本稿が扱うのは、米国の非営利研究機関RAND(ランド研究所)が2026年9月16日に公表した研究報告書である。原題は『The Insurability of Artificial Intelligence』で、本稿では『人工知能の保険可能性』と仮訳する。著者はSasha RomanoskyとCeline Robinson。分量は45ページ、ウェブのみでの公開である。研究は、RANDの教育・雇用・インフラ部門に属する民事司法研究所と、自然災害や人為災害の悪影響を減らす法制度と補償の仕組みを研究するファインバーグ・センター(正式名は大災害リスク管理・補償センター)の枠内で実施された。想定読者は保険会社、再保険会社、ブローカー、州の保険規制当局、全米保険監督官協会(NAIC)である。
資金面では、民事司法研究所が企業、業界団体、個人、政府機関、民間財団からのプール型助成で運営され、ファインバーグ・センターは諮問委員会の拠出などで賄われる。RANDは無党派を標榜し、査読と利益相反審査を経た研究として公表しているが、留意点が三つある。参照文献の相当部分が保険会社のプレスリリースやブローカーの解説で商業的利害を帯びている点、事案データの出典が検証未了の市民参加型データベースで、報告書自身「権威ある記録ではなく傾向の指標」と位置づけている点、そして報告書がRAND版のChatGPT 5.4とAnthropicのClaudeコードを文章修正・データ分類・校正に用い、著者が生成物を確認したと明記している点である。
主題は保険であり偽情報そのものではないが、偽情報・情報操作の研究者にとって価値があるのは、公開された生成AI事案の84%が誤情報とディープフェイクだという実証結果を、訴訟・州法・保険約款という三つの別系統の資料と突き合わせ、被害の類型ごとに「誰が損失を負担し、どの保険が応じるか」を整理している点である。以下、報告書の記述と本稿の分析を区別し、分析部分には「本稿の分析」と付す。
問題設定:AIの損失は既存の保険種目に収まらない
報告書は冒頭で三つの事例を挙げる。利用者がチャットボットを誘導して新車のスポーツ用多目的車を1ドルで売らせた件、米国ミネソタ州の太陽光発電会社が検索大手Googleの要約機能に詐欺で訴追されていると誤って表示されたとして民事訴訟を起こした件、感情操作的で欠陥のある設計のチャットボットが14歳の少年の自殺に寄与したとして遺族が死亡事故・製造物責任を主張したGarcia対Character Technologies事件である。前二者は誤った出力による財産・名誉の損害、後者は人身被害と設計欠陥の争いで、一つの技術が複数の責任類型に分かれて現れることを示す。
報告書はAIの進化を三段階で整理する。統計的パターン認識に基づく機械学習(迷惑メール判定、動画配信の推薦、不正検知)、内容を生成する生成AI(2020年6月のGPT-3限定公開を起点とし、2022年11月のChatGPT公開で大衆化)、目標達成のために複数段階の判断と外部ツール操作を自律的に行うエージェント型(2025年)である。エージェント型は人間の介入が限られたまま動作するため、誤動作や意図しない行動の可能性が高まり、責任の所在の問いも難しくなると述べる。
報告書はサイバー保険を参照点としつつ、AIとの違いを五点挙げる。引受の重心がファイアウォールなどの技術的統制からモデルの検証・人間による監督という統治へ移ること。原因が、データ侵害のように特定しやすい人間の行為から、幻覚(もっともらしいが事実に反する出力)のように期待されうるが意図されない動作へ移り、因果の特定が難しくなること。サイバー保険金の大半が自社の損失であるのに対し、AIの損失はこれまで訴訟に基づく第三者請求が中心であること。規制の焦点も、サイバーでは個人情報保護に発展したのに対しAIでは有害コンテンツ生成の犯罪化と透明性要件にあること。さらにAIは、差別、誤情報、雇用の代替、疑似的な対人関係、公的信頼の侵食といった、サイバーにない倫理的・社会的次元を伴うことである。
