ジュゼッペ・ビアンキンによる報告書(2025年7月11日付)は、カナダのジャーナリスト、デイビッド・プグリージを標的とした「KGB文書」の真偽を徹底的に検証したものである。対象となったのは7枚の文書で、1984年から1990年にかけて作成されたとされ、プグリージが「Stuart」というコードネームでKGBの工作対象になっていたと記されていた。
文書流通の経緯
経緯を追うと、2024年10月24日にカナダの元議員クリストファー・アレクサンダーが議会で提出したのが最初である。続いて、YouTubeインフルエンサーのチャック・ファラーやTwitterのペッカ・カッリオニエミといった発信者が、匿名送信者からコピーを受け取ったと表明し、断片を公開した。さらに11月12日、ウクライナの記者アナスタシア・リンギスが7枚すべてを報道サイトで公開し、一般に出回った。いずれも「キーウの公文書館から流出した」と説明されていたが、送信者は不明である。
報告書の調査体制
ビアンキンはこれらを収集し、翻訳と整理を行ったうえで、次のような専門家による多角的検証を依頼している。
- アーカイブ検証:ウクライナ国家安全保障局のコフート、ウクライナ外国情報庁のフェシチェンコ。
- タイポグラフィ分析:オランダの書体設計者エリック・ファン・ブロックランド。
- 文書鑑定:ドイツのベルンハルト・ハース博士。
- 筆跡鑑定:イタリアのイラ・ボアト博士。
- 歴史研究の意見:米ワシントンのウィルソン・センター、チャールズ・クラウス博士。
調査の目的は「本物かどうか」と「本物ならばどう活用されたか」であり、最終的には「偽造である」と結論されている。
アーカイブ調査の結果
まずウクライナの公文書館で原本は発見されなかった。記録上も該当文書は登録されていない。コフートは「複写から原本を探すのは困難であり、特にインテリジェンス部門の文書は一般アーカイブに移管されていない」と説明した。フェシチェンコも同様に「該当人物の記録は存在しない」と公式に回答している。つまり、公的な保存記録での裏付けは取れなかった。
タイポグラフィ分析:デジタルフォントの痕跡
最も決定的だったのはタイポグラフィの分析である。ファン・ブロックランドは文書の一部が、彼自身が1993年に制作したデジタルフォント「FF Trixie Pro」で書かれていると指摘した。問題となったのは1990年付の文書であり、日付より3年後に登場したフォントが使われている。
さらに、「0」「5」「I」に現れる同一位置の埃の痕跡が、複数ページでまったく同じ形で繰り返されていた。本来タイプライターであれば、埃の付着は偶発的かつ一回限りの痕跡にすぎない。これが反復されている時点で、印字ではなくデジタル画像処理の結果であると断定された。
文書鑑定:二つの都市で同じ痕跡
ハース博士も当初は文書が本物に見えると評価したが、埃の痕跡の一致により「二つの異なる事務所(キーウとモスクワ)で同じタイプライター痕が現れるのは不可能」と結論づけた。さらに「FF Trixie Pro」はロシアでも広く流通していたことが知られており、偽造者がこのフォントを利用した可能性は高いとされた。
筆跡鑑定:すべて同一人物の手
ボアト博士は手書き文書(証拠#1、#2、#3)を比較し、「異なる署名や肩書を持つ複数人物の文書が、同一人物によって書かれている」と判定した。公式文書で複数の署名が同じ筆跡で書かれること自体が不自然であり、偽造の可能性をさらに高めている。
歴史研究者の見解
クラウス博士は「西側ジャーナリストの名前がKGB文書に出てくるのは珍しくない」と指摘する一方で、「文脈を欠いた断片的文書をもとに結論を出すのは危険」と警告している。文書が選択的に抽出された可能性が高いと見ている。
報告書の結論
総合的に、ビアンキンはこれを「現代に作られた偽造文書」と断定している。理由は以下の通り。
- 1990年付文書に1993年以降のデジタルフォントが使用されていた。
- 同一人物が複数署名を記した痕跡。
- 公文書館で原本が確認されなかった。
- 情報操作の典型的パターンと符合している。
さらに、プグリージが2022年以降に取り組んでいた汚職や国際金融不正の報道を妨害する「キャラクター暗殺キャンペーン」の一環だと結論づけている。
偽情報の手法としての意味
この事例は、偽造文書の作成と流通のプロセスを明示的に示している。
- 本物らしい書式・署名・紙質を模倣する。
- デジタル技術を用いて「タイプライター風」を再現する。
- 議会という権威ある場に提出することで真偽を問う前に信憑性を獲得する。
- インフルエンサーや記者に匿名で拡散する。
これは冷戦期から用いられてきた情報工作の定石であり、ミトローヒンやビットマンが解説したマニュアルと一致する。
日本への示唆
報告書自体はカナダを対象としたものであるが、日本でもスパイ防止法をめぐる議論が再燃している現在、この事例は重要な教訓を含む。スパイ活動そのものよりも「スパイ疑惑」を情報操作に利用する手法が現実に存在するという点である。制度論の是非に触れずとも、この構造を理解しておくことは不可欠だ。
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