イスラエル・エルサレムに拠点を置く NGO Monitor(Institute for NGO Research)が 2025 年に公表した報告書「Puppet Regime: Hamas’ Coercive Grip on Aid and NGO Operations in Gaza」は、ガザ地区の援助空間をめぐる統治構造を、2018〜2022 年にハマス内務省・治安機構(MoINS/ISM)が作成した内部文書の断片をもとに描き出す。読者が実際に目にするのは、イスラエル側が入手し非機密化したとされる文書を NGO Monitor が再構成した資料であり、それ自体が解釈を帯びた像である。本稿は、その編集された像を素材として扱い、報告書が提示する統治構造の具体性と、情報戦・偽情報研究の観点から見える特質を整理する。
治安装置としての援助空間
報告書がまず示すのは、援助が行政サービスの一部ではなく、治安管理の延長として扱われていたという構図である。ガザで活動する NGO(国際・現地を問わず)は、社会開発省や農業省といった担当省庁と連携しつつ、内務省を通じた治安面での統制を受けていたと描かれる。
2020 年 3 月 4 日付の ISM 文書「国際組織がもたらす脅威と危険」は、国際 NGO を「安全保障上の危険」と位置づけ、治安部門に対し「従業員・保証人の識別」「安全報告書の作成」「技術監視」「人的情報源の浸透」といった任務を列挙する。援助プロジェクトの開始、場所の選定、調査内容、受益者リスト、外国人スタッフの入域など、活動の多くが承認対象として扱われていたことが読み取れる。
「保証人」制度が示す監督の深度
報告書が特に強調するのは、国際 NGO の現地責任者層を「保証人(guarantor)」として位置づけ、内務省と NGO をつなぐ窓口として管理する仕組みである。
2022 年 12 月 14 日付の文書には、48 団体にまたがる 55 名の保証人リストが並び、基本情報に加えて、宗教実践、SNS 利用、交友関係、政治的傾向、家族状況、過去の勤務歴、ハワラ送金記録までが記載される。さらに「協力度(cooperating / neutral / not cooperating)」「安全保障カテゴリー」といった評価が付され、「外国団体に浸透するため利用できる」「この名簿への浸透は情報活動上の成果」とするコメントも添えられる。
保証人は単なる行政連絡者ではなく、治安面で評価されうる対象として扱われ、情報源としての可能性まで含めて組織化されていたことがわかる。
プロジェクト設計への介入
報告書では複数の事例が取り上げられる。
Oxfam の灌漑事業では、国境地帯に近い地域での調査が軍事情報部の承認対象とされ、質問票の 13 項目が削除された。削除理由には「抵抗活動に関わる情報が出る可能性」や「政治的傾向が明らかになる危険」などが挙げられる。
Mercy Corps の現金給付事業では、受益者の多くが社会開発省・農業省の名簿をもとに選ばれ、調査員の身元情報を内務省に提出することが求められていた。また“Return March 負傷者”に関する質問が削除対象になり、調査が扱える領域が制限されていた。
ANERA のインフラ事業では、予定地が「抵抗活動が存在する区域」に該当するとされ、掘削計画や地図が軍事情報部の承認対象になった。
いずれも、事業自体を禁止するのではなく、データ収集の内容や方法に治安上の制約が加えられている点が共通する。
財務監査と制裁
財務・行政情報へのアクセスも統治の対象になっていたと描かれる。Save the Children の監査拒否に関する文書では、協力が得られるまでプログラムへの制限を課すよう命じられ、ANERA の監査では「多くの財務違反」が記録される。International Medical Corps は財務・行政報告の未提出を理由に一週間の事務所閉鎖措置を受けたとされる。
これらの文書は、援助活動の透明性と財務面が治安部門の監督の範囲に含まれていたことを示す。
NGO の沈黙として扱われる行動
Norwegian Refugee Council(NRC)の事例では、住民が「床の陥没は地下トンネルのせいか」と尋ねたところ、NRC 職員も外国人代表団も回答しなかったという記録が引用される。報告書はこの沈黙を「民家下のトンネルを知りながら黙認した例」と読むが、ここには「質問に答えない」という行動が、統治機構・住民・国際 NGO の立場によって異なる意味づけを受けうるという問題がある。
二層の編集プロセスが生む像
報告書が提示する像は、ハマス統治機構が援助空間に強い管理権限を行使していたという一貫した構図で組み立てられている。しかし、ここで扱われている内部文書は、読者が直接読む一次資料ではなく、NGO Monitor が抜粋し、翻訳し、解釈した断片である。
したがって、報告書の内容はふたつの層にまたがる。
- 内部文書が示す統治の仕組み
- NGO Monitor がその断片をどう配置し、物語を構成したか
この二層が重なることで、援助空間の実際の姿と、イスラエル側 NGO の問題意識によって編集された像が同時に立ち上がる。
情報が「形になる」前の構造に目を向ける
偽情報の難しさは、主張の正しさを照合するだけでは、情報の通ってきた工程そのものが見えない点にある。援助に関する情報は、質問票の修正、受益者名簿の選別、調査員の行動制約、現地職員の沈黙といった複数の段階を経て数字や証言として現れる。その後、断片は再び政治的文脈の中で引用され、別の意味を帯びた「証拠」として流通する。重要なのは、この流れ全体を具体的に追うことであり、どちらの物語の真偽を即断することではない。
「Puppet Regime」が価値を持つのは、内部文書の断片と、それを NGO Monitor が再構成した枠組みが並存し、情報がどの段階で削られ、どこで強調され、どこで意味づけが変わるのかを観察できる点にある。援助空間の事実そのものよりも、むしろ情報が形になる前の構造が露わになっている。


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