非リベラルな語りは誰に届くのか──日本における“語りの説得力”を検証した実験研究から見えること

非リベラルな語りは誰に届くのか──日本における“語りの説得力”を検証した実験研究から見えること 論文紹介

 中国政府が主張する「新疆ウイグル自治区の再教育施設はテロ防止のための合法的政策だ」という語りを、説得力のある主張として受け止める日本人は、どの程度いるのだろうか。あるいは、ゼロコロナ政策を「犠牲はあったとしても、西側よりはマシだった」と受け止める人々は、どのような論理や感覚からそのような理解に至るのか。

こうした問いに、定量的なデータから迫ろうとしたのが、2025年3月12日に公開されたKobayashiらによる論文「Autocracies win the minds of the democratic public」である。

 本稿では、この研究の設計と結果を紹介するとともに、実証研究としての限界と含意を整理する。重要なのは、この論文が「日本人はプロパガンダに弱い」と断定しているのではなく、ある種の語りが、ある文脈において、どのような影響を持ちうるのかという問いを、実験的に検証している点にある。

非リベラル・ナラティブの「受容可能性」はどこにあるのか

 この研究の実験では、日本人約5000人(2調査の合計)を対象に、計12の国際政治・社会トピックに関するナラティブを提示し、どの語りがどのように受け止められるかを分析している。対象となったテーマは以下の通り。

  • 新疆ウイグル再教育施設
  • 香港国家安全維持法
  • Huawei幹部の逮捕
  • ゼロコロナ政策
  • 一帯一路構想
  • ロシアのウクライナ侵攻
  • BLM運動
  • 米国の銃規制
  • 米国の政治的分断
  • LGBTQ運動
  • 日本の対中非難決議
  • 日本の国会議員による台湾訪問

 たとえば新疆をめぐっては、「テロ防止政策として成果を上げている」(中国側ナラティブ)という語りと、「民族的・宗教的弾圧であり人権侵害である」(欧米主流ナラティブ)という語りが比較され、どちらがより受け入れられたかが測定された。ゼロコロナ政策では、「欧米の混乱と比べれば秩序ある対応」(中国側)という語りと、「強権的政策が市民の自由を侵害した」(主流)という語りが同様に提示されている。

平均的には「説得効果あり」、だが一様ではない

 結果として、非リベラル・ナラティブも主流ナラティブも平均的に見て一定の説得効果を持ち、評価を変化させた。新疆、ゼロコロナ、ウクライナ侵攻といったテーマでは、非リベラル側の語りの方が主流よりもやや強い影響力を示す傾向も見られた。

 ただし効果量は大きいとは言いがたく、また効果の方向や大きさはトピックによって異なる。語りの内容、構成、提示順序、受け手の関心度など、複数の要因が影響している可能性が高い。

「誰が影響されたのか」──モデレーターは検出されなかった

 先行研究では、非リベラル・ナラティブの説得効果は特定の属性に集中するという報告がある。たとえば、ドイツのMaderら(2022)の研究では、陰謀論傾向、権威主義傾向、政治的無知といった因子が非リベラル語りの効果を強めるとされた。

 だが本研究では、日本のデータにおいてそれらの属性はいずれも効果の強弱を有意に説明しなかった。すなわち、「誰が影響されるのか」という問いに対して、少なくとも今回の12トピックにおいては、「誰でも影響されうる」という結論が導かれている。

 これは、主張の受容が必ずしもイデオロギー的属性と結びつくとは限らないこと、そして非リベラルな語りが「特定層への浸透」というよりは、より広範な認知的・感情的共鳴を通じて受容される可能性を示唆している。

主流ナラティブは「防壁」として機能するか?

 第2実験では、同じ参加者に主流と非リベラル両方の語りを連続して提示する「二重提示条件」が導入された。結果はやや複雑だが、要点はこうである:

  • 非リベラル → 主流の順で提示:両者が相殺され、影響が薄まる傾向
  • 主流 → 非リベラルの順で提示:非リベラル語りの影響が相殺されず、残存

 これは、主流ナラティブが「免疫」として機能しにくい可能性、あるいは非リベラルな語りが「後出し」で提示されることで印象を強めている可能性を示している。いずれにせよ、単に「正しい情報」を出すだけでは十分な対抗策にはならないという示唆を含んでいる。

限界と含意──語りは常に「語られる環境」の中で効く

 この研究は、語りの「送り手」ではなく「受け手」に注目した点で非常に重要だが、いくつかの限界もある。まず、語りの効果は単回接触で測定されており、実際の情報環境における反復的接触や共有・議論といったプロセスは含まれていない。また、ナラティブの形式(ストーリー構造)と主張内容の効果は切り分けられておらず、「なぜ効いたのか」の因果構造にはまだ不透明な部分が多い。

 それでも、こうした限定的なデータから、「ある語りが、特定の文脈と構造のもとで、一定の説得力を持ちうる」という事実は確認できる。そしてそのことは、「公共的理解の形成プロセスにおいて、語りの構造と受容のメカニズムを分析する必要がある」という論点を強く後押しする。

語りの力を軽視しないために

 新疆の再教育施設、ゼロコロナ政策、ウクライナ侵攻、BLM──いずれのテーマも、複数の語りが併存する領域である。現代の情報空間において、語りはデータや論理とは異なる形式で人々の態度に影響を与えうる。しかも、その効果は特定の属性に限られないかもしれない。

 この研究は、「語りの受容は誰に起きるのか?」という問いに、限定的ながらも実証的な知見を提示している。そしてそれは、公共的合理性や情報環境の健全性を問う上で、避けて通れない論点を提起している。語りの力を軽視せず、かといって過大評価もせずに、冷静に向き合う必要があるだろう。

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