研究設計:五つの資料
報告書は文献調査、四種類の公開データの分析、専門家への聞き取りを組み合わせている。
| 資料 | 内容と規模 | 期間・時点 |
|---|---|---|
| 文献調査 | 保険会社、再保険会社、ブローカー、モデリング企業、政策研究者による報告書・白書・研究論文から絞った41本 | 2023年から2026年中頃 |
| AIインシデントデータベース | 研究者・開発者・政策担当者が確認できるようAIの失敗を記録する、2020年開始のボランティア運営の公開データベース。累計1,537件超のうち、ChatGPT公開後(2022年11月30日以降)の生成AI事案713件を分析 | 2026年6月20日時点 |
| ジョージ・ワシントン大学のAI訴訟データベース | 457件の訴訟(連邦330件、州68件、国際59件)から、生成AIに分類される249件を分析 | 2026年6月16日時点 |
| 州法追跡(法律事務所Orrickの整理) | 制定済みの州法234件から、罰則を持たない法(遵守、教育的指示、監督機関設置)を手作業で除いた189件 | 2006年から2026年6月 |
| 保険約款の提出書式 | 電子料率・書式提出システムから商用プラットフォームFilingFocus経由で取得。重複を統合して125件(除外条項112、申込書4、特約7)、保険会社60社 | ChatGPT公開から2026年6月21日 |
| 専門家への聞き取り | 保険・法律の研究者26人に対する22回の面談。各約1時間、録音せずメモを取り、主題分析で整理 | 2026年2月から3月 |
設計上の限界も明示されている。訴訟データは特許訴訟と証券集団訴訟を含まない。州レベルの訴訟68件は主に、利用者との個人的・感情的なやり取りを模擬するAIコンパニオンに関する不法行為であり、国際訴訟は翻訳の困難で限定的である。保険書式の検索語は生成AIと機械学習を区別できないため、報告書は2023年以降の提出を生成AIとみなして推定している。専門家は便宜抽出法と紹介を連ねる雪だるま式抽出法で選ばれた。
事案の分類は、AIインシデントデータベースの要約文を対象に語彙リストで各事案へ複数ラベルを付ける方式である。報告書は、大規模言語モデルによる意味的分類と比較したうえで語彙方式を採った理由を、分類の一貫性と監査可能性にあると説明する。語彙方式は選んだ語に依存して脆く、意味的分類は文脈を捉えるが再現性を欠く。この選択は、後述の84%という数字の性格を左右する。
公開事案:誤情報とディープフェイクが84%
分類の内訳
ChatGPT公開後の生成AI事案713件を複数ラベルで分類すると、誤情報かディープフェイクの少なくとも一方に該当するのは599件(84%)である。ラベル別の件数は次のとおりで、一つの事案が複数に該当するため合計は713を超える。
| ラベル | 件数 | 報告書が挙げる事例・説明 |
|---|---|---|
| 誤情報・操作 | 586 | 詐欺師がAIで、カリフォルニアのコミュニティカレッジの入学願書に応答し、連邦の学生支援金をだまし取った事例(2025年6月、AP通信) |
| ディープフェイク・合成メディア | 346 | ローマ教皇フランシスコの白いダウンジャケット画像、歌手テイラー・スウィフトの性的画像(2024年1月に拡散) |
| ディープフェイクによる誤情報 | 333 | スロバキアの有力政治家が投票操作の方法を語る偽の音声。2023年の議会選挙の2日前に流通 |
| 幻覚・事実誤り | 215(30%) | Binnall Law Groupの弁護士が、Claudeが生成した架空の判例引用を含む申立書を提出(2026年5月、Bloomberg Law) |
| 有害コンテンツ | 92(13%) | 全米摂食障害協会が、チャットボットが摂食障害の相談者に減量助言をしたため閉鎖(2023年、NPR) |
