国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)は2026年3月5日、旗艦年次報告書『世界災害報告書2026(World Disasters Report 2026)』を公開した。副題は “Truth, Trust and Humanitarian Action in the Age of Harmful Information”(有害情報の時代における真実・信頼・人道行動)。IFRCは191の国内赤十字・赤新月社と約1,700万人のボランティアを擁する世界最大の人道ネットワークである。同報告書はその旗艦出版物として政策変容、思考の更新、人道セクター全体の実践強化を目的に位置づけられている。
今版の核心にあるのは有害情報の再定義である。IFRCは有害情報を「個人または組織に対して危害を引き起こす、寄与する、またはもたらす潜在性を持つ情報」と定義し、従来型のミスインフォメーション・ディスインフォメーション・マリインフォメーション・ヘイトスピーチをすべて包含する上位概念として用いる。この定義が重要なのは、情報の種類や意図による分類を回避し、「実際に生じる被害」を分析の起点に置くからである。
本報告書は8章構成で、約100名の執筆者と60以上の組織(国内赤十字・赤新月社30以上を含む)が寄稿している。扱う領域は情報エコシステムと信頼の侵食、グローバル・ローカルのダイナミクス、人道活動への具体的影響、規制・権利、コミュニティ、原則、レジリエンスにわたる。
特筆すべきは2005年版WDRとの意図的な対比構造である。2005年版は情報を「ライフセービング・リソース」として再定義し、「情報へのアクセス格差」を問題の中心に置いた。2026年版はその20年後の問いを立てる。問題はもはや情報の欠如ではなく、その信頼性の欠如だ。報告書はこの転換を明示的に述べ、有害情報を「周辺的なコミュニケーション課題ではなく、人道行動の受容・安全・原則の遵守に影響を及ぼす作戦上・戦略上の課題」と位置づける。
有害情報の定義と7類型の分類体系
報告書の方法論的貢献のひとつは、有害情報が引き起こす被害の体系的な類型化にある。「被害の類型(Typology of harm)」と銘打たれた分析枠組みは、抽象的な議論を実証的な証拠へと変換し、各事例がどの被害類型に対応するかをタグシステムで紐づけながら報告書全体の証拠基盤を構築する設計になっている。
身体的被害(Physical)は最も直接的なカテゴリーであり、暴力の煽動、パニックの誘発、医療忌避行動、人道車両・施設への物理的攻撃を含む。バレンシア洪水(2024年)でスペイン赤十字のボランティアが街頭で攻撃を受けた事例、英国サウスポート(2024年)で虚偽のムスリム難民犯人情報がモスクへの暴力的抗議に発展した事例が例示される。
心理的被害(Psychological)は、恐怖・不安・偏見・差別・スティグマを含む。2025年6月のエア・インディア墜落事故(290人以上死亡)後、インド系コミュニティが世界各地でオンライン上の人種差別的攻撃を受けた事例や、2023年トルコ地震(死者5万人超)でシリア難民が「略奪者」として標的化された事例が記録される。
社会的被害(Social)は共同体の結束や信頼関係の破壊、スティグマ化、強制的移住による家族分離を指す。社会制度的被害(Societal)はより広い射程を持ち、人道空間の縮小、機関への信頼損傷、言論空間の抑圧、司法制度の悪用を含む。
情報的被害(Informational)は、正確・迅速・信頼できる情報へのアクセスの歪曲・遮断・操作であり、情報過多による意思決定能力の麻痺も含まれる。剥奪的・財政的・経済的被害(Deprivational/financial/economic)は生計の破壊、詐欺・恐喝、資源の転用、ドナー支援の喪失に至る損害を指す。デジタル・技術的被害(Digital/technological)はデジタルアイデンティティへの攻撃、ドクシング、アルゴリズムによる有害コンテンツの増幅、ディープフェイク、ボット駆動の嫌がらせを含む。
さらに横断的次元として縦断的・世代間被害(Longitudinal/intergenerational)が設定される。有害なナラティブにさらされた子どもへの長期的影響、世代間信頼の破壊、ステレオタイプの固定化がここに位置づけられる。
情報エコシステムの変容とAIの役割
