ブルガリア報道自由の「停滞」──法制度が機能しない国の実像

ブルガリア報道自由の「停滞」──法制度が機能しない国の実像 言論の自由

 2025年8月に欧州メディア自由法(EMFA)が全面施行された直後、Media Freedom Rapid Response(MFRR)と欧州評議会の調査団はソフィアを訪れ、ブルガリアの制度的実装状況を検証した。三年で七度の選挙を繰り返した混乱を経て政治的安定を得たものの、メディア制度は機能不全のままだというのが調査の結論である。
 政府は表向きEMFAの履行を掲げているが、法改正は部分的で、監督機関の独立確保も実現していない。形式的な民主主義の外形を保ちながら、制度そのものが停滞している――2025年10月に公開された報告書『Bulgaria: Fragile Media Freedom Progress at Risk of Backsliding Without Urgent Reform』はそう描く。

膠着する公共放送と規制機関

 最も象徴的なのが、ブルガリア国営テレビ(BNT)と電子メディア評議会(CEM)をめぐる混乱である。BNTの総局長は三年前に任期を終えたが、後任を選ぶ投票が二度行われても過半に達せず、現職エミル・コシュルコフが任期超過のまま留任している。候補者による異議申し立てが裁判所で争われ、10月に予定された新たな選挙も差し止められた。結果、規制機関も放送局も“空転したまま”という異常な状態が続いている。
 報告書は、この膠着を「政治的分断が制度の自律性を奪った典型例」として位置づける。CEMの委員には明確な政治的系譜を持つ人物が多く、法律で定められた独立性は事実上形骸化している。

立法の逆流──わずか6日で撤回された刑法改正案

 もう一つの焦点は、報道の自由を直接脅かす立法の動きである。2025年10月、議会の法務委員会が「個人情報を同意なく公開した者に最長6年の懲役刑」を科す改正案を可決した。公的利益のための報道や調査報道も例外とされず、捜査権限として盗聴も認める内容だった。
 この法案は、たった6日後に国内外の強い反発を受けて撤回された。だが報告書は、「こうした提案が与党内から自然に出てくること自体が危険だ」と指摘する。EUがAnti-SLAPP指令で報道保護を強化した直後に、逆方向の法案が提出されたことは、制度的進歩がいかに脆いかを示す。
 実際、ブルガリアでは高額な損害賠償を求める訴訟が相次ぎ、報道機関を経済的に追い詰める“司法的ハラスメント”が続いている。2025年7月にはニュースサイトMediapoolと記者ボリス・ミトフに対して約4万レフの賠償が確定し、前年には保険会社が1百万レフの訴訟を起こしていた。

AIとジェンダー攻撃──新しい脅威のかたち

 調査団が強調するもう一つの特徴は、ジャーナリストに対するハラスメントの形が変化している点である。2024年、テレビ局Nova TVの女性記者マリエタ・ニコラエヴァの顔を合成したディープフェイク画像が拡散した。警察の介入で削除されたものの、画像はSNS上で流通し続けた。報告書はこの事例を「AI技術が性差別的暴力を拡張する構造」として位置づけ、特に女性記者の安全が脅かされている現状を問題視する。
 物理的な暴力件数は減少したが、オンライン攻撃や政治家による侮辱は常態化している。記者の信頼を得られない警察・検察の怠慢も続き、2020年の暴行事件のように未解決の事例が残る。

透明化が進まない所有と資金

 ブルガリアの報道機関は、資金面でも政治と切れていない。報告書は、制裁対象となった議員デルヤン・ペフスキが2021年にメディア資産を売却した後も、依然として複数の媒体に影響を残していると指摘する。
 国家広告の配分は不透明で、政治的報酬や報復の手段として使われる。地方メディアは自治体広告に依存し、批判報道をすれば即座に契約を打ち切られる構造が根強い。市場はPPFグループとUnitedグループが支配し、放送分野の多様性は失われつつある。
 調査報道を担うBIRD.bgやBivolなど少数の独立媒体は国際助成金に頼っており、国内に公共的な支援制度は存在しない。

情報アクセスと信頼の崩壊

 制度の硬直は情報公開制度にも及ぶ。記者ヴェネリナ・ポポヴァは、廃棄物焼却施設の事業情報を求めたところ、逆に自治体から訴訟費用を課せられた。報告書はこれを「公共情報法の形骸化」と評する。
 政治家の取材拒否や部分回答、議会内での報道制限も相次ぐ。こうした閉鎖的体質が、国民の報道不信とニュース回避を生み、SNS上の偽情報がその空白を埋める。ブルガリアはEU内でもニュース信頼度が最下位水準、ニュース回避率は最上位層にある。
 政府は2023年以降、偽情報対策連合を凍結したままで、Digital Services Act(DSA)の国内調整官も未任命だ。

「法」だけでは支えられない自由

 MFRRは、ジャーナリスト保護の制度化、公共放送の財政安定、名誉毀損の非刑事化、国家広告と所有の透明化を求めている。だが報告書が最後に強調するのは、法制度よりも「政治文化の転換」である。

「批判的報道を民主主義の核心とみなす文化がなければ、法は形だけのものになる」

 EMFAやAnti-SLAPP指令は外圧として存在するが、それを実質化するのは国内の政治的意思である。制度を持ちながらそれを動かさない――ブルガリアの現状は、欧州が共有する理念がどこで止まるかを示す“現場実験”である。

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