栄養に関する誤情報は、もはや「誤解」や「知識の不足」では済まされない。とりわけソーシャルメディア上では、極端な食事法が「医師」や「専門家」を名乗るインフルエンサーによって、感情的共鳴とともに広く拡散されている。Rooted Research Collectiveが2025年5月22日に公開した報告書『Nutrition Misinformation in the Digital Age』(2024–2025)は、この拡散の構造と感情戦略に焦点を当てた。
「ドクター」「反逆者」「起業家」という三類型
報告書が特定したのは、Instagram上で特に高いエンゲージメント率(6%以上)を示した53のアカウント。これらは総計で2,480万人以上のフォロワーを抱え、拡散力において突出している。調査チームはこれらのアカウントを分析し、以下の三つの類型に分類した。
- The Doc:医師資格の有無にかかわらず「Dr」の肩書を使用し、医学的権威を装う。多くは恐怖や制度不信を煽る言説を展開。
- The Rebel:反体制・反科学的な言説をアイデンティティとし、陰謀論と自己啓発を融合させる。
- The Hustler:商品販売や自己ブランド構築を目的とし、成功談とポジティブな情動に訴える「ライフスタイル型」偽情報拡散者。
注目すべきは、医療関連資格の実態と表示との乖離である。分析対象のうち59%がそもそも正式な医療・栄養資格を持たず、それでも「Dr」などの表記を用いていた。また、MD(医学博士)を名乗るアカウントであっても、その専門が精神科や整形外科であり、栄養やNCD(非感染性疾患)に直接関係のないケースが多かった。
感情が駆動する栄養言説
偽情報拡散の中核にあるのは「感情」だ。調査では、53のスーパー・スプレッダーすべてが、以下いずれかの感情的拡散戦略に該当していた。
- Fear-mongering(恐怖):公的機関への不信、食品の「毒性」強調、伝統的食文化との対比などによって不安を喚起。
- Joy-mongering(喜び):個人の「劇的改善」ストーリー、レシピ、活力の回復など、自己実現を強調したポジティブなナラティブ。
- Sprinkling(混入):主にフィットネスや美容、ライフスタイル投稿のなかに偽情報を散りばめ、見落とされやすくする。
このような言説では、種子油や植物性食品が「毒」とされる一方で、赤身肉・レバー・脂肪分が「スーパーフード」として讃えられる。とくに「原始人食」「男性ホルモンの回復」「自由と反抗」といった価値観と結びつけられることで、食習慣は一種の信念体系となっている。
エビデンスとの乖離と、制度的応答の課題
報告書は、WHOやEAT-Lancet、各国の栄養ガイドラインをもとにした「栄養的ベースライン」との整合性も評価している。その結果、スーパー・スプレッダーによる主張の多くが以下の点で逸脱していた:
- 植物性食品の摂取量が極端に少ない
- 飽和脂肪の過剰摂取を奨励
- 栄養的多様性とバランスを否定
特に、こうした情報が医師や「専門家」の語り口で語られることにより、公共の栄養指針が「信頼できない」「裏がある」といった認識が強化されている。報告書は、教育カリキュラムへの批判的思考導入や、医療・栄養専門家によるSNS上での発信強化を提案している。
まとめ
このレポートは、栄養偽情報の拡散が単なる情報精度の問題ではなく、信頼・感情・アイデンティティに根ざした構造的現象であることを明確に示している。そのため、単に「科学的事実を正しく伝える」だけでは対抗できず、エモーショナルな接続、物語性、そしてSNS上の可視性が対抗策として求められる。
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