らかだ。

 偽情報とは、言葉で紡がれる暴力である。そしてそれは、議会の扉を叩き、商店のシャッターを閉じさせ、公共空間を沈黙させる力を持つ。

 都市はその影響を受け流すのではなく、受け止め、向き合い、時には拒絶しなければならない。

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