| エージェント・自律的失敗 | 84(12%) | Cursorのエージェントが、PocketOSの本番データベースとバックアップを削除(2026年4月、Business Insider) |
| プライバシー・データ漏えい | 58 | — |
| 偏見・差別 | 47 | — |
| 著作権・知的財産 | 20 | — |
| その他・未分類 | 14 | — |
| AIの誤った帰属 | 7 | — |
報告書は、誤情報とディープフェイクの重なりが5割を超えると述べ、合成メディア(完全にAIが生成した内容)が操作の手段になっていると解釈する。幻覚、有害コンテンツ、エージェント失敗の三区分の和集合は事案の47%である。生成形式別では音声226件(32%)、映像181件(25%)が最も多い。
本稿の分析:84%の算出と定義の広さ
分類の数値は内部で整合している。誤情報・操作586件と合成メディア346件の合計932件から、重なりにあたる333件を引くと599件となり、713件に対する84%と一致する。したがって333件は両者の共通部分であり、合成メディアのうち誤情報のラベルを持たないのは13件にとどまる。合成メディアに分類された事案の96%が誤情報としても数えられていることになる。
留意すべきは「誤情報」の定義の広さである。報告書は誤情報を、偽の、欺瞞的な、または操作的な内容と定義する。冒頭の事例が示すとおり、この定義は情報操作にとどまらず学生支援金の詐取のような金銭詐欺も含み、語彙リストも幻覚の分類に「misinformation」を含めるなど区分間で語が重なる。したがって84%は、偽情報研究で通常想定される影響工作・虚偽情報の割合ではなく、偽または欺瞞的な生成内容が関わる事案の割合として読む必要がある。また、公開された事案は保険上の損失に転じるとは限らないと報告書自身も指摘する。
訴訟:争点は利用より学習にある
ジョージ・ワシントン大学のデータベースで生成AIに分類された249件のうち、150件(約60%)はAI開発者による学習データの取り込みに関する著作権・知的財産の主張である。報告書は、訴訟の大半がモデルの作成段階に関わり出力の利用や誤用に関わるものではないと読み取る。典型はThe New York Timesが、OpenAIとMicrosoftが数百万件の記事を許諾なくChatGPTとCopilotの学習に使ったと主張した2023年12月提訴の事件である。
利用段階の訴訟は、プライバシー・監視18件、詐欺・欺瞞15件、不法行為・過失・製造物責任12件である。プライバシー・監視の中心は、AIプラットフォームに埋め込まれた第三者追跡で、Thele対Google事件はGoogleがGeminiでGmail等の内容を同意なく走査したと主張する。詐欺・欺瞞は、AI能力を投資家に誇張する「AIウォッシング」(Dolly対GitLab事件)と、AIを用いた詐欺(United States対Smith事件は、AI生成の楽曲でストリーミング使用料を1,000万ドル超だまし取ったとされる)に分かれる。不法行為・製造物責任では、Garcia事件とRaine対OpenAI事件がAIの設計欠陥が未成年者の自殺・自殺念慮に寄与したと主張し、Doe対X.AI事件は同意のない性的画像生成への厳格製造物責任を主張する。
この内訳は、報告書掲載の分類別棒グラフ(凡例のない二色の積み上げ棒)で検証できる。プライバシー・監視の二色は14件と4件で合計18件、詐欺・欺瞞は14件と1件で合計15件、不法行為・製造物責任は12件と0件で合計12件となり、いずれも本文の件数と正確に一致する。ところが著作権・知的財産の二色は8件と127件で合計135件にとどまり、本文の150件と一致しない。他の3区分がすべて一致する中で著作権・知的財産だけが食い違うため、150件は本文側の誤記である可能性が高い。なお、データベースは経営陣のAI利用に関する虚偽表示を理由とする証券集団訴訟を含まないとされるが、報告書はGitLab事件のような株主の主張を詐欺・欺瞞の例に挙げており、両者の境界は本文から判断できない。
