「移民が福祉を食い物にしている」「モスクが街を乗っ取っている」「難民が暴徒化している」。こうした言説が、証拠も曖昧なまま広がるとき、その背後には明確な設計と戦術がある。欧州委員会が独立専門家グループとともに2025年に公表した報告書『Mis- and Disinformation on Migration in Europe』は、この構造を丹念に解剖している。
それは、誰が、どのように、どんな素材を使って、どこで、何を目的に偽情報を設計・拡散しているのかを、ナラティブ・戦術・感情・制度の四層構造で描いた報告である。本稿では、その中から専門的な関心を引きやすい事例を抜き出し、現在の偽情報の「仕組み」を照射する。
映像が「暴力」を演出する──再文脈化の戦術
最もわかりやすいのが、暴力的事件の“再利用”である。報告書が紹介する事例では、2016年のドイツ・ケルンでの性犯罪事件の映像が、何年も後に「今また起きている移民暴力」としてSNS上で流布されていた。また、オーストラリアで起きたまったく無関係の事件映像が、「ウィーンの移民暴動」として別の字幕付きで再投稿されたケースもある。
ここで使われているのは、「過去素材の再文脈化(Recontextualisation)」という技術だ。素材の真偽ではなく、その“語り直し方”を変えることで、完全に別の事実を創造する。視覚情報は、見る者に“現場感”を錯覚させるため、特に強力なツールとなる。
数字が人を信じさせる──統計の政治的操作
数字もまた、信頼を獲得するための装置として悪用される。たとえば「ベルギーのムスリムの70%がシャリーア法を支持」という誤った統計が拡散され、フランスやドイツでの“文化的侵食”の根拠として再利用された。
マルタに関しても、「移民によって人口が倍増した」といった根拠不明な主張が広がっている。これらは、出典のないインフォグラフィックや加工されたニュース画像とともに流通することが多い。
こうした事例では、数値そのものよりも、「信頼できそうに見える構成」の方が重視されている。報告書はこの戦術を「証拠の偽装(Misleading Quantification)」と定義している。
偽物が“本物らしさ”を装う──AIと偽サイト
ロシアによる「Doppelgänger」作戦は、偽情報の技術的進化を象徴する。これは、EU各国の公共機関サイトや主流メディアに酷似した偽サイトを立ち上げ、ChatGPTのような生成AIを使って“報道風”の偽記事を量産するというものである。
その多くは、移民が暴力を起こした、社会保障を浪費している、反社会的行動をしているといった内容で、あたかも“地元の記者が書いた”かのような文体で書かれる。情報の出所が分かりづらくなることで、批判や削除が困難になるという特徴を持つ。
拡散を助けるのは「怒り」──SNS設計と感情
現代の偽情報は、自ら拡散しようとはしない。設計された“怒り”を、ユーザー自身が拡散するように仕向ける。報告書では、SNSプラットフォームが「感情駆動型アルゴリズム」を用いて、恐怖・怒り・嫌悪といった投稿の表示頻度を高めていると指摘されている。
さらに、XやTelegramでは、ボットが反復的に移民批判投稿をリツイートし、“人気投稿”を人工的に演出している。投稿とリプライが連動することで、エコーチェンバーは自動化され、事実とは異なる信念が形成されやすくなる。
信じたくなる感情の構図──宗教と象徴
報告書で繰り返されるのは、偽情報が「信じたくなる物語」として設計されているという点だ。宗教的象徴はその一つである。モスク建設やヒジャブの着用が「地域のイスラム化」の象徴として扱われることが多く、移民による教会放火という事実無根の話までが拡散された例もある。
宗教・国民性・文化的優越といった象徴に訴えることで、「これは単なる政策問題ではない」という認識が生まれ、偽情報は“自己防衛的正義”として共有されていく。
この報告書は、偽情報とは「嘘をつくこと」ではなく、「信じたくなる構図を設計すること」であると繰り返し指摘している。そこでは、誰が、何を、どのように語るかよりも、「どんな感情で」「誰に向けて」「どこで流すか」が重要となる。
偽情報が社会に作用するのは、主張の過激さゆえではない。恐怖・怒り・偏見・不信といったすでに存在する感情に接続し、それを増幅するからこそ、制度的な対処は困難となる。この報告書はその“接続と設計”の構図を冷徹に明らかにしている。
コメント