報告書は2024年時点のデジタル接続状況を数値で示す。世界人口の68%にあたる約55億人がオンラインであり、ウェブサイト数は12億を超え、ソーシャルメディア利用者は52億4,000万人に達する。この拡大を牽引したのは新興国・途上国における携帯ブロードバンドの普及である。かつて高所得国に集中していたFacebookは、現在上位10市場のうち9つが中所得国であり、下位中所得国が9市場を占める上位20市場を構成する。TikTokは2025年時点で月間アクティブユーザー約16億人、うち18〜24歳が約40%を占め、9つの上位市場が中所得国に位置する。
このリーチの拡大はプラットフォームの性格変容とセットで進行した。報告書は「情報空間は汚染され、時に深刻に毒されている」と断言する。誰もがプラットフォームを持ち、文脈の知識を欠いた者も意図的に誤導する者も声を持てる状態が常態化した。
AIはこのダイナミクスをさらに加速させる。報告書が参照する2025年1月の「上級AI安全性に関する第一回国際科学報告(ベンジオ報告)」は、AIが情報の生産・拡散において力の均衡を情報コントローラー側に有利にシフトさせたと指摘する。AIは深い概念的理解を欠きながらも、説得力ある人間らしいコンテンツを大量・高速に生成できる。人間が生成したものとの区別が困難であるため、人々はその検出能力を過大評価し、操作への脆弱性が高まる。
報告書はAI生成の「フェイクコンテンツ」を「現実とは異なる方法で人物や出来事を描写する悪意のある・欺瞞的なコンテンツ」と、「ディープフェイク」を「実際には起きていない出来事や人物を現実的に操作・生成するAI技術を用いた合成メディア」と定義し、選挙候補者の「リークされた会話」の捏造や軍の要人に誤情報を語らせる動画操作などの事例を挙げる。
対抗措置としてNGO・WITNESSの「ディープフェイク迅速対応部隊(Deepfakes Rapid Response Force)」が紹介される。同イニシアティブは情報危機の現場で活動する人々とAI検出の専門家を繋ぎ、疑わしいAI生成コンテンツの分析を支援する。同部隊の知見によれば、現実の使用環境での有効性には、低品質・高圧縮コンテンツへの対応、多様な言語・文化への対応、明確で実行可能な分析の提供が不可欠であり、現在の検出技術はその要件を十分に満たしていない。
報告書は評価においてバランスも保っている。AIの社会的影響については科学的コンセンサスがなく、その拡散・影響の規模については研究によって知見が分かれるとも述べる。しかし確実なのは情報空間がより複雑で競合的になりつつあることだ、と結論する。
現場事例:具体的な被害の連鎖
有害情報が実際の人道活動にどのような連鎖的影響を与えるかは、複数の組織の具体的証言によって積み重ねられる。
スペイン・バレンシア洪水(2024年10月) ではDANA(高層寒冷低気圧)による洪水で236人が死亡した。スペイン赤十字に向けられた偽情報は「現場に来ていない」「演出写真だけ撮っている」「移住者にのみ援助している」という三類型に集約された。スペイン赤十字への誤情報は以前から存在したが、DANA期間中に急激に増幅し、ボランティアへの街頭での侮辱・脅迫、オフィスや車両への器物損壊(落書き、タイヤ破壊)に発展した。
バングラデシュ・ロヒンギャキャンプ(コックスバザール) では、BBC Media Actionが2025年初頭に18〜34歳の男性8人を対象に実施したインタビューが詳細に記録される。具体的な被害パターンは次の通りである。コックスバザールのキャンプ火災の映像を他国の宗教間暴力として再投稿するリキャプション偽情報、「ワクチンは致死的・不妊化する」「COVID-19は嘘」というFacebook・WhatsApp経由のワクチン忌避情報、難民を「犯罪者」「病原体」として標的化するヘイトスピーチ、高火力過剰の武装勢力主導キャンプとして描く誇張された治安情報。2021年以降の資金削減でルーモートラッキングの取り組みが優先度を下げられていることも指摘される。
ケニア(2024年) では財政法案への抗議運動の最中、インフルエンサーの一ツイートが「ケニア赤十字の車両が政治家の移送に使われている」と虚偽主張し、車両への攻撃と救急救命活動の中断が発生した。ケニア赤十字は即座にSNS声明と「#NotATarget」キャンペーンで対応したが、虚偽情報がいかに即座に物理的危害に転換するかを示している。
南スーダン では、政府系民兵の指揮官が南スーダン赤十字のジャケットを着用してアッパーナイル地域での作戦行動を記録した動画を公開し、動画が拡散した。それ以前には、「外国人を雇用している」と非難した武装勢力がトリット事務所を攻撃し、複数のスタッフが負傷している。同国では各危機に対応する「危機コミュニケーション委員会」が即時招集され、役割分担と内部連絡ラインの確立が標準手順として運用されている。エンブレム誤使用事案では、メディア露出が限られたと判断し公的発信を控え、内部コミュニケーションとパートナー連携を優先するという判断がなされた。
