北マケドニア:制度の空白が生む「内製型FIMI」の構造

北マケドニア:制度の空白が生む「内製型FIMI」の構造 情報操作

 欧州を拠点とする民主主義支援機関International IDEA(民主主義・選挙支援国際研究所)と、スコピエに本拠を置く独立系シンクタンクメタモルフォシス財団は、2025年10月、共同報告書Enablers and Incentives of Election-Related FIMI in North Macedoniaを発表した。外国起点の情報操作(FIMI: Foreign Information Manipulation and Interference)を、単なる「外部からの攻撃」ではなく、制度・社会・経済・メディアが絡み合って形成する“国内化された構造”として実証的に描いた研究である。北マケドニアを事例に、選挙という制度の外縁部で生じる情報干渉がどのように「常態化」するのかを明らかにしている。


制度疲労がもたらす「予見不能な民主主義」

 北マケドニアの選挙制度は法の枠組みとしては整っているが、運用の不安定さが際立つ。2025年の地方選を前に、独立候補の署名要件が違憲とされた結果、選挙管理委員会(SEC)は暫定的に「署名二件で立候補可」という異例の運用を採用した。こうした即興的判断は選挙制度の一貫性を失わせ、制度そのものへの信頼を損なう。

 EUやOSCE/ODIHRが繰り返し求めてきた政治資金監督・公的資源の乱用防止・メディア規制強化といった勧告は実施されていない。制度疲労の結果として、選挙過程全体が「操作しやすい構造」になっている。

 特に顕著なのは、デジタル政治広告の監視欠如だ。政治資金法・選挙法にはオンライン出稿やインフルエンサー利用の定義がなく、広告費の申告・追跡が不可能に近い。これにより、国外資金や匿名アカウントが介在しても検出できない。制度の空白と執行能力の乏しさが、外部からの影響を国内的問題として吸収してしまう構造を生み出している。


反ジェンダー運動が情報干渉の主戦場へ

 報告書が最も精密に描くのは、ジェンダーと宗教・民族ナショナリズムの接合である。2023年の性平等法および戸籍法改正案を契機に、宗教勢力と保守団体が「子どもを守れ」「伝統を守れ」というモラル的言語を用い、反ジェンダー運動を政治動員の核に据えた。

 この動員には外部アクターの物語が組み込まれている。ロシア国営メディアが発信する「リベラル西欧による価値破壊」の言説が翻訳・再文脈化され、国内では「EU加盟=家族解体」「性教育=国民の洗脳」といった図式で拡散する。女性政治家やLGBTQ支援者は「外国の手先」として攻撃され、偽画像や改ざん動画が大量に出回った。

 この現象の狙いは誤情報による事実否定ではなく、価値体系そのものの変換である。公共言説が宗教的・民族的枠組みで再構築され、合理的議論の余地が失われる。ジェンダー問題を通じて、社会は「信仰か裏切りか」という二項対立に再編され、情報操作は感情の共鳴装置として機能する。


経済的脆弱性が生む「自家発電型ディスインフォメーション」

 報道機関の多くは政治的独立性を持たず、国家広告への依存と所有の不透明さが常態化している。公共放送MRTは政府寄りの報道姿勢を指摘され、民間メディアは低賃金と短納期に苦しむ。記者は一次情報の検証を省き、国外サイトやSNS投稿を翻訳・転載するだけで記事を量産する。

 この構造の中で、偽情報は「外から流れ込む」のではなく、国内で再生産される。報告書はこれを“internalized disinformation economy”と呼ぶ。クリック数と広告収入が結びつく仕組みの中では、感情的な扇動や陰謀論が最も高い収益をもたらす。
 言い換えれば、情報の歪みが経済的報酬を生む産業構造になっている。報道労働の過酷さ、国家広告の恣意的配分、広告監視の欠落が重なり、事実よりも衝撃が価値を持つ経済圏が形成されている。


SNSの断片化と「疑いの言語」

 FacebookやTelegramでは、民族・党派ごとに閉じた情報空間が形成されている。選挙期になると偽・匿名アカウントが協調して投稿し、「なぜEUは我々を屈辱するのか」といった疑問形レトリックで疑念を植えつける。ユーザーが反論ではなく「共感的反応」を示すたびにアルゴリズムが可視性を高め、疑いが感情の連鎖として拡散する。

 生成AIやディープフェイクの利用はまだ萌芽段階だが、政治広告の模倣や偽のインフルエンサー運用が確認されている。プラットフォーム側のモデレーション体制は脆弱で、現地言語対応が遅れ、報告処理の遅延が常態化している。
 報告書は、「新技術による破壊」よりも「既存SNSの構造疲労」こそが脅威だと指摘する。


不作為が制度を蝕む

 政治的関心の低さと行政機関の機能不全は、制度的脆弱性を固定化する。議会には複数のFIMI関連委員会があるが、実質的に活動しているのは安全保障委員会のみ。ほかの委員会は予算・人員がなく、政策形成に関与できていない。情報公開法も運用が後退し、ジャーナリストのアクセスが制限される事例が報告されている。

 この「何もしない」状態こそがリスクである。FIMIは虚偽情報の流布だけで成立するわけではない。制度的沈黙が、干渉を受け入れる空間を広げていく


対応策:社会全体の再設計としての「防御」

 報告書は、単独の法改正やプラットフォーム規制では解決しないと明確に述べる。必要なのは「ホール・オブ・ソサエティ」アプローチ――政府、規制当局、市民社会、学術、テック企業、広告業界を統合した防御構造の設計である。

  1. 国家戦略の策定:DSAや欧州標準に整合したFIMI対処体制を法制度化する。
  2. 広告・資金の透明化:出稿主・資金源・編集体制を開示し、マイクロターゲティングを検証可能にする。
  3. ディスインフォ経済の攪乱:調査報道やファクトチェック連携への支援、アルゴリズム透明性の義務化。
  4. 制度信頼の再建:行政透明化と教育現場でのメディアリテラシー常設。
  5. 独立した監督当局の強化:権限・資源・越境協力を備えた執行体制の整備。

 これらは相互に依存する層として機能する。どれか一つが欠ければ全体が崩れる。報告書が描くのは「情報空間の防衛」ではなく、民主主義のインフラとしての情報構造を再設計する道筋である。


交差点としての北マケドニア

 この報告の意義は、北マケドニアを単なる「小国の事例」ではなく、分断と外部干渉の交差点として描き出した点にある。
 民族(マケドニア系/アルバニア系)、宗教(正教/イスラム)、価値(ジェンダー/伝統)、対外関係(EU/ロシア)――それぞれの亀裂が情報空間で交錯し、外部発の物語が国内政治の言語に翻訳される。

 制度の不安定さ、経済的脆弱性、社会的分断、行政の不作為。この四つが揃うとき、外国起点の情報操作は外からの干渉ではなく、社会自身の自己再生産として定着する
北マケドニアの事例は、選挙を脅かす偽情報の問題を超えて、民主主義国家がどのように「制度としての抵抗力」を失うかを可視化している。

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