2025年5月にMCC Brusselsが発表したレポート『Manufacturing Misinformation: the EU-funded propaganda war against free speech』(著者:Norman Lewis)は、EUが主導する「偽情報・ヘイトスピーチ対策」の背後に、自由な言論の制度的再編が進行していると論じる挑発的な文書である。レポートの中心的な論点は、公共的な語りの条件がEUによって体系的に設計され、しかもそのプロセスが透明性を欠いた資金配分と曖昧な政策言語に支えられているという主張である。
「正しい語り」を定義するシステム
本レポートによれば、欧州委員会は2016年以降、計349件、総額約6億4890万ユーロのプロジェクトに資金を供給し、「偽情報」および「ヘイトスピーチ」への対応を名目に、言語的秩序の設計を行ってきたとされる。対象となるのはNGO、大学、研究機関、地方自治体などであり、それぞれが異なる技術・社会的アプローチで、言説空間の制御に関与している。とくに特徴的なのは、それらのプロジェクトに冠される名称や目標が、いずれも「安全性」「包括性」「信頼性」「熟議」など肯定的な語彙で満たされていることである。
AIによる言論統制のインフラ化
レポートが問題視するのは、これらのプロジェクトが技術的中立性を装いながら、実質的には価値判断を内在化した「ナラティブ管理装置」として機能している点である。たとえばVIGILANT(Vital IntelliGence to Investigate ILlegAl DisiNformaTion)は、警察機関が用いるAI監視ツールの開発を目的とし、「分離主義」「ナショナリズム」「インセル」など広範な言説を潜在的脅威としてプロファイリング可能にする。
またVERA.AIやTITANでは、「信頼できるAI」「市民の思考のコーチング」といった表現のもと、実際には事前に定義された「正しい判断」へと市民を誘導する構造が明示されている。批判的思考の育成という名目は保持されているものの、レポートはそれを「アルゴリズム的順応訓練」とみなす。
熟議民主主義の言説装置化
本来、言論の自由は制度外から制度を批判するための条件として位置づけられてきた。しかし、レポートによれば、現在のEUが推進する「熟議民主主義」「包摂的参加」などの言語枠組みは、それ自体が政治的異議申し立ての制度内封じ込めとして機能しはじめているという。プロジェクトORBISはその典型とされ、AIとワークショップによって「民主的参加」が定義され直されるプロセスが分析されている。
「政策ベースのエビデンス」という構造
さらに、報告書は研究の中立性についても強い疑義を呈する。多くのプロジェクトにおいて「研究」は、既定の政策仮説──たとえば「偽情報は拡大しており民主主義を脅かしている」──の確認作業として機能しており、仮説検証という本来の科学的手続きが失われているとされる。この構図は、いわば「エビデンスに基づく政策(evidence-based policy)」ではなく「政策に基づくエビデンス(policy-based evidence)」として批判されている。
用語設計とナラティブの外在化
付録では、プロジェクトの公式文書に頻出する語句──「レジリエンス」「シビック・エンゲージメント」「包括性」など──が、いかにして制度的価値判断を内包した曖昧な記号となっているかが、皮肉を込めた言い換えによって分析されている。これは単なるレトリック批判ではなく、公共的意味秩序の構成原理をめぐる権力構造そのものへの批判である。
観察対象としてのEUナラティブ
このレポートが提示する視角は、EUの対偽情報政策に対する単純な反対論や陰謀論ではない。むしろ、言語、資金、技術、制度、学術という複数のレイヤーを通じて、どのように公共的ナラティブが設計・配分・監視されるかを明示する一種の観察記録として読まれるべきだろう。とくに「語ってよいこと」の境界がアルゴリズムによって可視化されつつある現代において、このような制度批評は単なる理念的自由論とは異なる射程をもっている。
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