レバノン では複合的な危機の中で「ボランティアがCOVID-19を拡散している」「援助配布で特定グループを優遇している」「安全でないコレラワクチンを提供している」という虚偽の主張が同時並行で流布し、脆弱なコミュニティへの信頼を侵食した。
カナダ赤十字 はジャスパー山火事(2024年)とハリケーン・フィオナ(2022年)の事例で、パルスサーベイ(短期繰り返し型信頼調査)という手法を用いた実証分析を提供している。ジャスパーでは「カナダ赤十字が不在で資金が地域に届かない」という協調的偽情報キャンペーンが展開されたにもかかわらず、対応後の信頼度は向上した。ただし偽情報の核心的主張に対する信念は応答者の中で一定程度維持されており、「全体的信頼は維持されても特定の偽情報への信念は残る」という重要な知見を示している。フィオナの事例では各州の異なる援助基準が混乱を生み、その批判がカナダ赤十字に集中した。ここでも透明性・説明責任・実行への追跡(follow-through)を維持した組織は信頼を回復できることが示された。
ニュージーランド赤十字 はサイクロン・ガブリエル(2022〜23年)への対応で「詐欺」「資金横領」「サービス不提供」という偽情報の標的となり、一部はメインストリームメディアや他のNPOによって増幅された。組織と個人リーダーへの双方向攻撃という新たなパターンも記録された。対応の核心は「冷静・繊細・一貫したメッセージング」による複数の信頼チャンネルの長期運用であり、「不健全な議論・反応的議論への不参加」という原則の徹底だった。事前の公衆教育の不足が主要課題として識別されている。
グローバル・ローカルの相互増幅構造
報告書は気候変動・ワクチン忌避・移住を「有害情報が繁殖しやすい三大テーマ」として位置づける。これらは国境を越えて流通し、それぞれの文脈で地域のナラティブ・政治的アジェンダによって再形成される。
グローバル・ローカルの関係は一方向的な「影響の流れ」ではなく、相互フィードバックループとして作動する。グローバルなメッセージは地域の現実を反映しなければ音程外れとして受け取られ、逆に地域の経験が世界的人道ポジショニングに反映されることは依然として少ない。赤十字・赤新月グローバル移住ラボ(Lab)が34カ国2万人超の移住者を対象に実施した研究は、偽情報が人道支援へのアクセス意欲を低下させることを実証している。COVID-19期間の8カ国3,200人を対象とした研究では、医療サービスへのアクセスの最大の障壁として「母語・信頼チャンネルでの情報不足」が確認された。
サイバー攻撃と有害情報キャンペーンの交差も報告書が重視する論点である。協調的情報作戦はサイバーインシデントに伴うことが多く、ナラティブを形成し、混乱を播種し、公衆の認知を操作する。目的は単に特定の結果を誘導することにとどまらず、制度への信頼を侵食することにある。これに対応するサイバーセキュリティは暗号化・ファイアウォール・デジタル衛生を超え、「ナラティブ操作への耐性・検出・対応能力」としての情報レジリエンスを包含しなければならないと報告書は論じる。
有害情報キャンペーンの分析枠組みとして紹介されるABCDEフレームワークは、Actors(主体)・Behaviours(手法・技法・手順)・Content(ナラティブ・ターゲット・メッセージ戦略)・Degree(リーチ・規模・増幅の度合い)・Effect(影響・攪乱・被害)の5次元で影響作戦を構造的に解析する。帰属分析(attribution)については、AI生成コンテンツや匿名アカウント、コンテンツの再利用が出所の特定を複雑にするため、公開での「名指し・恥さらし」よりもパターン・意図・影響の把握に重点を置いた慎重な証拠ベースアプローチが推奨される。
中立性原則への攻撃と速度のミスマッチ
報告書はさらに、人道活動の根本原則——人道性・中立性・公平性・独立性——が有害情報時代においてどのように脅威にさらされるかを詳細に分析する。
報告書は「速度ミスマッチ(speed mismatch)」という構造的問題を中心に据える。人道組織は事実確認・ニーズ評価・対応調整に時間をかける。一方、有害なナラティブと憤怒は秒単位で拡散し、人道的配慮・正確性・比例性への関心を持たない。対応が届く頃には公衆ナラティブはすでに固定化し、評判は損傷し、信頼は侵食されている。報告書は「慎重さが今や負債になりうる:情報空間での不作為は、タイムリーかつ原則的な関与よりも多くの被害をもたらす可能性がある」と直言する。
