2025年5月27日に公開されたVerianがOfcomの委託でまとめた報告書「Co-creating ways to navigate and mitigate against mis and disinformation」は、単なる啓発的メディアリテラシー教材の提示ではない。そこにあるのは、「誰が」「なぜ」偽情報に感受性を持ち、「どのように」そこから抜け出すのかという、社会的・心理的・認知的なプロセスに踏み込む精緻な質的調査である。そして何より特筆すべきは、「共創(co-creation)」というアプローチを通じて、メッセージや支援策を“上から”与えるのではなく、“当事者と共に”組み立てるという姿勢である。
感受性の構造——属性ではなく状況に注目する
本調査では、特定の「脆弱な層」を固定的に想定するのではなく、誤情報への感受性は文脈依存的であり、「誰でもある条件下で騙されうる」という前提から出発している。この観点は、行動科学やリスク認知研究の成果と整合的である。
たとえば、情報の受け取り方には世代差がある。若年層は高齢層の「盲目的信頼」に不安を抱き、高齢層は若年層の「エコーチェンバー依存」に懸念を持つ。だが、こうした互いの投射を超えて、調査参加者は最終的に「誰もがどこかで誤情報に弱い」と認めるに至る。
その感受性を規定する主な要因として以下が挙げられている。
- 情報摂取の様式(能動/受動)
- 情報源の範囲と多様性
- 編集やバイアスへの意識
- 技術的背景への理解(AI、SNS、情報操作のメカニズム)
この多因的構造は、「特定層のリスク管理」ではなく「多様な条件下での誤情報耐性の設計」こそが必要であることを示唆している。
転向のプロセス——人はどのようにして「信じること」をやめるのか
報告書の中核的貢献のひとつは、かつて少数意見(たとえば反ワクチン、陰謀論、気候変動否認)を持っていたが、現在は信じていないという「転向者」たちの語りにある。そこでは、単純な論破や正誤の押し付けではなく、複数の「転機(catalysts)」が段階的に積み重なっていくプロセスが浮かび上がる。
五つの転機
- 直接体験(家族の死、病気など)
- 限界点の到達(情報が過激すぎる、整合性が取れない)
- 他者の意見(尊敬する人物との対話)
- 新しい情報との出会い(大学、職場、信頼できるメディア)
- 証拠の蓄積による閾値超え(一度にではなく、徐々に)
このプロセスは「認知スタイルの転換」ともいえるものであり、説得というよりも「自己変容」に近い。そして、その変容を可能にする環境として重要なのが、「対話の余地があること」「孤立を避けること」「信頼できる支援者の存在」である。
共創される支援戦略とメッセージ設計
この研究が他にない特異性を持つのは、戦略やメッセージを調査者が用意するのではなく、参加者と共に「どのような支援が有効か」を考えるワークショップを行っている点である。そこでは、実在する類型(ペルソナ)に基づいた議論がなされている。
例1:Yasmin(移民の母親)
- 支援:学校からの情報提供、地域コミュニティでの母語対応リテラシー講座
- メッセージ:子どもの安全を守るための知識としての情報検証
例2:Grace(高齢者)
- 支援:教会や地域ボランティアによるサポート、TVの朝番組での啓発
- メッセージ:脅さず、安心を与えるトーン設計。インターネットの利点も強調
例3:Tristan(孤立した陰謀論者)
- 支援:ゲーム内ナラティブやSNSでの間接的介入、安全な対話の場づくり
- メッセージ:「あなたが自分で気づく」構造を優先。正誤の押し付けを避ける
例4:Samir(政治的確証バイアスの強い若年層)
- 支援:複数の政治勢力・メディアが連携して「幅広い視点」を促す
- メッセージ:「自分の考えを補強するために他の意見も聞こう」という自己利益誘導型アプローチ
これらの例は、対象者ごとにチャネル、内容、トーン、送信者をすべて変える必要があることを明示している。そこには、「普遍的メディアリテラシー教育」の限界と、「文脈適応型介入」の必要性がある。
「信頼される声」とは何か——送り手設計の視点
誰が発信するかという問いに対しても、参加者からは多様な意見が出ている。
- 地域のリーダー(教師、宗教指導者、医師、ボランティア)
- 同じ背景を持つ人物(言語、世代、価値観の共有)
- 学者や専門家(ただし中立性が強く求められる)
- セレブやインフルエンサー(一部では信頼性が低いとの意見も)
「送り手の信頼性」は一義的に定まらず、むしろ「受け手との関係性」「文脈」「連携」が鍵になる。たとえば、専門家+地域の顔役のような「二重構造」が有効であるとする指摘もあった。
評価と含意——対話と設計のあいだで
このレポートが提示するのは、「偽情報に強い人を育てる」ではなく、「偽情報に出会っても戻ってこられる環境をつくる」という構想である。それは“防衛”ではなく、“回復力(resilience)”に近い。
そしてその鍵は、知識や技能ではなく「関係性」「空間」「語り方」にある。
- どのような対話が可能か
- どのような空間が開かれているか
- どのような声が届くのか
偽情報対策は、規制でも監視でも教育でもない。「設計」である。そしてそれは、人間の感情と認知の複雑さを前提とした、社会的設計の仕事である。この報告書は、その設計の方向性を具体的に照らす極めて貴重なケーススタディだと言える。
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