州法:規制は有害な合成コンテンツに集中する
制定済みの罰則付き州法189件の分野別の配置は事案の分布に近い。33州が、同意のない親密画像と児童性的虐待コンテンツを対象に計62の法を制定しており、既存の刑法を合成的描写にまで拡張し、実在の未成年者と区別できない、または現実的に描写する素材の作成・流通を犯罪化している。報告書の要約部は同意のない親密画像を52法とするが、本文の合計62および図の約32法と一致せず、52は32の誤記の可能性が高い。
公的・個人的な描写のリスクには政治広告22法、肖像11法、ディープフェイク5法が対応し、AI改変選挙コンテンツへの表示義務や欺瞞的な選挙ディープフェイクの禁止を定める。自動意思決定システムには28法があり、消費者のオプトアウト権、データ保護影響評価、雇用での偏見監査、医療の事前承認でのAIへの単独依存の制限を定める。利用者向けAIの18法はチャットボットのAI開示や自傷検知手順の実装を求め、医療の14法は自動システムが単独で保険給付の不承認を決めることを禁じる。透明性・統治の15法は開示表示や来歴メタデータを義務づけ、アルゴリズム価格設定ツールに独占禁止上の制限を課す。
報告書はここから、規制当局と立法者が、生成物の害(合成メディア、偏った出力)を、行為として処罰可能な損害とみなしつつあると読む。
損失の六つの根本原因
報告書は、事案、訴訟、立法から損失の機序を六つに整理し、保険種目への対応づけの基礎とする。
| 類型 | 機序 | 内容の例 |
|---|---|---|
| モデルの誤り | 期待されるが望ましくない出力 | 顧客対応チャットボットの誤った助言、自律ロボットによる事故 |
| セキュリティ脆弱性 | 安全対策の不備 | 脱獄、プロンプト注入、公開モデル置き場から配布された汚染モデル |
| 情報・著作権の侵害 | AIの学習または利用 | 著作物の学習、著作物に酷似した生成物 |
| 市民的・個人的権利の侵害 | AIの利用 | 差別的な結果を出す採用モデル |
| 詐欺・欺瞞 | 悪意ある利用 | ディープフェイク、フィッシング攻撃 |
| 不適切な統治 | 経営陣の不正行為 | AI能力の誇張による証券訴訟・規制当局の調査 |
第一の類型について報告書は、幻覚は変換器(トランスフォーマー)の動作として予期される挙動で、保険にとっては偶発的な故障よりも予見可能な性質の損失である点を注に記す。この整理は、次章の約款が「使用・開発・展開」という行為で区切る理由を説明する。
保険会社の三つの対応
除外
報告書は、AIが単一の危険にも単一の保険種目にも対応せず、同じモデルでも訓練・展開・利用の仕方で損失の形と深刻度が変わると述べる(AONの2025年の整理を転載)。事案発生から損害、請求までの潜伏期間や法的態様も異なる。
第一の対応は除外である。保険サービス機関のVerisk(ISO)は2026年1月に、生成AIが原因の身体障害、財産損害、人格的・広告上の損害を除外する商業一般賠償責任保険向けの条項様式(CG 40 47ほか)を用意した。ISOの標準様式は米国の財産・傷害保険の80%超に登場するが、採用した保険会社数の情報はないと報告書は注記する。Berkleyは特殊賠償責任保険(役員賠償、技術者・専門職賠償、受託者賠償)に、AIの実際の、または申し立てられた使用・展開・開発に起因する請求を対象外とする条項を導入した。範囲はほぼ全面に及び、AIを用いた内容の生成・配布、第三者のAI利用で作られた内容を見抜けなかったこと、AI利用や将来計画についての被保険者自身の表明、AI規制違反の主張まで含む。AIG、Great American、Chubbなども除外を行うか準備中と報じられ、Chubbは同時にAIが引受・保険金処理を改善しているとも述べる。