中立性原則は特にデジタル環境で誤読される。報告書は現代の情報環境が課す六つの二項対立フレームを列挙する。「賛成か反対か」(中立性はしばしば共犯として扱われ、公的非難の欠如は道徳的失敗とされる)、「われわれかあいつらか」(特定集団のナラティブへの同調圧力が公平性を損なう)、「被害者か加害者か」(人道行動者はニーズに基づく支援・保護の役割なのに非難の割り当てを求められる)、「無実か有罪か」(「有罪」と認識された者への援助提供は中立性への支持と誤解される)、「苦難か演出か」(人道的ニーズは誇張・捏造・政治利用されたものとして疑われる)、「価値ある者か価値なき者か」(共感の侵食と被害者・人道行動者への疑念)。
これらの二項対立は複雑な現実をコメント欄の感情的対立に平板化し、原則に基づく説明の余地を奪う。中立性はこの環境でアルゴリズムとコメントに取り囲まれて沈没しやすい。報告書はこれを「知覚ギャップ:中立性と公平性が理解されず、不信任を受けるか、超然とした態度または共犯として退けられる」と定義する。
2024年のIFRC評議員会の決議5「原則的人道行動への敬意と支援を求める訴え」が引用される。この決議は偽情報・誤情報・非人道的言説への対処を運動史上初めて公式に直接取り上げたものであり、1867年の国際会議開始以来の歴史的転換点と位置づけられる。
提言の枠組みと残された問い
報告書は「情報を支援機能から、レジリエンスの中核的構成要素として」扱う転換を求める。2005〜2015年の参加型コミュニティ関与・説明責任(CEA)アプローチの制度化は重要な前進だったが、それは情報エコシステムがはるかに少ないリスクしか持たない時代に生まれた。今日の歪んだ信頼・激しい二極化・複雑な作戦環境は新しい種類の危機を生み出している、と報告書は述べる。
提言の構造は四つのアクターに向けられている。政府・政策立案者に対しては、情報リテラシーと市民意識の強化、災害リスク管理・危機対応フレームワークへの有害情報リスクの統合、有害情報インシデントへの対応メカニズムと柔軟な資金調達ラインの確立が求められる。テクノロジープラットフォームには、人道的危機時のアルゴリズム調整(エンゲージメント最適化から安全・信頼性重視への一時的切り替え)、信頼できる人道・保健・地域アクターからの権威ある情報の優先表示、透明で独立した監視の確保が要請される。人道組織には、有害情報モニタリングをプログラム・アセスメント・早期警戒システムに統合すること、被害の文書化・分析・共有、多言語による双方向コミュニケーション・迅速検証システム・信頼できる地域モデレーターとのパートナーシップへの投資が求められる。コミュニティ・地域指導者は、早期ルーモートラッキング、信頼ある地域チャンネルを通じた正確情報の検証・増幅、被害インシデントの文書化、スティグマ・恐怖・分断を低減する対話促進において中心的役割を担うべきとされる。
しかし報告書が最後に提示するのは提言だけではない。「集合的問題としての五つのジレンマ」と名づけられた問いの束が、単独の組織が解決できる水準を超えた困難を直視する。①中立性対有害ナラティブ(非人道的・差別的ナラティブが国家や政治的アクターによって拡散される時、中立性保持のために沈黙すべきか、被害防止のため声を上げるべきか)、②否定すると逆効果のリスク(偽情報に公開で反論すると中立性や活動アクセスを損なう恐れがある場合、どう対処するか)、③メッセージの完全性対二極化(分断した情報環境でどのようにメッセージの誠実さを守り信頼を維持するか)、④集合的行動対断片的対応(組織を情報攻撃から守るためにどのようなパートナーシップ・メカニズム・国際規範が必要か)、⑤発言対沈黙(移住者のような脆弱な立場の集団を標的にした国家主導のナラティブに対して人道行動者が応答できる空間はどこにあるのか、どの時点で沈黙は差別的・非人道的ナラティブへの暗黙の承認になるか)。
この問いの提示自体が報告書の方法論的誠実さを示している。有害情報への応答には普遍的な処方箋が存在しない。各ジレンマは文脈・組織・危機の種類によって異なる解を要求し、そのたびに人道原則の序列——人道性が最高位にあり、公平性がその目標達成の手段を定め、中立性と独立性はその実現を可能にする操作的ツールである——に立ち戻ることが求められる。
2020〜2024年の間に約7億人が災害の影響を受け、1億500万人以上が避難を強いられ、27万人以上が命を失った。その同じ期間、人道支援を必要とする人の数は倍増した。報告書が示すのは、この数字の背後にある物理的被害と並行して、情報空間における有害情報がその対応の根底を侵食し続けているという事実である。食料・水・避難所と同等に情報を基本的ニーズとして扱う認識の転換と、その転換を制度・資金・実践に落とし込む具体的コミットメントが今求められている、というのが本報告書の核心的主張である。


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