デジタル偽情報の三層構造:ラテンアメリカにおける制度・分極・国家の役割

デジタル偽情報の三層構造:ラテンアメリカにおける制度・分極・国家の役割 情報操作

 ドイツGIGAのDigital Transformation Lab(DigiTraL)が2025年5月に公開したレポート『Digital Disinformation Trends in Latin America』は、ラテンアメリカ各国におけるデジタル偽情報の展開を、単なるSNS依存やメディアリテラシーの問題としてではなく、「制度的不信」「政治的分極」「ポピュリズム」の三層構造の中に位置づけた点で示唆に富む。著者Jesus A. Renzullo N.は、5カ国(ベネズエラ、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、コスタリカ)の事例を比較しつつ、偽情報の「組織化の度合い」「目的と手段」「制度的対応」の三軸で分析を行っている。

国家が情報空間を武器化する:ベネズエラとブラジル

 最も組織化された偽情報エコシステムを構築したのは、ニコラス・マドゥロ政権下のベネズエラである。省庁直轄の「トロール部隊」は、プロパガンダ・中傷・監視・検閲を目的に5チーム制で編成され、X上で「#ハッシュタグ・オブ・ザ・デイ」戦略を展開した。インフラの政治利用、DNS毒殺、反体制派の逮捕・処刑まで含む徹底した情報統制は、他国と一線を画する。

 一方、ブラジルでは、ボルソナロ政権が非公式の「憎悪の部屋(Gabinete do Ódio)」を大統領府内に設置。WhatsAppを用いた大量送信と並行し、報道機関・司法・州政府に対する組織的攻撃が行われた。2023年1月8日の国会襲撃事件は、制度不信を煽る偽情報が実際の暴力行動に転化した例として記録されている。

中傷とプロパガンダの選挙戦術化:アルゼンチンとメキシコ

 アルゼンチンやメキシコでは、国家主導の情報操作というよりは、選挙時の短期的な中傷キャンペーンが中心である。アルゼンチンでは、政権政党が国家機関や広告予算を用いて批判メディアを封じ込め、COVID-19対策でも検閲的な機関「Nodio」を設立した。メキシコでは、政党が偽情報を事実上「正当な選挙手段」として扱い、政権与党自らも朝の大統領会見を通じて報道機関への攻撃を日常化させている。いずれも、司法や立法の積極的な対応はほとんど見られない。

制度的レジリエンスの可能性:コスタリカの対抗策

 コスタリカの事例は対照的である。偽情報の出現は確認されているものの、ボットや自動化は見られず、主に右派政党による中傷と虚偽情報の拡散にとどまっている。ここでは、選挙管理機関(TSE)や通信省が主体となって、即応型のファクトチェック(例:「No Coma Cuento」「Gobierno Aclara」)や教育キャンペーンを通じた“予防”を重視する姿勢が明確だ。国家が規制ではなく「信頼の再構築」に舵を切っている点は、他国と一線を画す。

「情報秩序」の回復へ:制度・企業・社会の連携をどう再設計するか

 レポートは最後に、EUの「偽情報実務規範(Code of Practice on Disinformation)」や「民主主義防衛パッケージ」といった枠組みを参照しつつ、ラテンアメリカ諸国との協力の方向性を提示している。司法機関の能力強化、SNS企業への圧力、独立系メディアへの資金支援などが提案されているが、何よりも重要なのは「選挙キャンペーンにおける偽情報の規範化を防ぐ制度的枠組み」である。

 民主主義の防衛は、プラットフォームのアルゴリズム制御に任せるものではなく、むしろ制度・企業・市民社会の役割を再配分する設計の問題として提起されている。ラテンアメリカで起きていることは、欧州やアジアにも波及しかねない情報環境の未来像であり、この報告書はその“設計思想”を問う素材となっている。

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