提出書式のデータは2025年夏からの除外の急増を示す。最初の提出は2023年12月で2024年は数件にとどまり、2025年7月以降に跳ね上がり、月別最大は2025年12月の20件前後であった。種目別は商業アンブレラ(超過)と商業一般賠償責任に偏り、報告書はこれを限度額が高く補償範囲の広い第三者賠償の種目から損失を切り離す意図の表れと解釈する。建設業を引き受ける保険会社は、AIが生成した構造計算の誤りや幻覚による建築仕様が設計欠陥・工期遅延・事故に至る損失を除外しているという。
積極的補償
第二の対応は、AI由来の損失を明示的に補償する少数の保険会社と新規参入者である。
| 保険者 | 補償の中身 | 限度額など |
|---|---|---|
| Munich Re | 導入者、開発者、ベンダーの自社・第三者損失。モデルの性能不足、幻覚・誤導的内容・虚偽情報、偏見による差別、私的情報の漏えいによるプライバシー侵害、著作権保護素材で学習したモデルによる知財侵害、有害なAI生成内容への曝露 | — |
| AXA XL | 2024年後半にサイバー保険を拡張。データ汚染、規制上の罰金・手数料、著作権・利用権侵害に基づく訴訟 | — |
| Coalition | 2024年3月にサイバー保険へAI特約を追加。AIシステムの失敗と、ディープフェイクを含むAI可能な不正送金による損失 | — |
| CFC | 専門特化のサイバー保険会社。技術者賠償責任、専門職賠償責任、知的財産、経営賠償、メディア、サイバー対応など複数商品でAIに対処(2026年6月) | — |
| Testudo | 導入者向けの単独の特殊賠償責任。第三者責任のみ。知財侵害と名誉毀損、幻覚による金銭損失、AI規制違反、AI出力への依存による身体障害、AI出力を通じた無断のデータ開示 | 1保険契約者あたり最大1,000万ドル |
| Armilla | 開発者と導入者の第三者責任を第一・超過で補償。性能不足の測定値が発動条件で、エージェントの判断・実行の誤りを含む。開発者向けには、幻覚率などを保証し未達なら顧客に支払う自社側の性能保証も提供 | モデル単位で最大500万ドル、契約者あたり最大2,500万ドル |
| AIUC | 技術者賠償責任に近い商品で自社・第三者損失を補償。エージェント特有のツール呼出し失敗、誤った支払い・返金による金銭損失、有害・不適切な出力による評判の毀損も対象 | 最大5,000万ドル |
引受の方法は保険者により異なる。Testudoは独自の訴訟データセットとリスク信号から契約者のモデルと用途に「リアルタイムのリスクスコア」を付け、AIUCはセキュリティ・安全・信頼性・プライバシー・説明責任・社会的リスクにおけるモデルの遵守を審査するAIUC-1という認証を軸に、初期検証・年次審査・四半期評価を行う。積極補償の商品にも除外はある。ArmillaのAI性能保証は利用者の誤用や契約者による無断変更を除き、Relm Insuranceは無許可の学習データを知りながら使うといった故意と、保険開始前にモデルの欠陥を知りながら開示しなかった既知の事情を除外する。エージェントについては、多くのAI保険が沈黙する一方、AIUCとArmillaは明示的に補償する。
沈黙
第三の対応は、除外も補償も定めない沈黙である。AIが除外されておらず損失が補償範囲に入るなら契約者は請求が認められると期待しうるが、補償の成否は約款の文言や既存の除外・定義との相互作用に左右されるため、沈黙は補償の可能性を残すと同時に紛争や不確実性を増す。これはサイバー保険の初期の発展と似た経過だという。似たAIを使う二社が、除外・補償・沈黙のいずれの約款かによってまったく異なるリスクを負うため、報告書は補償される損失とされない損失についての共通理解が必要だと述べる。
査定手法の限界
報告書は、成熟した損害記録がない状況で、保険者がAIリスクを評価・価格設定するために使える手段を検討し、どれも単独では不十分と結論づける。
