2025年3月、シリアの沿岸部──ラタキア、タルトゥース、ホムス──で発生した大規模な暴力と虐殺は、従来の宗派対立や内戦の延長線とは異なる、特異な構造を持っていた。暴力を可能にしたのは、武器や組織ではなく、言葉だった。
SNS、説教壇、動画投稿、拡散される画像、歴史の引用、それらのすべてが一つの目的に向かって動いていた。ある特定の集団を「敵」と見なし、暴力を正当化する物語を作り上げるために。
シリアの人権団体STJ(Syrians for Truth and Justice)はこの過程を詳細に記録し、報告書『The Role of Hate Speech in the Massacres that Took Place in the Coastal Region in March 2025』(2025年5月26日公開)にまとめた。本稿では、同報告書を紹介しつつ、なぜこの事件が「ヘイトスピーチによって引き起こされた虐殺」と呼ばれるに至ったのかを整理する。
沿岸部の暴力──発端と情報環境
2025年3月6日、地中海沿岸の都市ジャブラとその周辺で、武装グループによる治安部隊襲撃事件が発生し、15人以上が死亡した。新政府は、これを「前政権の残党」による反乱と位置づけ、治安部隊と軍を動員して、ラタキア、ホムス、タルトゥース各県で掃討作戦を開始した。
だがこの軍事行動は、同時進行していた情報の暴走と切り離せない。
SNSや一部メディアは、この襲撃を「アサド派によるクーデター未遂」「イランの支援を受けた内乱」と報じ、事件の性質を宗派的な枠組みに当てはめた。アサド前政権の支持基盤であるアラウィー派(Alawites)──イスラム教シーア派の一分派であり、シリアの少数派──が、スンナ派住民の安全を脅かしているという物語が広がった。
一部地域では、モスクのスピーカーから「総動員」が呼びかけられ、オンライン上では「裏切り者への報復」「アラウィーの殲滅」といった過激な言葉が急速に拡散された。
ヘイトスピーチの拡張──敵の輪郭を作る言葉たち
報告書第5章は、こうした言説の広がり方と内容を、膨大な実例をもとに整理している。
まず注目すべきは、「アラウィー=アサド支持者=敵」という集団同一視である。襲撃の実行者が誰であれ、アラウィー派という宗派全体が「残党」「テロリスト」「裏切り者」として描かれ、その一括りが暴力の正当化に用いられた。
政治的には、「アラウィーはアサド体制と一体化した加害者だ」という語りが広まり、宗教的には中世の学者イブン・タイミーヤによるファトワ──アラウィーを「背教者」とし、イスラム共同体から排除すべきとする教義解釈──が繰り返し引用された。
たとえば、以下のような投稿や動画が拡散された。
- 「この宗派(ナサイリー)は1400年前の戦いの復讐として、我々を殺し続けてきた。」
- 「彼らは異教徒であり、殺害は信仰において許される行為だ。」
- 「アラウィーの存在がある限り、この地に平和は訪れない。」
宗派名「ナサイリー(Nusayriyyah)」はアラウィー派を侮蔑的に呼ぶ言葉として使用され、歴史的怨念と宗教的正当化が組み合わされることで、暴力は「罪」ではなく「義務」へと変容した。
海外からの火種──越境する憎悪
この現象が特異だったのは、煽動の発信源が国外にもあったことだ。
- ドイツ在住の難民Mohamad Jaddouは、自身の動画で「アラウィー、シーア派、ドルーズ派は、ユダヤ人よりも先に戦うべき敵」と語った。この動画はドイツの極右政党AfDの政治家によっても拡散され、Jaddou本人はドイツ当局から尋問を受け、投稿を削除する事態となった。
- オランダではTikTokで「アラウィーを海に投げろ。魚が飢えないように」と発言した女性が逮捕された。
こうした越境的なヘイトスピーチは、国外在住のシリア人インフルエンサーがもつ影響力が暴力の呼び水となる可能性を示している。
虐殺の記録──言葉が殺しを可能にする
STJの報告書には、具体的な暴力の記録が数多く含まれる。
- 2025年1月、ホムス県ファヘル村では、ムルシディーヤ派(アラウィーに近い信仰を持つ宗派)の住民15人が集団で殺害された。
- アラウィー派出身の判事、宗教指導者、社会的に著名な人物が暗殺された。
- 拘束されたアラウィーの若者に犬の鳴き声を出させたり、屈辱的なスローガンを叫ばせるなどの人格破壊的な扱いが行われた。
- ラタキアのジャブラでは、群衆がアラウィーを標的にしたスローガンを叫びながらデモ行進を行った。
また、これらの暴力を正当化するチラシや画像がオンライン上で共有された。たとえば:
- 「ナサイリーはキリスト教徒やユダヤ人よりも危険な異端者だ」
- 「彼らを殺すことは義務である」
という言葉が印字されたビラがラタキア市内で配布されていた。
大統領演説という「許可」
2025年3月7日、アフマド・シャール大統領は全国向けの演説で「国家と国民に分裂はなく、裏切り者には情けをかけない」と述べた。報告書は、この曖昧な「裏切り者」が、当時の聴衆にとっては「アラウィー派」全体を指すものとして受け取られた可能性が高いと指摘している。
こうした文脈においては、「行き過ぎるな」と言葉で留保しても、既に暴力を行う側にとっては国家からのお墨付きとして機能してしまう。
法の不在と処罰の空白
報告書は、こうした状況を許した法的・制度的な問題にも焦点を当てている。2025年3月に制定された暫定憲法は「社会的和解」や「共生」を謳うものの、ヘイトスピーチを明確に違法とする条文は存在しない。実際のところ、宗教指導者や個人による煽動発言には処罰が科されず、むしろ拡散されたまま放置されていた。
終わりに──これは「どこかの国の話」ではない
この報告書が私たちに突きつけているのは、「暴力は突然爆発するのではなく、言葉によって準備される」という厳しい現実である。敵意を煽る言葉が無数に繰り返されることで、誰かを殺すことが「当然」になってしまう。その瞬間を防ぐ制度がなければ、暴力は加速し続ける。
そして重要なのは、これがシリアという特殊な国の話ではないということだ。SNSを通じて言葉が拡散し、誰かを敵と見なす語りが日常化する社会では、どこであっても同じ構造が成立しうる。
「言葉が引き金になる」時代において、我々はその言葉が何を生み出すのかを、冷静に見つめる必要がある。
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