Kosovo 2.0とMedia Diversity Institute Western Balkansが共同で行ったヘイト言説モニタリングは、2024年1月から2025年6月までの18か月間にわたって、コソボ国内で発信されたオンライン記事、SNS投稿、テレビ報道などを横断的に収集し、ヘイトと偽情報(HDD)を体系的に観測したものである。著者はジャーナリストのVlora Konushevci。報告はEUおよびSMART Balkansプロジェクトの支援を受け、バルカン地域全体で実施されているReporting Diversity Network(RDN)の一環として作成された。法的なヘイトスピーチの定義にとどまらず、社会における排除や敵意の構造を、言葉そのものの形で測定することが目的とされている。RDNの手法は量的・質的分析を統合するもので、各発言を「誰が・どこで・どのように発し、誰を対象としているか」という文脈情報とともに記録し、内容を6段階の毒性スケールで評価する。
データと手法——言葉の強度を数値化する
報告書は114件の事例を分析対象とした。発言の毒性は、ジョージ・ワシントン大学で開発された尺度に基づき、1を「意見の不一致」、6を「殺害の明示」とする6段階で符号化される。平均スコアは3.10。人格攻撃にあたるレベル3が78件と最も多く、社会的議論の中で「相手を侮辱すること」が恒常的に発生していることを示す。さらに、暴力の扇動に分類されるレベル5が15件、殺害の明示(レベル6)も少数ながら存在した。対象カテゴリーでは民族関連の事例が27件で最も多く、ジェンダー22件、ジャーナリスト14件、宗教14件、ホモフォビア12件が続く。複合差別が含まれるケースも多く、報告では主カテゴリに配分したうえで分析を行っている。
加害者の属性を見ると、私人によるものが約42%(50件)と最多だが、政治家20件、メディア関係者15件も含まれ、制度的な発話と私的な感情表現が同じ空間で交差している。政治的立場を持つ人物の発言がSNS上で「私人の意見」として流通する構造は、責任の所在を曖昧にし、公共空間の毒性を高める結果となっている。
Facebookが支配する可視空間
拡散経路の分析では、Facebookが圧倒的な中心を占める。114件中76件以上でFacebookが関与しており、他のSNSやニュースポータル、YouTube、Telegramを上回る。報告書は「コソボにおけるヘイトの可視性は、ほとんどがFacebookのコメント欄に依存している」と述べる。投稿そのものよりも、コメント欄で交わされる反応や再共有が、ヘイトを増幅させていく過程が観測された。フォロワー数の多い媒体ほど高毒性の発言が集中する傾向があり、TV10の公式ページでは到達数約30.9万、Gazeta Blicが47.9万、KosSevが7万、RTV Dukagjini(YouTube)でも約2万の閲覧が確認された。可視性の高さがそのまま社会的影響力を意味する状況で、コメント欄の無管理が暴力的言語の温床となっている。報告は、SNS上の可視性構造そのものが「言説の暴力性」を決定する要因になっていることを明確に指摘している。
宗教と民族の交錯——改宗を「国家の裏切り」とみなす言葉
最も典型的なナラティブのひとつは、宗教的・民族的忠誠をめぐる言説である。2025年4月、宗教活動家Arbër Gashiが著名な家系のカトリック改宗を称賛したところ、イスラム聖職者がSNS上で「悪魔の運動」「アルバニア性を破壊する者の子犬」「惨めな死体」と投稿した。この一件は、宗教的非難がそのまま民族的忠誠の問題へ転化する構図を示している。宗教的帰属が国家への忠誠と結びつき、「信仰の変更=裏切り」とみなされる。さらに、Reçak虐殺25周年をめぐる否認発言でも同様の言語構造が観察され、過去の戦争記憶と宗教的アイデンティティが一体化して社会的対立を再生産している。
報告書は、こうした発言の特徴を「国家的忠誠の言語が宗教的規範の形をとって語られる」点に見いだしている。宗教は信仰の問題としてよりも、共同体の境界を定義する装置として機能しており、その境界を越える者は言葉の上で共同体から追放される。この構造が、ヘイトを単なる罵倒ではなく社会的秩序の確認行為に変えている。
ジェンダーと公共圏——女性・LGBTIQ+への攻撃
ジェンダーと性的指向をめぐる攻撃も顕著である。女性政治家Vlora Çitakuには「PANの売女スパイ」、活動家Zana Avdiuには「売女、陰湿なレズビアン」といった投稿が繰り返され、性的侮辱が政治的非国民化と結びつく。トランス女性Edona Jamesに対しては「捕まえて殺せ(Kapne mar vrane)」という殺害扇動(レベル5)が確認された。報告書はこれらを、単なる個人への暴言ではなく「国家的道徳秩序を維持するための社会的警察行為」として読み解く。すなわち、攻撃の言葉は特定の個人を傷つけるためだけでなく、誰が公共圏で発言する資格を持つかを規定し、排除する機能を持っている。
この構図はメディア報道にも及ぶ。女性への暴力事件を報じる記事では、加害者の発言を見出しとして再利用し、被害者の存在がかえって矮小化される。Fushë Kosovëでの未遂事件、Gushtericë e Poshtmeでの既遂事件では、加害者の言葉「彼女を殺すつもりでやった」がそのままタイトルに使われ、読者の注目を引くセンセーショナリズムが被害者保護より優先された。コメント欄では被害者非難が氾濫し、民族差別とミソジニーが結びついた二次的ヘイトが発生した。こうしてメディア自体が暴力言説の再生産装置となる構造が明らかにされている。
国際紛争を通じた宗教敵意の再動員
ガザ戦争をめぐる言説も、宗教的対立の言語を通じて国内に持ち込まれている。首相Albin Kurtiに対しては「神なき豚、アッラーがお前を罰する」といった罵倒が広がり、国際政治への怒りが宗教的背教の物語に変換された。カトリック修道女の日常を紹介する報道には「宗教ではなく精神疾患だ」というコメントが集中し、信仰のあり方そのものが嘲笑と排除の対象となる。地政学的事件が、宗教的純化や道徳的優越の語彙を再活性化させるトリガーとして機能している。
制度的対応と市民社会の限界
こうした暴力的言説に対して、制度的対応はきわめて脆弱である。情報・プライバシー庁やプレス評議会は倫理的警告を発するが、法的制裁はほとんど行われていない。市民社会組織(BIRN、D4Dなど)はメディア・リテラシー教育や対話イベントを実施しているが、継続的なモデレーション体制を支える仕組みは整っていない。報告書は、暴力的話題に対するプリモデレーション(事前承認)、高リスク言説の自動フィルタ、常習的炎上面での一時コメント停止といった実務的措置を提案している。これらは表現規制ではなく、「可視空間の安全設計」としての制度的補強を意図するものである。
言葉が示す社会の秩序
最終的にこの報告書が明らかにしているのは、ヘイトが個人の悪意ではなく、社会が自らの秩序を確認するための言語的行為として機能しているという点である。宗教・民族・ジェンダー・国家忠誠という複数の軸が同じ語彙の中で交差し、Facebookという可視空間のなかで繰り返し再生産される。平均3.10というスコアは、コソボ社会が恒常的に「人格攻撃」を許容する温度にあることを示し、ヘイトはもはや異常な出来事ではなく社会の日常の一部になっている。暴言の記録にとどまらず、ヘイトがどのように社会の境界線を引き直し、排除の言語を再構成しているのかを可視化した点に、この報告書の学術的価値がある。

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