AIと平和構築:IPIEテクニカルペーパーが描く応用とリスク

AIと平和構築:IPIEテクニカルペーパーが描く応用とリスク 情報操作

 IPIE(International Peace Institute Europe)は2025年、テクニカルペーパー「Artificial Intelligence and Peacebuilding: Opportunities and Challenges」(TP2025.3)を発表した。本書は、AIが平和構築の現場でどのように応用されているか、またそこに潜むリスクは何かを、600を超える学術論文・政策文書・市民社会のレポートをレビューして包括的に整理したものである。対象は紛争予測や人道マッピング、市民参加のためのチャットボットや対話プラットフォーム、調停や交渉支援に至るまで幅広い。だが同時に、監視や標的化といった武器化のリスク、環境負荷やエネルギー消費の問題も正面から扱う。本稿では、報告書が描き出す応用分野ごとの具体的な事例と限界、そして提示された勧告を順に紹介する。


AIと情報環境:中立ではないデータ

 序論でまず強調されるのは「データは中立ではない」という原則である。AIの成果は、どのように収集されたデータか、誰が保有しているか、どの目的で利用されるかによって大きく変わる。たとえば紛争地のSNS投稿は、都市部からの発信が中心で農村部や通信遮断地域の声は欠落する。これを「社会の全体像」として扱えば、偏った政策判断につながる。
 また、情報環境自体がAI活用の行方を左右する。自由なメディア、説明責任を果たす統治、適切な規制やデジタル・リテラシーが存在する環境では、AIは市民のレジリエンスを高める。しかし、権威主義的な環境では、同じ技術が検閲や監視、偽情報拡散に用いられる。したがって、AIの平和構築応用を評価する際には、技術の性能だけでなく、それを取り巻く情報環境の質を前提にしなければならない。


紛争予測:期待と盲点

事例と導入状況

 紛争予測はAI応用の中で最も早く導入が進んだ分野である。代表的なのがウプサラ紛争データプログラム(UCDP)と、Armed Conflict Location & Event Data(ACLED)である。これらは暴力事象を詳細に記録した大規模データベースで、死者数、場所、関与主体などをラベル化して蓄積している。これを入力として機械学習モデルを訓練し、人口統計や経済指標を組み合わせて将来の暴力リスクを予測する。

 スウェーデンの「Violence Early Warning System(ViEWS)」はその代表例だ。ACLEDとUCDPのデータを組み合わせ、アフリカ諸国のサブナショナルレベルで「来月どの地域で暴力が発生する確率が高いか」を予測するモデルを構築している。このシステムは国連開発計画(UNDP)や一部の人道団体が参照し、資源配分や早期警戒に利用している。

成果と問題点

 紛争予測の利点は、従来の専門家判断では把握しきれない大規模データのパターンを分析し、早期警戒やホットスポットの抽出に役立つ点にある。だが、報告はここで手放しの楽観を拒む。
 第一に、突発的な「変化点」には対応できない。COVID-19の世界的流行やミャンマーの2021年軍事クーデターは、過去データに存在しないため完全に予測を外した。第二に、紛争データの定義やラベリング自体が政治的に偏る危険がある。暴力と認定するか否かで結果は変わり、入力データの偏りがそのまま予測に反映される。第三に、予測精度が高く見えても、現場の介入設計に落とし込むと齟齬が生じる。AIは「未来を保証する占い師」ではなく、人間の判断を補助するシグナルにすぎない、と報告は繰り返す。


リアルタイム・マッピング:鮮やかな地図と沈黙の領域

実際の活用例

 AIはまた、リアルタイムでの紛争や人道状況のマッピングに利用されている。衛星画像やドローン映像、SNS投稿、携帯電話の移動データを組み合わせることで、暴力や避難の動きを「今この瞬間」に近い形で可視化できる。
 ハイチの地震後には、国際機関が衛星データと携帯通話記録を組み合わせ、道路の通行可能性を把握し、人道支援のルート計画に利用した。シリア内戦では、国連機関やNGOがSNS投稿を機械学習で分類し、攻撃地点や避難経路を推定した。リモートセンシング企業のPlanetや国連のUNOSATは、破壊された建物やインフラを高解像度で検出し、人道マッピングに提供している。