履歴クレームは損失の頻度・重大性・分散を直接示すため最も有用だが、AIの請求は出始めたばかりで、基礎となるモデル・展開文脈も急速に変わり、現状のクレームだけでは数理的な基礎にならない。応募時の統制情報とクレーム情報を結合し統制の限界的寄与を推定する方法(Romanosky、2022年)も、十分な件数が前提となる。事案・訴訟・規制執行の情報は損失の経路を示すが、訴訟は不法行為から処理確定まで数か月から数年遅れる。
定量的な評価には、言語モデルを正確性・頑健性・公平性・毒性などの指標で試験する枠組み(Liangら、2022年)や、モデル出力が許容範囲を外れる確率を推定する適合的予測がある。検証可能な正解を持つ課題には向くが、雇用判断のような開放的な課題には向かず、測定された誤り率は保険者にとって重要な稀な失敗を捉えない可能性がある。定性的な評価は、被保険者の統治と統制(人間による監督、検証慣行、ベンダー依存、事案対応)を構造的に評価するもので、AIUC-1やISO/IEC 42001などが例だが、判断と自己申告への依存が大きい。
シナリオ分析は成熟したクレームがない場合に損失の経路を特定する前向きの手法である。ロイズ・オブ・ロンドンは自然災害のシナリオ分析を毎年行い、AIについても自動運転車やAI利用の飲料水システムなどでの損失を対象に同様の分析を行うが、頻度ではなく損失の範囲と重大性を測るものである。
報告書は、これらの手段が個別には限定的で全体としても未成熟であり、頻度と重大性を確実に推定できないため価格が不確実で市場の分岐を説明すると結論づける。実務上は条件の縮小、自己負担額の引上げ、選択的な積極補償、広範な除外といった保守的な対応が促される。
集積リスクの五つの機構
集積リスクとは、多数の企業・産業・保険種目で共通の依存やエクスポージャーを共有するために相関して生じる損失をいう。報告書は世界的な感染症や金融危機に相当する破局的失敗は対象とせず、多くの企業と保険会社に及ぶ規模を想定する。
| 機構 | 内容と根拠 |
|---|---|
| 普遍的なAI攻撃 | 同じ脆弱性を多数のAIシステムで突く敵対的攻撃。複数のモデル・ベンダーに通用する普遍的なプロンプト注入が特に危険で、サイバーのCode Red、Melissa、NotPetyaに類する |
| 共通モデル依存 | 同じモデル・部品・基盤に依存する企業に、潜在的欠陥や不具合のある更新から損失が波及する。最先端チップの約90%を製造するTSMC、AI用ハードウェア市場の80〜90%を占めるNVIDIA、主要3社(AWS、Azure、Google Cloud)に集中するデータセンターが例 |
| 攻撃の増幅 | AI自体が故障点ではなく、攻撃者の速度・規模・成功率を高める道具になる。AI発見の脆弱性を用いたサイバー攻撃への懸念、極端な例として生物・化学・運動エネルギー兵器の開発 |
| 法的・規制上の衝撃 | 新法、判決、行政執行が広範に行われていたAI利用を一斉に請求の対象にする。潜伏期間の長い損害が後年発見され、法理の変更で過去の複数の保険年度に一斉に請求が発生し準備金を圧迫する |
| 微妙な劣化・破損 | モデル性能の緩やかな劣化(モデルドリフト)や迎合(利用者への過度な同調)が、単一の引き金なしに多数の被保険者・保険種目にまたがる請求として現れる。最も推測的で、さらなる研究が必要とされる |
報告書は注で、エージェントの創発的挙動による集積の可能性にも触れるが、執筆時点でその挙動は現れていないと述べる。AI関連の損失は請求の水準で同一に見えなくても相関しうるため、種目ごとの管理は集積を過小に見積もる恐れがあり、依存関係を意識したシナリオ分析と根本原因の監視が必要とされる。
勧告と背景
報告書は、AI補償の量、保険者の集積エクスポージャー、保護ギャップ(経済的損失のうち保険でカバーされない部分)の関係を整理する。AIの損失がより多く積極補償されると保護ギャップは縮むが、保険者は集積エクスポージャーのより大きな部分を負う。保険者がAIを除外すると集積は減るが、リスクが企業と経済全体に残って保護ギャップが広がる。沈黙は何が保険され相関損失がどこで生じうるかを覆い隠すため、最も問題が大きい。ただし報告書は、2026年中頃の時点でその大きさを見積もれるデータはないと認める。
