2025年3月、アサド政権の崩壊後の混乱が続くシリアで、ラタキアおよびタルトゥース地方の6つの病院が攻撃を受けた。攻撃はプロアサド勢力によるものとされ、現地の医療施設と患者に深刻な被害をもたらした。Insecurity Insightによるレポート「Outrage and Misinformation on Social Media Following Hospital Attacks in Syria」(2025年4月1日)は、この事件をめぐってSNS上に噴出した感情的反応と、その背後にある情報環境を分析している。
怒り、陰謀論、宗派対立――SNSにあふれる5つのナラティブ
レポートは、XとFacebook上に投稿された222件の投稿・コメントを分析し、以下の5つの傾向を抽出している。
- 怒りと非難:攻撃を「意図的な犯罪」とする声が多数を占め、敵意の対象は特定勢力に集中した。
- 安全への懸念:市民や医療従事者の安否を気遣う声がある一方で、国際人道法(IHL)や医療倫理への言及はほとんど見られなかった。
- 公的説明への不信:報道や情報源の信頼性を疑うコメントが目立ち、陰謀論的な言説も含まれていた。
- 宗派・民族的分断:特にアラウィ派に対する敵意を含む投稿が多く、攻撃を宗教・民族の対立として語る傾向が強かった。
- 報復の呼びかけ:暴力による報復を求める声が一部で見られ、暴力の正当化やエスカレーションの危険をはらんでいる。
こうしたナラティブはいずれも感情的なものであり、誤情報・偽情報と結びつきやすい構造を持っている。
人道支援にとっての「無関心な言説空間」
注目すべきは、こうした過剰な言説のなかで、国際人道法や中立的な医療支援の原則がほとんど共有されていないという点だ。レポートは、「IHLが抽象的すぎるのか、理解されていないのか、それとも無力感ゆえか」と指摘しているが、いずれにしても人道空間を支える規範がSNS上の議論に登場しないという事実は重い。
SNSが国際的な世論形成や政策決定に影響を与える時代において、こうした「規範の不在」は、支援現場の正当性を支える根拠の喪失にもつながりうる。
分析の限界と偽情報対策への示唆
レポートは同時に、SNS感情分析の限界にも注意を促している。VPNの使用や匿名性、プラットフォームによる表示アルゴリズムなどが、投稿の真正性や位置情報の正確性を大きく損なっており、「何が事実で、何が印象か」を見極めることは極めて困難だとする。
また、SNS上のナラティブは「社会的に構築された空間」にすぎず、決して現地の一般的な声を代表するものではない。そうしたバイアスにどう向き合うかが、今後の偽情報対策において重要な論点となる。
誰が語り、誰が沈黙するのか
このレポートが最も示唆的なのは、SNSにあふれる怒りや憎悪の言葉そのものではなく、それが「人道支援」や「国際規範」といった概念を圧倒的に押しのけているという構図だ。災害や紛争の報道がそうであるように、誰が語るか、そして誰の声が沈黙させられているかを見極める視点が、偽情報の分析には不可欠である。
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