空白とリスク

 一方で「沈黙の領域」が常に存在する。政府が通信を遮断している地域や、農村部などインフラが未整備な場所では、データが存在しない。結果として、都市部を中心に鮮やかに描かれる地図は、最も脆弱な人々を丸ごと欠落させる。またSNS由来のデータは、誤情報や操作に晒されやすい。現地検証が伴わなければ、誤った地図を根拠に誤誘導が生じる危険が大きい。


市民参加ツール:チャットボットと対話プラットフォーム

チャットボットと低帯域環境

 AIは市民参加を拡大する手段としても試されている。東アフリカではSMSを使った通報システムが導入され、住民からの暴力被害報告を集めた。南アジアでは自動音声応答(IVR)が災害時の避難情報を配信し、低帯域環境でも利用可能であることが示された。これにより、従来アクセスできなかった住民が参加できるようになった。
 しかし同時に、送られた情報が政府や武装勢力に渡れば、住民が危険に晒されるリスクがある。包摂の拡大と監視の危険は常に背中合わせである。

RemeshとPolis

 国連政治・平和構築局(DPPA)はRemeshを使い、リビア・イエメン・シリアで市民の意見を収集した。数百人規模の参加者から得られた回答をAIがクラスタリングし、合意可能な論点を抽出した。Polisは台湾やニュージーランドで用いられてきた対話可視化ツールだが、紛争文脈にも応用されつつある。
 こうしたツールは大規模対話を可能にするが、「代表性」は保証されない。接続できない人々は排除される。また、発言の安全が担保されなければ報復に直結する危険もある。


調停・交渉支援:効率化と信頼の緊張

PoCの成果

 交渉支援においてもAIは実験的に導入されている。ドイツ外務省とAI開発団体OmdenaのPoCでは、膨大な交渉資料をAIに探索・要約させた。その結果、関連文書の検索時間を最大70%削減できたと報告されている。これは調停準備の効率を大幅に改善する成果である。

限界と危険

 だが、平和交渉は効率性だけでは成り立たない。交渉の核心は「信頼」と「中立性」であり、AIの要約や提案が偏っていれば、交渉全体が揺らぐ。さらに、交渉記録やメタデータが外部に漏洩すれば、参加者が報復の危険に晒される。報告は、AIの利用は探索・要約といった補助的領域に限定し、「自動交渉」の導入は避けるべきだと明確に線を引いている。


横断的リスク:環境負荷の現実

 ペーパーは応用分野を超えて共通するリスクを列挙する。データの偏り、希少事象の予測困難、武器化の可能性に加え、環境負荷が強調される。
 大規模言語モデル(LLM)の学習には数百MWhの電力と大量の水冷却が必要である。研究によれば、GPT-3クラスのモデル訓練には数万世帯分の月間電力に相当するエネルギーが使われた。水使用量も莫大で、データセンター周辺の水不足を悪化させる可能性がある。平和構築のために導入したAIが、別の場所で環境不安を引き起こす逆説が突きつけられる。


設計原則と勧告

 報告は最後に、各ステークホルダーに向けて具体的な勧告を提示する。

  • 設計者:Do No Harmを原則に、人権と同意をライフサイクル全体に組み込む。
  • 技術者:小規模LLMと地域言語対応を重視し、住民と共同設計する。
  • 政策担当者:人権に基づく規制と資金投入を行い、国際協調を推進する。
  • 民間企業:現地組織と直接連携し、環境負荷の低減や誤情報・ディープフェイク対策に責任を持つ。
  • 市民社会:人権と参加原則に基づき、モニタリングと実装指針作成を担う。
  • 学術界:実地での協働研究と学際的な人材育成を推進する。
  • ドナー:短期的なパイロットに偏らず、長期的な知見共有と人材育成を支援する。

結論

 IPIEのテクニカルペーパーは、AIと平和構築の接点を応用分野ごとに丁寧に整理し、可能性と限界を具体的に描き出した。紛争予測や人道マッピング、市民参加の拡大、交渉支援といった応用はすでに実験段階に入りつつあるが、同時に監視・武器化・環境負荷といった深刻なリスクを抱えている。AIが平和の資源となるか否かは、設計原則と情報環境次第である。

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