2025年6月に公開されたEU DisinfoLabおよびLogicallyによる調査レポート『HEAT: Harmful Environmental Agendas & Tactics』は、気候変動に関する偽情報が単なる「科学否認」ではなく、制度不信・文化戦争・国家的影響工作に絡んだ複合的現象へと変化していることを明確に示している。対象国はドイツ・フランス・オランダの3カ国。プラットフォーム横断で数万件の投稿を分析し、ナラティブの構造とその拡散手法が解剖されている。
「気候変動は嘘だ」から「気候政策は支配装置だ」へ
もっとも注目すべき点は、いわゆる「気候否認」がもはや中心ではないという点だ。CO₂の温暖化効果を否定する言説は、全体として後景に退いている。代わりに、以下のような新たな言説が主流になりつつある:
- 気候政策はエリートによる社会統制の手段である
- 環境対策は中産階級を締めつけ、富裕層を利する
- 国際機関(EU、国連、WEF)は主権を侵害する
このようなナラティブは、疑似科学的主張と結びつくだけでなく、政治的不信・制度的不信の文脈で再構成される。気候変動は、あたかもパンデミックや移民問題と同様、「現代の管理型社会が市民を支配するための物語」として位置づけられるのだ。
プラットフォームによる役割分担:X、Facebook、Telegram
分析対象のSNSはX、Facebook、Telegramが中心であり、ナラティブの形成と拡散の担い手はそれぞれに異なる機能を果たしている。
- X:ハッシュタグ戦術とコメントハイジャックによる瞬発的拡散(例:#Klimadiktatur、#Escrologistes)
- Facebook:EIKEやClintelといった疑似科学団体が「信頼性」を装って再帰的にナラティブを補強
- Telegram:長文の陰謀論コンテンツと映像素材が集積され、他プラットフォームへの素材供給源となっている
特にTelegramは、HAARP(電磁波兵器)、geoengineering(気象操作)、chemtrails(飛行機雲陰謀論)といったナラティブの中核的拠点となっており、COVID-19期からの陰謀論エコシステムと連続している。
Portal Kombat:ロシア発のナラティブ・リサイクル構造
本レポートが明示的に特定している敵対的アクターはロシア系のメディアネットワーク「Portal Kombat」である。RTの公式サイトがEU内で遮断される中、このネットワークはPravda DE(ドイツ語)、Pravda Français(フランス語)、Pravda Nederland(オランダ語)などのミラードメインを通じて、戦略的にナラティブを「ローカライズ」している。
特徴的なのは、英語圏で流通した陰謀論を、各国の社会的関心に合わせて変形する点だ。たとえば:
- フランスではZFE(低排出ゾーン)政策と都市監視社会論が結びつけられる
- オランダでは農業・酪農政策と反グローバル主義が接続される
- ドイツではHeizungsgesetz(暖房法案)を中心に「脱産業化」と結びつけられる
こうした手法は、低コストながら効果的な認知操作であり、TelegramからFacebookへの「copypasta」(コピペ文言)戦術を通じて、拡散のスピードとローカル感を両立させている。
「合法だが有害な言説」に制度は追いついていない
ポートが強調するのは、これらの言説の多くが「違法」ではなく「合法の範囲内」にある点だ。CO₂を「命のエリクサー」と称賛したり、気候モデルに対する疑念を「健全な批判」として装う投稿は、プラットフォームの規約にも触れず、DSA(デジタルサービス法)上も現状では規制対象とされない。
このような「合法だが有害」なナラティブの流通が制度的信頼の基盤を侵食する現状は、COVID-19期に見られた「科学への疑念」と酷似している。とくに、Clintel、EIKE、Sud Radio、Valeurs Actuellesといった既存メディアや団体がこの言説に与することで、真偽の判別が一層困難になる構造ができあがっている。
今後の制度対応に求められる視座
レポートは政策提言として、気候偽情報を「システミックリスク」としてDSA上に明示的に組み込むことを求めている。また、CIBの定義と検出メカニズムの強化、再生アルゴリズムの透明化、そして国家単位でのリスク評価と欧州レベルでの統合的対応の必要性が指摘されている。
しかし本質的な課題は、「科学の問題」から「統治の正統性」への転化にある。気候政策をめぐる偽情報のエコシステムは、民主的意思決定と制度的信頼の基盤を標的としており、その対応にはメディア、学術、政策、技術の連携を前提とした戦略的思考が不可欠である。
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