偽情報と反ユダヤ主義が交差する場所──英国大学における制度的不作為の深層

偽情報と反ユダヤ主義が交差する場所──英国大学における制度的不作為の深層 情報操作

 2025年5月にヘンリー・ジャクソン・ソサエティが公表したレポート『Disinformation on Campus: The Rise of Antisemitism and the Failure to Respond』は、反ユダヤ主義と偽情報の交錯する現場として英国の大学キャンパスを捉え、その構造的問題と制度的無力を抉り出している。

「批判」と「憎悪」を分ける線が失われた現場

 レポートの出発点は、2023年10月7日のハマスによるイスラエル攻撃を契機に、世界的な反ユダヤ主義が一気に噴出したという認識である。批判的言説と差別的言説の境界が曖昧になるなかで、大学という知的空間が、その境界を守る機能を果たしていないという指摘が繰り返される。

 イギリス国内においては、2024年の大学関連反ユダヤ事件は過去最高の272件に達し、前年から117%の増加が報告された(CST調査)。しかも、その加害主体が学生だけでなく教職員にまで及ぶケースが明らかになっている。

ハマス文書が教材になる授業

 代表的な事例のひとつは、キングス・カレッジ・ロンドンの講師がハマスが作成したプロパガンダ文書を教材として用い、学生に「解放運動」として読むよう指導していたというものである。授業を受けた学生は「ほぼ公然と親ハマス的である」と述べ、学習空間における安全の喪失を訴えた。大学側はこの件に対し懲戒処分を行っていない。

「イスラエル崩壊に同意せよ」とするキャンプ参加条件

 また、オックスフォード大学では、パレスチナ支援を掲げる学生団体がキャンプ参加の前提として「イスラエルの崩壊を求めるマニフェスト」への署名を求めていた。これに対しユダヤ人学生団体は、副学長に対して100件以上の反ユダヤ的事件を記した抗議文を提出している。

偽情報は教室にも浸透する

 本レポートが新たに明らかにしたのは、SNS上だけでなく、講義やゼミといった正規の教育活動においても反ユダヤ的な偽情報が流布されているという事実である。調査に参加した学生の20%以上が「講義中に偽情報が拡散されている」と回答し、さらに74%が「過去に偽情報を信じていた経験がある」と答えた。

 BBC風の偽投稿やツイートを見分ける実践課題では、半数以上の学生が誤認し、識別能力の欠如が深刻であることが露呈している。

「イスラエル支持=加害者」という思考枠組み

 学生の証言には、議論空間の二極化が如実に表れている。

「ガザ市民の苦しみを案じつつ、イスラエルの自衛権を支持すると言っただけで、‘アパルトヘイト擁護者’と非難される。中立的な立場など存在しないかのようだ」

 この種の排除的構造は、偽情報がもたらす「思考の単純化」の直接的な帰結であり、学術空間における認知的多様性の崩壊を意味する。

大学は何ができるのか──制度的対応の提案

 レポートは具体的な対策として、以下の3点を挙げている。

  1. 偽情報対策教育の義務化
    IT・AI分野の専門家を招聘したワークショップ形式の実践的教育を推奨。
  2. 懲戒制度の明確化と運用強化
    意図的な偽情報の拡散に対し、透明性ある調査と適正な処分を求める。
  3. リアルタイムの政策見直しメカニズム
    「偽情報対策委員会」の設置と、定期的な評価と改善サイクルの構築。

 加えて、過去の報告書で提案されたホロコースト教育の継続的導入も推奨している。

制度的空白をどう埋めるか

 本レポートが示すのは、偽情報が「知の空間」に侵入したとき、自由な議論や学問の基盤がいかに容易に損なわれるかという警鐘である。そしてそれは、単に「意見の相違」ではなく、「事実認識そのものの破壊」を意味している。

 反ユダヤ主義というテーマに限らず、あらゆるマイノリティに関わる制度設計において、偽情報の影響を可視化し、その制御手段を制度的に組み込む必要がある。大学は、その実験場であり、また責任主体でもあるという厳しい問いが、本報告書から突きつけられている。

 なお、本レポートを発行したヘンリー・ジャクソン・ソサエティ(HJS)は、英国の保守系シンクタンクであり、対イスラーム過激主義、対中露強硬、自由民主主義の防衛といった路線を掲げている。これにより、本レポートも「自由社会の脆弱性」や「国家的アイデンティティ防衛」といった文脈の中で読まれるべき側面を持つ。したがって、レポートの内容はそのまま信頼性の根拠とするのではなく、誰が、どのような立場から、何を目的として書いているのかという構造的理解を前提に読み解くことが必要である。

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