Reporters Without Borders(国境なき記者団、RSF)は2026年7月、報告書「National Security as a Weapon Against Journalism」を発表した。RSFはパリに本部を置き、14の拠点と150人以上の通信員を世界に持つ報道の自由擁護団体であり、国連およびユネスコに諮問資格を有する。本報告書はRSFの編集チームが各地域担当者の協力のもとで執筆したアドボカシー文書であり、報道の自由の保護を目的とする立場から書かれている点をあらかじめ明記しておく必要がある。2025年にRSFが支援した記者749人のうち55%が国外への逃亡を余儀なくされたという同団体独自のデータも用いられており、事例収集と分析はRSFの世界的なネットワークに依拠している。
報告書の中心的主張は、「国家安全保障」という概念が本来の防衛・諜報領域を超えて拡張され続け、報道統制の口実に転用されているというものである。RSFの世界報道自由度ランキングにおける法的指標は2026年版で最も深刻な悪化を記録し、調査対象180の国・地域のうち110、すなわち6割超で前年からスコアが低下した。インド(157位)、エジプト(169位)、イスラエル(116位)、ジョージア(135位)がその典型例として挙げられている。報告書は、この悪化の背景に緊急事態法制の濫用と司法制度への依存の高まりがあると分析し、民主主義国と権威主義国の双方に共通する現象として位置づけている点に特徴がある。
「スパイ」「テロリスト」という語彙の拡張
報告書の第一部は、国家がジャーナリストを「スパイ」「裏切り者」「テロリスト」と呼ぶ際の法的枠組みを検証する。米国では1917年制定のスパイ防止法(Espionage Act)が繰り返し濫用されてきた歴史があり、2020年には司法省がウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジを同法で起訴し、出版者に同法が適用された初の事例となった。アサンジは自身がオーストラリア国籍でありながら、ロンドンのベルマーシュ刑務所に1901日間拘束され、2024年6月25日に「国防情報の取得・開示の共謀」の一件について有罪を認め、既に服役した62か月分の刑期をもって釈放された。同法には公益の抗弁規定がなく、この欠陥は現在も現役の記者に影響を及ぼしている。2026年1月、連邦捜査局(FBI)はワシントン・ポスト記者ハンナ・ナタンソンの自宅を家宅捜索し、数千件に及ぶ機密情報源に関わる可能性のある機器を押収した。トランプ政権は同法違反の可能性を主張しており、事件は執筆時点で係争中である。
ロシアでは「外国エージェント法」(2012年制定)と「好ましくない組織法」(2015年制定)がジャーナリズム統制の中核的手法となっている。前者は海外の影響下にあるとみなされたメディアや個人に対し、発表するすべてのコンテンツに通常の2倍の文字サイズで「外国エージェント」表記を義務付けるもので、対象の3分の1が独立系メディアである。ロシアの人権団体OVD-Infoの集計によれば、2022年2月の全面侵攻開始以降、外国エージェントまたは好ましくない組織に指定されたメディア関係者の数は6倍に増加した。RSF自身も2025年8月に好ましくない組織として指定されている。ロシアの法律事務所Perviy Otdel(「第一部」の意)によれば、スパイ罪・反逆罪の有罪判決は2025年に過去最多を記録し、2026年第1四半期には反逆罪の新規訴追件数が前年同期比20%増加した。同事務所の報告書は、実際には国家機密へのアクセスを一切持たない人物に対しても寄付や通信、「犯意」を証拠として容疑がかけられている実態を指摘している。
