偽情報をめぐる4つの視点──構造・法・戦争・制度から見る国際対応の可能性

偽情報をめぐる4つの視点──構造・法・戦争・制度から見る国際対応の可能性 偽情報対策全般

 今日の情報空間は、かつてない速度と精度で拡散される「偽の声」に満ちている。偽情報は、ただの誤報や風評とは異なる。その多くはボットやトロールといった「合成的な存在」によって仕掛けられ、アルゴリズムによって増幅され、個人のニュースフィードへとパーソナライズされて届けられる。だが、これは単なる「自由な言論」の一部なのだろうか。

 ジュネーブ・アカデミーが2025年前半に発表した4本のリサーチブリーフは、この問いに対して多角的にアプローチするものであり、偽情報を人権・国際法・国際人道法・制度設計の観点から捉え直す試みとなっている。本稿では、それぞれの内容と相互の関係を整理し、このシリーズが描き出す全体像を浮かび上がらせたい。

1. 人工的な声が公共圏を覆うとき(Part I)

 シリーズの第1報告書『Synthetic Forces vs. Humans and Human Rights』は、偽情報の構造的特徴とその人権への影響を描く。合成的な干渉(synthetic interference)は、単なる「偽」情報の氾濫ではない。むしろ、人間同士の交流という前提を破壊する構造的な脅威とされる。

 ここでは、表現の自由が問題なのではなく、表現が成立する条件そのもの──本物の声が聞こえる場が維持されていること──が失われつつある点に焦点が置かれている。そのため、対応策として求められるのは「検閲」ではなく、むしろオーセンティックな人間の存在を前提とした空間の再設計である。たとえば、「認証された偽名」制度や、研究者によるプラットフォームデータへの構造的アクセスが提案されている。

2. 国際法は何を捉えそこねているのか(Part II)

 第2報告書『Charting the International Legal Frameworks』では、偽情報が国際法の構造的な盲点を突いてくる現実が描かれる。

 不干渉、主権、民族自決といった原則は、軍事的な介入や明確な武力行使には適用できても、匿名的かつ非物理的な情報操作には明確な基準を持たない。とくに問題となるのが「強制(coercion)」の定義であり、これまでの枠組みでは説得や影響と強制の区別が曖昧なままになっている。

 報告書はここに対して、「実証的強制概念」の導入を提起する。つまり、影響のスケールや正確性、対象の自律性への侵害度合いといった定量的指標に基づいて違法性を判断しようとする視点だ。これは、主権と民族自決という法概念の接続と拡張の試みとも言える。

3. 戦場の情報は誰のものか(Armed Conflict編)

 シリーズ第3報告書『Digital Disinformation Operations in Armed Conflict』は、武力紛争下における偽情報の影響を掘り下げる。

 歴史的に、戦時の欺瞞(ruse of war)は合法とされてきた。だが、今日の偽情報は市民を直接ターゲットにし、避難情報の誤導や人道機関への不信を引き起こす。これはもはや軍事戦術というより、人道的空間への干渉そのものである。

 この中で提起されるのが、「正確な情報へのアクセスは生存権の一部である」という視点だ。つまり、情報は単なる知識ではなく、避難・医療・安全を左右する生命線であるという認識に立ち、プラットフォームと国家に対して情報空間の保全責任を求めている。

4. 制度が切り拓く「見る権利」(EU編)

 シリーズの最後を締めくくる『European Union Data Access for Study of Digital Disinformation Operations』は、制度による対応の最前線として、EUのデジタルサービス法(DSA)第40条を取り上げる。

 この規定は、研究者が構造的リスク(disinfo-opsなど)に関するデータへアクセスする法的権利を初めて確立した点で画期的だ。GDPRとの整合をとりつつ、プライバシーと研究の両立を図るこの制度は、情報操作に対する実証的・制度的対抗軸として国際的にも注目されている。

 特に、非EU研究者の参加も可能である点、そしてリアルタイムかつ安全なデータ環境の構築が進んでいる点で、他地域の規範形成においても先例となりうる。

結びに──法と制度の「接続」をどう築くか

 このシリーズが提示するのは、「偽情報をどう規制するか」ではなく、「偽情報に壊されつつある条件をどう再構築するか」という問いである。それは、法制度の整備だけでなく、人間の声をどう残すか、信頼をどう支えるかという、民主主義の根本に関わる問題でもある。

 現代の情報空間において、声を持つことは生存と同義になりつつある。その声を守るための道具として、国際法と制度が再び鍛え直されるべき時が来ている。ジュネーブ・アカデミーのこのシリーズは、その第一歩を刻むものである。

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