「洗脳」や「プロパガンダ」という言葉に、暴力的な全体主義国家の姿を思い浮かべるのは、もはや時代遅れかもしれない。現代では、民主主義国家であっても、権力者がSNSやAIを駆使して世論を操作し、有権者が自ら進んで偽情報に身を委ねる現象が起きている。
2025年2月28日に発表されたAUTHLIBワーキングペーパー『Brainwashing of the People, by the People, with the People』(著:Péter Krekó)は、このような新しい情報操作の形を、制度的・心理的側面の両面から理論化し、スピン独裁や協力的洗脳といった概念を通じて解明している。
スピン独裁とは何か
本論文は、21世紀型の権威主義体制を「スピン独裁(spin dictatorships)」として位置づけている。従来の恐怖政治的な弾圧とは異なり、スピン独裁は暴力ではなく情報操作を主要な支配手段とする。これらのリーダーは選挙を通じて権力を得ており、世論調査やSNSのモニタリングによって有権者の反応を読み取りながら、人気とパフォーマンスによって正当性を維持する。
事例として挙げられるのは、ハンガリー、ロシア、トルコ、シンガポール、インド、エクアドル、ペルーなどで、特にハンガリーのオルバン政権やロシアのプーチン政権は代表的なスピン独裁のモデルとされている。
「騙される大衆」ではなく「協力する大衆」
本稿の主張のひとつは、偽情報が単に上から押し付けられるものではなく、受け手である市民が能動的に「信じたい物語」として受け入れる側面があるという点である。その背景には、部族的なアイデンティティの強化、自己正当化の欲求、政治的・感情的な快感といった心理的動機が作用しているとされる。
また、投票行動や世論形成においては、事実性よりも「象徴的な物語」や「仲間意識」が重視される傾向が指摘され、受け手自身が情報操作に「協力」している状況が分析されている。
真実より面白い物語:なぜ嘘が勝つのか
偽情報が事実よりも広まりやすい理由として、本論文では以下のような非制度的要因が挙げられている。
まず、カリスマ的リーダーの魅力や個性が、伝える物語の信頼性や拡散力を高めること。次に、政治的ナラティブが「悪の他者」「迫りくる危機」「被害者としての自民族」といったわかりやすい構図を提供し、人々の道徳的感情や不安を喚起する仕組み。そして、娯楽性の高い偽情報や陰謀論が、真実よりも受け手にとって魅力的であるという指摘がある。
これらの要素が組み合わさることで、真偽を超えた「信じたい物語」として偽情報が支持されるメカニズムが論じられている。
民主主義 vs スピン独裁:境界の崩壊
本稿はまた、情報操作の技術が民主主義国家でも利用されており、もはや民主主義と非民主主義の境界は情報環境の面では有効でなくなりつつあるという視点を提示している。
たとえば、ドイツ、イタリア、英国、米国といった民主国家においても、政治的権力を持つアクターがボットやトロール、フェイクアカウントを用いて偽情報を拡散する事例が確認されており、これらは制度的な検閲とは異なる形での情報支配とされている。
対抗策の再設計へ:制度ではなく心理への介入
情報操作への対抗策として本稿が提案するのは、従来の「制度による検閲防止」や「啓蒙的な情報提供」に加え、心理的要因に基づいたアプローチである。
とくにメディアの多元性を保ちつつ、デジタルリテラシーを強化することが重要とされているが、その際も「上から目線の指導」ではなく、社会的関係性に根ざしたエンパワメントが有効だとされる。
具体的な実験としては、参加者に「デジタルリテラシーに疎い親戚に向けた手紙」を書かせる介入研究が紹介されており、これによってフェイクニュースへの耐性が向上したという結果が示されている。
まとめ
このワーキングペーパーは、現代の情報操作が「強制されるもの」ではなく「自ら進んで受け入れられるもの」になっているという視点から、プロパガンダや洗脳の概念を再定義している。人びとは「騙される」のではなく、「信じたい物語」を自ら選び取っている。そこにこそ、21世紀型の情報操作の本質がある。
もはや「民主主義だから安心」という前提は通用しない。偽情報と向き合うためには、制度やファクトチェックだけでなく、社会心理そのものへの理解が求められている。
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