中国は現在120人以上のジャーナリストを収監しており、世界最大の記者拘束国である。中国刑法には国家安全に関わる罪状が12条含まれ、「テロリズム」「分離主義」「国家転覆」「国家転覆扇動」「外国勢力との結託」「スパイ」の有罪判決には終身刑が科されうる。香港国家安全維持法は2020年の施行以降、少なくとも28人のジャーナリストの訴追根拠となり、うち8人が拘束されたままである。具体的な事例として、#MeToo運動の中心人物である調査報道記者ホアン・シュエチン(黄雪琴、37歳)は「国家政権転覆扇動」で2024年に懲役5年の判決を受け拷問と独房拘禁の報告がある。Apple Daily創設者で英国籍のジミー・ライ(黎智英、78歳)は2020年12月の拘束以来独房に置かれ、2026年2月に「外国勢力との結託」で懲役20年の判決を受けた。ウイグル語ニュースサイトUyghurbiz創設者イルハム・トフティ(57歳)は「分離主義」で2014年から終身刑に服し、香港拠点の出版社Mighty Current創設者でスウェーデン国籍のグイ・ミンハイ(桂民海、62歳)は2015年10月にタイで中国国家工作員に拉致され、「スパイ」罪で懲役10年、国連は2025年12月にその拘束を恣意的と公式に認定した。
偽情報対策・サイバーセキュリティ・気候報道への拡張
報告書第一部後半は、「偽情報」「フェイクニュース」対策や サイバーセキュリティ法制が新たな弾圧の口実として機能している実態を扱う。誤情報や外国による悪意ある影響工作が実在の脅威であるという事実そのものが、正当な報道を「フェイクニュース」と分類し処罰する動きを正当化しやすくしていると報告書は指摘する。キューバでは2024年施行の社会的コミュニケーション法により独立系記者が「政府に対するプロパガンダ」「傭兵行為」の容疑で尋問される事例が増加し、ベトナムでは刑法117条(「反国家文書の流布」)により2019年RSF報道の自由賞受賞者ファム・ドアン・チャン(Luat Khoa、The Vietnamese共同創設者)が懲役9年に服している。イランでは2022年9月の「女性・生命・自由」抗議運動以降、100人超の記者が拘束され、エラヘ・モハマディ、ニルーファル・ハメディら複数の記者が国家安全保障に対する陰謀・共謀の罪で起訴された。
サイバーセキュリティ法の濫用はサヘル地域でも顕著である。ニジェールでは2010年の新聞法で報道犯罪への禁固刑が廃止されたにもかかわらず、2024年6月に改正されたサイバー犯罪法により「名誉毀損」「侮辱」「公序を乱す情報の流布」に禁固刑が復活し、2025年9月以降7人の記者が同法の対象となった。うちイブロ・シャイブ(サラウニア・ラジオ・テレビジョン)ら3人が現在も拘束されている。パキスタンでは2016年制定の電子犯罪防止法(PECA)が2025年に改正され、政府統制下の規制機関が新設されるとともに「虚偽」「禁止」コンテンツの共有に最長3年の禁固刑が導入された。改正後、少なくとも9人の報道関係者が同法により訴追されている。
国家安全保障の概念は環境・公衆衛生領域にも及ぶ。インドの記者ルペシュ・クマール・シンは、ジャールカンド州における産業汚染の影響を調査する報道を続けてきたが、2022年7月15日の報告書公表2日後に逮捕され、インドの厳格な対テロ法である違法活動防止法(UAPA)のもとで5件の訴追を受けている。同法は立証責任を被告に転嫁する規定を持つ。ミャンマーの記者兼映画製作者シン・デウェは環境問題の調査取材中の2023年10月に逮捕され、対テロ法のもとで「テロ支援・幇助」により終身刑(のち懲役15年に減刑)を言い渡され、2025年4月に900日超の拘束を経て釈放された。
監視と「愛国的報道」の圧力
