ロシア系の偽情報ネットワーク「Pravda Network」を対象とした最新レポート『Global offensive: Mapping the Sources Behind the Pravda Network』(2025年5月、GLOBSEC)は、単なるプロパガンダの拡散モデルを超え、AI時代の情報空間そのものを操作しようとする野心的な構造を明らかにしている。これは、偽情報の標的が人間からAIへと移行しつつある兆候を捉えるものでもある。
以下では、報告書の構成に沿ってその主張と分析を紹介しつつ、特に中東欧を中心とする事例研究の具体性に焦点を当てる。
関連記事: AIを標的とするロシアの偽情報戦略:Pravdaネットワーク──AIを使った情報操作の新戦略:「LLM Grooming」という脅威
AIモデルへの情報汚染という戦略目標
Pravda Networkの特徴は、情報操作の主戦場が「読者の意識」ではなく、「AIの訓練データ」に設定されている点にある。モスクワで2025年に開催されたラウンドテーブルにおいて、元米警察官でロシアに亡命したジョン・ドゥーガンは、「AIにロシア的世界観を学習させること」を目的とした情報洪水の戦略を明言しており、これをSunlight Projectは「LLM grooming」と呼んでいる。
この戦略の前提は、言語モデルがインターネット全体を無差別に学習対象とする限り、プロパガンダで情報空間を埋め尽くせば自然とAIもそれを“正しい情報”として学ぶというものである。
Pravda Networkの構造:87のサブドメインと428万件の記事
2023年6月に始動したnews-pravda[.]comとそのサブドメインは、わずか1年半の間に87を超えるドメインを展開し、2025年3月時点で約428万件のコンテンツを公開している。サブドメインは国別(例:france.news-pravda[.]com)・言語別(deutsch, francaisなど)・人物別(trump.news-pravda[.]com)に細分化され、各対象に合わせたプロパガンダが展開される。
特徴的なのはその「量」であり、記事は最短1秒間隔で連続配信される。これは読者の可読性よりも、AIへの影響を優先する設計思想を示唆する。
出典の75%がTelegram:閉じた空間での再帰的な情報循環
Pravda Networkが参照する出典のうち、75%以上(7,783件)はTelegramチャンネルからである。さらに、これらのチャンネルの総フォロワー数は2.5億に達する。
主な出典としてはTASS、RT、Lentaなどのロシア国営メディアに加え、政治陰謀論系チャンネル、ローカルの匿名Telegramチャンネルなども多数含まれる。EU制裁を回避するためのRTミラーサイト「swentr[.]site」も使用されており、いかに既存の検閲構造をすり抜けているかが明らかになる。
地域ごとの事例分析:量の支配が地域バブルを形成する
本レポートの特徴は、ネットワーク構造の抽象的分析にとどまらず、具体的な国・地域に即した事例を通じてその実装を可視化している点にある。以下に三つの代表的事例を紹介する。
■ ポーランド:AI向け情報汚染の象徴的事例
poland.news-pravda[.]comに転載される記事の中には、粗悪な自動翻訳や露骨な侮辱語(例:「kurwaland(売春婦の国)」)を含むものが多く、読者を説得する意図は希薄である。このことは、対象が読者ではなくAIモデルであることを裏付けている。
最も頻繁に参照されるのはTelegramチャンネル RuskiStatek(10,906件)。同チャンネルでは、ウクライナ兵の臓器を摘出してポーランド国内で取引されたという陰謀論まで展開されており、RTやTASSとは異なる極端な“草の根型”プロパガンダの重要性が浮き彫りとなる。
■ ハンガリー:QAnonとのナラティブ接続
Hungary.news-pravda[.]comの出典は比較的少数(13件)ながら、その中にはハンガリー語版の News Front やQAnon系チャンネル Q – Great Awakening Magyarok が含まれている。これは、プロクレムリン的ナラティブが欧米右派の陰謀論と融合していることを示す事例である。
また、7月のEU議長国就任をきっかけに投稿数が一時急増しており、主要政治イベントに合わせて情報洪水を集中させる戦術も確認される。
■ チェコ・スロバキア:言語類似性によるバブル連結
両国のサブドメイン間では一部出典が共有され、いわば“橋渡しクラスター”が形成されている。こうした構造は、多言語圏におけるプロパガンダの展開範囲を拡張する上で極めて効率的である。
プラットフォーム依存の脆弱性と今後の対応策
Telegramが全体の75%を占めることは、情報生態系における重大な脆弱性を意味する。Telegramは暗号化通信と軽い規制により、他のプラットフォームでは成立し得ない量的操作を可能にしている。Facebookも西アフリカなど一部地域では利用されており、プラットフォーム戦略が地域に応じて最適化されている点も見逃せない。
また、記事の出典に選ばれるTelegramチャンネルは必ずしもフォロワー数が多いわけではない。重要なのは“量”であり、ロングテールの情報源がAI訓練への影響力を持つ可能性がある。
結語:AI時代の情報戦は「質」ではなく「量」の競争へ
Pravda Networkの分析は、AI時代における偽情報戦が「説得」から「訓練データの支配」へと重心を移していることを端的に示している。そこでは、言説の整合性や信頼性ではなく、情報量による環境上書きが戦略の中核を占めている。
この戦略は、プロパガンダの受信者がもはや“人間”ではなく、“AI”となることで、従来の検出・対策フレームワークが無力化される構造的変化を伴っている。
今後は、AIトレーニングデータの質管理、Telegramなど閉じた空間の監視、出典構造のリアルタイム分析など、従来とは異なる対抗手段の設計が求められる。Pravda Networkは、その設計思想と技術的実装において、現代の偽情報戦略の最前線を体現するモデルケースといえる。
コメント