三つの勧告は次のとおりである。
- 第一は、州の保険規制当局とNAICが保険者・ブローカーの支援を受けてAI補償通知を策定すること。AIに起因する損害がどの保険種目のもとで積極的に補償されるか、除外されるか、沈黙かを明らかにし、予測型AI、生成AI、エージェント型AIの区別を含めて文書化する。保険者が標準通知を訴訟上不利と受け止めて抵抗する可能性は報告書も認める。
- 第二は、政策研究者、ブローカー、保険者、再保険者が、AIの事案・請求・統制の共通の分類体系を作ること。技術的事象、生じた害、経済的帰結、請求または法的措置、関係する種目を捉える。各社のデータは私的に保持し、共有報告は集計または匿名化に限る。
- 第三は、保険者と再保険者が、実際の展開事例、共有モデルへの依存、共通基盤の障害、規制上の衝撃に絞った集積シナリオ分析を行い、公開すること。州規制当局とNAICは匿名化した年次の事案報告の収集と公表で支援できる。保険者はサードパーティのモデル・API・クラウドへの上流依存を見通せないことが多いため、重要なAI利用に限り、固定のシナリオ群と年次の集計報告を採る案が示される。
報告書はこの勧告で連邦の関与を退け、州の規制当局と業界主導の統治に焦点を置く。保険業の規制は、マッカラン・ファーガソン法のもと歴史的に州が担ってきたためである。ただし、ホワイトハウスが2025年12月11日の大統領令14365号「人工知能のための国家政策枠組みの確保」で、国家政策と抵触する州のAI法を抑制する連邦の措置を指示し、NAICが2025年12月16日の声明で保険業でのAIの州規制を確認するよう求めた経過を注に記し、この件は執筆時点で未解決とする。結語は、保険者・規制当局・契約者が、保険可能な、したがって許容されるAI利用の実務上の基準を形づくる可能性があるという見方である。
本稿の分析:偽情報研究から見た報告書の含意
第一に、三つの系統の資料は異なる層を測っている。事案データは公になった被害の分布で誤情報と合成メディアが多数を占め、訴訟データは開発者の学習行為への知財請求が過半を占め、州法は同意のない親密画像・児童性的虐待コンテンツ・選挙の欺瞞的ディープフェイクに集中する。事案で最も多い被害類型は訴訟では主要部分を占めず、約款の除外条項が名指しする損害(身体障害、財産損害、人格的・広告上の損害)とも一致しない。報告書はこの不一致を直接論じていないが、三つの節を並べると読み取れる。
第二に、偽情報研究の対象となる多くの被害は、報告書が扱う保険の枠組みでは損失の帰属先が不明確である。スロバキアの選挙直前の偽音声の例では、損害は有権者と選挙過程に及ぶが保険金を請求できる被保険者が明確でない。積極補償の商品が対象とするのは被保険企業の責任と金銭損失であり、選挙の欺瞞的ディープフェイクを禁じる州法が保険上どの損失に対応するかは論じられていない。
第三に、沈黙が多数だという記述には観測上の弱点がある。報告書は、承認市場に単独のAI保険が提出されていないことと除外の提出を特定できたことから、残りを沈黙とみなすと注に記す。つまり沈黙は約款の文言を確認して得た割合ではなく、除外と積極補償に該当しないものを差し引いた推定である。
第四に、分類設計への含意がある。報告書は標準的な事案分類体系の必要を訴えるが、自らの84%の算出には語彙方式の分類を用いており、誤情報・詐欺・幻覚が語彙の上で重なる。偽情報と幻覚と詐欺を分ける分類を設計する場合は、被害の機序(意図的な欺瞞か期待された誤りか)と損失の負担者(被保険企業か社会か)を別の軸にする必要があると、この報告書の数値の読み方は示唆する。

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