第二部は、国家安全保障の名の下で行われる違法監視と、政治指導者による報道敵視のレトリックを検証する。ギリシャでは2022年、金融記者タナシス・クカキスが自身のスマートフォンにPredatorスパイウェアが仕込まれていたことを発見し、閣僚を含む複数の政治家と少なくとも13人の報道関係者が標的にされていたことが判明した(「Predatorgate」)。2026年2月にアテネの裁判所が盗聴事件で4人に有罪判決を下したものの、実際に尋問されたのは立証済みの被害者2人のみで、監視を指示した高官の責任は問われていない。コロンビアでは2019年2月から12月にかけて陸軍部隊が130人超の市民を監視した「秘密のフォルダ」事件が発覚し、ニューヨーク・タイムズ特派員ニック・ケイシーを含む複数の記者が対象となった。懲戒処分を受けたのは退役将官2人を含む9人にとどまり、刑事訴追には至っていない。対照的にチリでは、汚職を暴いた調査報道記者マウリシオ・ワイベル・バラホナに対する違法盗聴「オペレーションW」(2017年)の首謀者である陸軍情報局長シャフィク・ナサル将軍と担当判事フアン・アントニオ・ポブレテ・メンデスが起訴され、検察は各20年の禁固刑を求刑している。ワイベルが起草した報道保護モデル法はチリ下院を通過し、上院での批准を待つ段階にある。
政治指導者による報道敵視の言説も各国で確認される。インドではモディ首相が政権批判的な報道を「アーバン・ナクサル」(農村部で武装闘争を展開するマオイスト反乱勢力ナクサライトになぞらえた蔑称)と呼び、米国ではトランプ大統領がニューヨーク・タイムズを「国民の敵」と呼んだ数分後に支持者が集会の記者席への突入を試みた事例が報告されている。2026年春には司法省がワシントン・ポストとウォール・ストリート・ジャーナルの記者に対し、国家安全保障の漏洩調査の一環として大陪審での証言を求める召喚状を発行し、後に撤回された。ハンガリーでは2024年設立の「主権保護局」が少なくとも15人の記者・国際メディア関係者(RSFとその現地通信員を含む)を標的とし、2026年4月のオルバン政権敗北後に新政権が同局の解体に動いている。アルゼンチンでは2024年の調査(アルゼンチン・ジャーナリズムフォーラム、FOPEA)によれば、ミレイ政権発足当初4か月間の報道への攻撃の40%が政府発信であった。
紛争の脅威の武器化と情報空白地帯
第三部は、緊急事態措置が紛争終結後も恒久化する構造を扱う。インドのジャンムー・カシミール州では1990年9月以来、6か月ごとの更新を建前としながら実質的に恒久化した軍隊特別権限法(AFSPA)のもとで36年間、令状なしの逮捕・捜索権限や訴追免責が軍に与えられてきた。The Kashmir Walla創設者ファハド・シャーは2022年2月にUAPAで逮捕され、複数回の保釈後も別件での再逮捕と公安法(PSA)の発動により21か月間勾留された。ミャンマーでは2021年2月のクーデター後の非常事態が7回延長されたのち2025年7月31日に解除されたが、刑法505A条や印刷出版事業法(PPEL)といった弾圧的法制度は維持され、2026年6月時点で少なくとも40人の記者が収監中、クーデター以降の逮捕者は220人に達する。
「愛国的報道」の要求も各地で確認される。ブルキナファソの軍事政権指導者イブラヒム・トラオレ大尉は2023年9月、「敵のプロパガンダを流す」メディアの閉鎖を宣言し、軍の不祥事を報じた外国メディアを放送規制当局に停止させた。2026年3月14日には米国の放送規制当局委員長ブレンダン・カー(RSFの2025年版「報道の自由の捕食者」リスト掲載者)が、イラン戦争報道がトランプ政権の意に沿わない放送局の免許取り消しを警告している。
ガザにおけるイスラエルの報道統制も詳述されている。2024年、軍事検閲により1635本の記事が全面禁止、6265本が部分検閲された(+972 Mag調べ)。2026年6月時点でガザでイスラエル軍により殺害された記者は約220人、うち少なくとも69人は取材中に標的にされた可能性が高いとRSFは分析する。RSFイスラエル特派員オレン・ペルシコは、実際には正式な軍事検閲以上に記者自身による戦時自己検閲が報道を制約していると証言している。ロシアでは2022年2月24日の全面侵攻開始当日、ロシア通信監督庁(Roskomnadzor)が公式情報源以外への依拠を禁じ、以降「フェイクニュース」処罰、在外被告への欠席裁判拡大(2025年4月)、VPN関連の犯罪化などが積み重ねられた。2026年6月4日には人権団体OVD-Infoが35団体とともにテロ・過激派リストに追加され、翌日「過激派組織」に正式指定された。占領下ウクライナ領土では2025年、ロシアの裁判所における被告の35%がウクライナ市民で占められ、2026年6月時点で26人が恣意的に拘束されている。
