今回は、ジャン・ボードリヤールの「ハイパーリアリティ」理論を使い、ソーシャルメディア上の誤情報や偽情報がどのように私たちの現実認識を変えているのかを考察した論文「Baudrillard, hyperreality, and the ‘problematic’ of (mis/dis)information in social media」(2025年1月3日公開)をご紹介します。
この論文では、特にTikTokで拡散された「イスラエル兵が墓を荒らして臓器を盗んでいる」という衝撃的な動画を事例に取り上げています。
TikTok動画を巡る問題
TikTokで拡散されたこの動画では、「イスラエル兵がパレスチナ人の墓を掘り起こして臓器を盗んでいる」と主張されています。この内容は多くの感情的な反応を引き起こし、SNSで広く共有されました。
しかし、論文では以下の点が指摘されています:
- 事実: 2009年にイスラエルの病理学者が遺体から臓器を不正に摘出していた事件がありました。ただし、これは墓荒らしとは無関係で、パレスチナ人だけでなくイスラエル人の遺体も対象でした。
- 誤解: TikTok動画は、この過去の事件を基に「墓荒らしによる臓器盗難」という形で再解釈され、現在の問題として提示しています。
ハイパーリアリティ理論とは
論文では、このTikTok動画をフランスの哲学者ジャン・ボードリヤールの「ハイパーリアリティ」理論を用いて分析しています。
- ハイパーリアリティとは?
ボードリヤールによれば、現代社会ではメディアやシミュレーションが現実を「再現」するだけでなく、「現実らしい新たな現実」を創り出してしまいます。- この動画は、歴史的な事実(2009年の事件)を基にしつつ、感情的で視覚的な要素を強調することで、事実以上の「現実らしさ」を生み出しています。
- これにより、視聴者はこの動画を完全に事実であると誤解しやすくなります。
論文が指摘するSNSの影響
論文では、TikTok動画のような事例が、SNS利用者に与える影響について次のように論じています:
- 事実と虚構の融合
この動画は過去の事件(事実)と墓荒らし(虚構)を融合させ、新たな現実を創り出しています。これが、視聴者に「誤解された現実」を植え付ける原因となっています。 - 感情的な操作
動画は視覚的インパクトや感情を刺激する内容で構成されており、理性的な判断を妨げる可能性があります。 - 偏見や認識の歪み
動画を通じて、イスラエルやパレスチナのどちらか一方に対する偏見や誤解が強化されるリスクがあります。
教育への提案
論文は、このようなハイパーリアリティ現象を教育現場で取り上げる重要性を提案しています。
- 批判的思考の訓練
動画を音声だけ、映像だけ、完全版といった形で分解して視聴し、どの要素が視覚的・感情的な影響を与えているかを分析する教育方法が紹介されています。 - 現実の再構築を学ぶ
生徒にSNSがどのように「現実を創り出しているか」を議論させる活動を推奨しています。
最後に
TikTok動画のような事例は、「現実」と「ハイパーリアリティ」の境界を考える重要な機会を提供します。たとえば、Euro-Med Human Rights Monitorが指摘するイスラエルの遺体保持問題は、深刻な国際法違反の可能性がある現実の課題です。一方で、この論文が分析するのは、こうした事実がソーシャルメディア上でどのように再解釈され、新たな「現実らしい現実(ハイパーリアリティ)」として提示されるかという点です。
論文はTikTok動画を完全な虚偽として断定しているわけではありません。むしろ、事実と虚構が混在することで視聴者が誤解しやすい状況を指摘しています。事実を基にした情報が感情的・視覚的に強調されると、新たな現実を構築し、受け手の認識に大きな影響を与える可能性があります。この論文を通じて、私たちは情報の「背後にある意図」や「文脈」を批判的に考えることの重要性を再認識できます。
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