科学的なコンセンサスが整い、社会的にも気候変動の深刻さが広く認識されている──そうした前提のもとで進むはずの気候政策が、なぜこれほどまでに反発と停滞に直面するのか。2025年に発表された論文「‘Sensemaking’ climate change: navigating policy, polarization and the culture wars」は、この問いに対して、感情・アイデンティティ・社会的意味づけといった心理社会的要素がどのように気候行動の妨げになっているかを、カナダ・ブリティッシュコロンビア州(BC)を事例に掘り下げたものである。
気候政策の社会的実装をめぐる課題
この研究が注目するのは、「センスメイキング(sensemaking)」という概念である。すなわち、人びとが気候政策や科学的知見をどのように意味づけ、理解し、感情的に受け止めているかという問いだ。著者らは、特にポスト真実的な情報環境下で、気候政策が「文化戦争」の文脈に組み込まれ、保守・進歩、農村・都市、雇用・環境といった対立軸の上で二極化を生んでいると指摘する。
調査方法:フォーカスグループによる現場の知見の収集
研究は、2024年前半にバンクーバーを中心とする20名の気候アクター(行政、NGO、労働団体、学術関係者など)を対象に、5回のフォーカスグループを開催し、現場で直面している対立や抵抗、情報戦についての議論を収集・分析したものである。実際の発言や事例が多く盛り込まれており、単なる理論的な考察にはとどまらない。
三つの対立軸:政策実施のボトルネック
地理(都市 vs 農村/西部 vs 中央)
例えば、農村部では「都市からの気候政策は、地域文化への介入」として拒否される。ネルソン市では、説明会が抗議によって中止に追い込まれる事例も発生している。西部州では、連邦政府との資源権限をめぐる確執が気候政策にも波及している。
労働(雇用 vs 気候)
炭素集約的産業に従事する労働者からは「公正な移行など信じていない」との声が上がる。非営利団体からは「代替雇用があれば移りたいという声も多く、選択肢の欠如こそが反発の要因」との証言がある。これらの不安や怒りは、業界団体によって反気候キャンペーンに巧みに利用されている。
文化(進歩的価値観 vs ポピュリズム)
気候政策は「左派的なエリートの価値観の押しつけ」として攻撃され、カーボン税や都市計画(例:15分都市)も「気候ロックダウン」という陰謀論に包摂される。SNS上では、気候懐疑論がミームや短いフレーズで拡散され、感情を媒介に分断を加速させている。
気候コミュニケーションの再設計へ
この研究は、現在の進歩派による気候コミュニケーションの限界にも言及する。科学的根拠や包括的説明に重きを置く一方、メディア活用の機動力や感情的共感に欠けるという構造的問題がある。これに対し右派ポピュリストは、反復・拡散・ネットワーク構築を通じて「文化的ゲーム」として気候問題を再構成している。
まとめ:反発を「非合理」と切り捨てるな
本論文の重要な示唆は、「気候対策に対する抵抗は、非合理でも無知ゆえでもなく、合理的な不安と現実の損失予測に基づいている」という点にある。感情や社会的意味のレイヤーを抜きにして、気候政策を「科学的に正しい」だけで推進することは、むしろ分断を深める。
気候コミュニケーションは、説得から共感、情報伝達から関係構築へとパラダイムを変える必要がある。本稿は、科学・政策・心理・文化の交差点にある気候対策の困難を明らかにした貴重な実証研究として、今後の国際的な気候ガバナンス議論にも示唆を与えるだろう。
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