越境する弾圧――国境を越えて追われる記者たち
第四部は、亡命後も続く越境的抑圧を扱う。ロシア人記者エレナ・コスチュチェンコはノーヴァヤ・ガゼータの活動停止後にドイツへ逃れたが、2022年10月に毒殺未遂に遭い、その後「外国エージェント」指定と欠席逮捕を受けた。カザフスタンの汚職告発ブロガー、アイドス・サディコフは2024年6月にキーウで銃撃され2週間後に死亡、アゼルバイジャンの反体制ブロガー、マハンマド・ミルザリはフランスでナイフ襲撃を受けたのち、2026年6月10日にレンヌ重罪院が実行犯らに最長30年の禁固刑を言い渡した。パキスタンでは2026年1月2日、イスラマバードの対テロ裁判所が国外在住の記者4人(ワジャハト・サイード・カーンら)に「デジタルテロ」で欠席の終身刑を言い渡し、いずれも米英に居住しながら報道活動を続けていた記者である。
家族への圧力も広範に確認される。中国では、香港拠点のラジオ・フリー・アジア(RFA)記者グルチェフラ・ホジャの親族25人が拘束されたと報告されており、イランでは2024年以降RSF支援を受けたイラン人記者全員が国内に残る親族への圧力を報告している。ベナンとコートジボワールの事例では、Olofofo創設者ユーグ・コムラン・ソスクペが2025年7月、国際逮捕状もインターポール通報も司法許可もないまま「テロを促進するサイバー活動家」としてコートジボワールからベナンへ強制移送され、RSFは2026年4月に西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)裁判所に両国を提訴した。
ロシア型「外国エージェント法」の伝播も国際的な懸念事項である。キルギスでは2024年4月、ロシアのモデルにほぼ準拠した法律がジャパロフ大統領により公布され、独立系メディアの大量離脱を招いた。ジョージアでは2024年5月の「外国の影響の透明性に関する法律」がFARA(米国外国代理人登録法)の文言をそのまま翻訳しながらFARAの保護規定を欠く形で2025年6月に施行された。中国のグレート・ファイアウォールもアジア地域に拡散しており、ミャンマー軍事政権は2025年1月施行のサイバーセキュリティ法で在外市民の言動にまで域外適用を及ぼし、カンボジアは2021年開始の「国家インターネットゲートウェイ」構想で同種の仕組みを準備している。
RSFの提言
報告書は最後に10項目の政策提言を提示する。国家安全保障の定義を厳格化し「国家の評判への害」といった曖昧な概念を根拠から除外すること、スパイ防止法の訴追に公益の抗弁を認めること、対テロ法制の悪用を防ぐため意図と組織的関連の明確な立証を求めること、記者を対象とする監視には事前の司法許可を義務付けること、取材源の秘匿を国家安全保障の例外規定から原則保護すること、軍事法廷や特別法廷ではなく通常の刑事手続を適用すること、濫用的訴追に対する実効的な救済手段を整備すること、緊急事態下でも報道規制を一時的かつ独立審査の対象とすること、インターポール赤手配書などの国際協力枠組みが越境弾圧に利用されないようにすること、そして民主主義国家間で越境弾圧の監視・警報メカニズムを構築することである。報告書全体を貫くのは、国家安全保障が本来果たすべき防衛的機能と、それが政治的言説として報道機関を「国家の敵」に仕立て上げる機能との間に生じている乖離への警鐘である。


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