揺さぶられっ子症候群(SBS)と虐待による頭部外傷(AHT)——医学と法の間にあるギャップ

揺さぶられっ子症候群(SBS)と虐待による頭部外傷(AHT)——医学と法の間にあるギャップ 偽情報対策全般

 日本でも過去に揺さぶられっ子症候群(Shaken Baby Syndrome, SBS)の診断が裁判で争われた事例がある。SBSは「乳幼児が激しく揺さぶられたことで発生する頭部外傷」とされるが、近年、この診断の医学的信頼性や、それをもとにした司法判断の妥当性が疑問視されるようになっている。米国では、SBSを含む虐待による頭部外傷(Abusive Head Trauma, AHT)に関する誤情報への対策として、2025年2月24日に米国小児科学会(AAP)が新たな技術報告書を発表し、その内容を紹介するニュース記事を公開した。このニュース記事は、AHTに関する誤情報に反論し、AHTの診断の科学的正当性を強調するものとなっている。

 本記事では、AAPのニュース記事の内容を整理し、医学と法の間にあるギャップについて考察する。特に、AHTの診断が「誤情報」とされる主張をどのように否定しているのかを紹介しつつ、そもそも虐待の判断を医師が行うことの適切性について疑問を投げかける。


AAPのニュース記事の主張

 AAPのニュース記事 「New AAP technical report can help counter misinformation about abusive head trauma」では、AHTに関する誤情報が広がっていることに対抗するため、科学的に確立された診断基準を示すことの重要性を強調している。この記事の主な主張を整理すると、以下のようになる。

1. 「AHTの診断は科学的に証明されていない」という主張は誤情報である

 AAPは、AHTの診断は確立された科学的手法に基づいており、「AHTの診断は信頼できない」とする主張は誤情報であると断言している。AHTの診断は、次のような所見に基づいている。

  • 網膜出血(特定パターン)
  • 硬膜下血腫
  • 脳浮腫
  • 短距離落下では説明できないほどの重度の脳損傷

 AAPは、これらの所見の組み合わせがAHTを強く示唆するとしており、医学的診断として確立されていると主張している。

2. 「AAPはSBSを否定した」という主張は誤情報である

 AAPは2009年に「SBS」という用語を「AHT」に変更したが、これは診断概念が否定されたわけではなく、むしろより包括的な分類を行うためのものだと説明している。にもかかわらず、「AAPがSBSの診断を否定した」とする誤解が広がっていると指摘し、それは誤情報であると断定している。

3. 「短距離落下でもAHTのような重傷が発生する」という主張は誤情報である

 AAPは、「短距離落下(3~4フィート以下)ではAHTのような重傷はほぼ発生しない」としている。そのため、「短距離落下でもAHTのような外傷が起こり得る」とする主張は誤情報とされている。

4. 「AHTの診断は主観的であり、虐待の証拠にはならない」という主張は誤情報である

 AAPは、AHTの診断には確立された診断基準があり、個々の医師の主観によるものではないと主張している。特に、網膜出血や硬膜下血腫などの所見はAHTと高い相関があるため、「AHTの診断は客観的でない」とする主張は誤情報であるとしている。


医学と法の間のギャップ——虐待の判断は誰が行うべきか?

 AAPのニュース記事は、AHTの診断に対する異論を「誤情報」として扱い、医学的に確立された診断であると主張している。しかし、ここで重要な疑問が生じる。

 AHTとは「Abusive Head Trauma(虐待による頭部外傷)」の略であり、この名称自体が「虐待(Abuse)」という法的な意味を含んでいる。しかし、本来「虐待があったかどうか」を判断するのは医師ではなく、警察や検察さらには裁判所の領域ではないだろうか?

 AHTの診断基準として挙げられる所見(網膜出血、硬膜下血腫など)は、確かに虐待と関連する可能性が高いが、それが「虐待があった」という直接的な証拠になるわけではない。本来、医学の役割は「医学的所見をもとに診断を行うこと」であり、「法的な判断(虐待の有無)」は司法の領域であるべきだ。

 しかし、実際にはAHTの診断が法廷で「虐待の決定的証拠」として扱われるケースが多かった。これは、「医学的な確率論」が「法的な証拠」として誤用される典型例とも言える。

「誤情報」とは何か?本当に誤情報なのか?

 AAPのニュース記事では、AHTに関する異論の多くを「誤情報」としている。しかし、誤情報とは本来「勘違いや誤解により拡散した間違い情報」を指すものであり、科学的な未確定な議論や異論を含むものではないはずだ。短距離落下での頭部外傷の可能性や、AHTの診断の客観性についての疑問は、医学的な議論として正当なものではないだろうか?

 「誤情報」というラベルが使われることで、正当な科学的な議論や異論までもが封じ込められてしまう危険性がある。AHTの診断が確率論に基づいている以上、それを「虐待の決定的証拠」として扱うことには慎重であるべきだ。


結論

 AAPのニュース記事は、AHTの診断の正当性を強調し、それに対する異論を「誤情報」として扱っている。しかし、科学的な未確定の議論を誤情報とみなすことには慎重になるべきだ。医学と法の間のギャップを無視してしまうと、冤罪のリスクを高める可能性がある。

 AHTの診断がどこまで医学の範囲であり、どこからが法の領域なのか。その境界を慎重に考えることが求められている。

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