近年、SNSは中東・北アフリカ(MENA)地域においても市民社会の活性化に大きな役割を果たしてきた。とりわけ女性たちは、物理的な制限を越えて社会参加の声を上げられるようになった。一方で、同じオンライン空間が、彼女たちを標的としたヘイトや嫌がらせの場にもなっている。
本記事で紹介するのは、欧州連合(EU)の支援を受けてInstitute for Strategic Dialogue(ISD)が2025年4月16日に公開したレポート『Online Hate Speech in Jordan: The Suppression of Women’s Voices』である。本報告書は、SNS上における女性へのヘイトスピーチ、特にミソジニー(女性蔑視)の実態を定量・定性的に調査したものであり、政策的対応とプラットフォーム設計の両面からの提言も含まれている。
調査の概要と方法
調査対象
本調査では、2024年7月から2025年1月までの7か月間にわたり、以下の3つの主要SNSを対象とした。
- X(旧Twitter):45,522件の投稿・コメント(8,451アカウント)を収集
- Facebook / YouTube:手動でアカウント・投稿を特定・分析
投稿の中から「ミソジニー的」なものを抽出するために、以下のような具体的基準を設けた:
- 女性に対する侮辱的・非人間化的言語
- 性的な脅迫や暴力の示唆
- 「女性の権利」に反対するレトリック
- Arabizi(ラテン文字で書かれたアラビア語)などによるモデレーション回避手法の使用
その結果、6,784件(全体の15%)がミソジニー的内容を含むと判断された。
どのような言葉が使われているのか
事例1:非人間化と侮辱
最大の分類は、女性を動物やモノにたとえる侮辱である。以下は実際に確認された投稿の例だ。
「お前の身体は売り物なんだろ、ヴェールもかぶってないんだから」
「女は政治に口を出すな。戦争は男の領分だ」
「あいつは牛。意見を言う資格はない」
中には、女性を犬、ロバ、靴といったモチーフに喩える投稿も多数確認されている。こうした表現は、単なる侮辱を超えて女性の人間性そのものを否定し、言論から排除する効果を持つ。
事例2:「家庭に戻れ」とする伝統主義
次に多かったのは、「女は家にいるべき」というジェンダー規範の強調である。
「料理ができない女は精神的に問題がある」
「すべての道はキッチンに通じている」
「働く女と結婚するな。専業主婦が一番」
こうした投稿には、「教育を受けると女性らしさが失われる」といった主張も見られる。
事例3:脅迫や名誉攻撃
数は少ないが深刻なのが、女性に対する脅迫的言説や組織的嫌がらせである。特に公共の場に立つ女性(政治家、記者、人権活動家など)に対しては、誹謗中傷や殺害予告まがいの投稿も確認された。
「議会を批判した女司会者は、今に靴を舐めさせられるぞ」
「あの女弁護士は西洋フェミニズムを輸入してる。告発すべきだ」
弁護士のハラ・アルアヘド氏が「フェミニズムに関する講義を行う」と公表した際には、フェイスブックやYouTubeで組織的な嫌がらせキャンペーンが展開され、彼女は「国の名誉を傷つけた」として激しい非難にさらされた。
何が背景にあるのか
報告書は、こうしたミソジニー言説が単なる個人の暴言ではなく、構造的な家父長制と結びついた社会的現象であるとする。
- ヨルダンにはいまなお強固な伝統的性別役割が根づいており、SNS上でもそれが再生産されている。
- FacebookやYouTubeでは、レッドピル思想を掲げるインフルエンサーが、「女性の自由は家庭を破壊する」「西洋的価値観に染まった女は信用できない」と主張し、多数のフォロワーを獲得している。
- 投稿の中には、「大学に通う女はビッチ」「働く女は女じゃない」といった教育や労働への嫌悪を表明する発言も確認されている。
SNSプラットフォームの対応は?
Xでは、一部の投稿に「可視性制限」のラベルが付けられているものの、投稿自体は削除されておらず閲覧可能なままになっている。
また、Arabiziやスペル改変(例:「7abiba」=「حبيبة」)を使うことで、自動モデレーションを回避する投稿も多く確認されており、プラットフォームの対応の限界が浮き彫りになっている。
提言:必要なのは文化と制度の両輪
報告書は、以下のような具体的提言を提示している:
- トラウマに配慮したデジタル・リテラシー教育を市民社会主導で構築
- ゲームなどを活用した若者向け啓発コンテンツの開発
- プラットフォーム側における人間とAIの併用モデレーション体制の強化
- EUのデジタルサービス法(DSA)に準じた国内制度設計の検討(透明性義務・監督強化)
おわりに
『Online Hate Speech in Jordan』は、SNS上にあふれるミソジニーが単なる「ネット上の言い争い」ではなく、構造的なジェンダー暴力の延長線上にあることを丹念に描き出している。そして、それはヨルダンに限られた問題ではない。
「声を上げる女性」を黙らせようとする力がどのように言語化され、拡散されていくのか──本報告書は、そこに正面から向き合おうとしている。
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