MAHA戦略文書をどう読むか

MAHA戦略文書をどう読むか 陰謀論

 2025年2月、トランプ大統領は大統領令14212に署名し、子どもの慢性疾患に対応するため「Make America Healthy Again(MAHA)」委員会を設置した。2025年9月に発表された「Make Our Children Healthy Again Strategy」は、単なる保健医療政策の枠を超えた内容を持つ。肥満や糖尿病、メンタル不調といった現代アメリカを覆う慢性疾患を「国家的危機」と定義し、研究、制度、教育、産業の全領域を横断して再構築することを狙っている。

 この文書を読むうえで重要なのは、そこに「科学的合意」への不信を制度的に組み込もうとする意図が見えることだ。公衆衛生や疫学の世界で「既に決着した」とされてきたテーマが再び研究対象に組み込まれ、国の方針として白紙に戻される。その結果、この戦略は「科学を疑う」という姿勢を単なる市民レベルの感情ではなく、国家戦略として制度化するものとなっている。


第1部 研究の推進──合意の再検証という仕掛け

 MAHA戦略の第一の柱は、研究投資の大幅拡大だ。腸内細菌叢や睡眠、食習慣と慢性疾患の関係を探る研究、リアルワールドデータを活用した大規模分析、オルガノイドや計算モデルを使った新手法など、現代的な課題設定が並ぶ。これ自体は妥当であり、むしろ健康科学の最新潮流を反映しているといえる。

 しかし異彩を放つのは、ワクチン副作用や水道水中のフッ化物、自閉症の原因、精神科薬の処方慣行といった、公衆衛生分野で「安全」「妥当」とされてきた領域を再調査対象に据えていることだ。これらのテーマは、過去数十年にわたり膨大な研究によって「大枠では安全」と結論づけられてきた。にもかかわらず、MAHAはそれを再び問う。

 科学的に言えば、再検証そのものは正統である。科学は「絶対に正しい合意」を保証するものではなく、常に修正可能であり、再現性の追求と新知見による更新が本質だからだ。しかし国家戦略として「決着済み」を揺り戻すことは別の意味を持つ。そこでは「科学的合意は不完全であり、信頼すべきではない」というメッセージが制度に組み込まれてしまう。この二重性こそがMAHAの最初の仕掛けである。


第2部 制度とインセンティブの再編──規制と緩和の同居

 MAHAは制度面で二つの相反する方針を併置する。一方では、食品添加物の再評価や「超加工食品」の定義化など、規制を強化する方向が打ち出される。他方では、小規模農家への規制緩和、有機認証の簡素化、治験や医療機器承認の迅速化など、規制を緩める方向も同時に進めようとしている。

 一見すると矛盾に見えるこの方針の共通項は、「既存の科学と制度への不信」である。規制強化は「これまでの科学は危険を見逃してきた」という前提に立ち、規制緩和は「これまでの科学は不必要に安全を強調し、進歩を妨げてきた」という前提に立つ。進む方向は逆でも、土台にあるのは「科学的合意は誤っている」という見方だ。

 この論理を押し進めると、科学は「正しさを示す根拠」ではなく「政策的に都合のよい方向に再解釈される柔らかい素材」として扱われることになる。MAHAはその構造を制度として定着させようとしている。


第3部 国民意識の向上──教育と説明の再構築

 MAHAは国民教育の強化も重視する。学校における運動習慣や食生活の改善、スクリーンタイムの制限、電子タバコのリスク周知など、健康教育の施策が並ぶ。これらは一見すると誰も反対できない常識的な施策だ。

 しかし文書を読むと、ここでも「合意を暫定化する」動きが透けて見える。たとえばフッ化物について「新たな科学的知見を評価し、国民に改めて説明する」とされている。これは、従来の合意を「確定」ではなく「常に検証し直すべき暫定的なもの」と位置づけ直していることを意味する。

 結果として、国民が信頼すべき対象は「科学の合意」そのものではなく、「政府がその時点で決定する新しい科学評価」へと移っていく。科学の不確実性を強調しすぎることが、逆に「政府への依存」を強める結果を招く。ここにも、MAHAが仕掛ける逆説がある。


第4部 民間部門との協働──科学と産業の同時再編

 外食産業に子ども向け健康メニューを導入させることや、精密農業の推進を民間と連携して進めることも提案されている。表面的には健康や環境に資する施策だが、その裏側では「新しい科学的基盤をもとに産業を再編する」という意図が透けて見える。ここでも、既存の合意を揺さぶり、新しい合意を産業と一体で作り直す構想が描かれている。


支持の論理──不信の合理性

 MAHAを支持する人々の論理は単純ではない。彼らが拠って立つのは「既存の科学は産業資金に依存して歪められている」という現実だ。食品業界の資金によって肯定的な研究が量産される構造は広く知られている。ワインやチョコレートなど、消費者に好まれる食品が「体に良い」と強調される研究が多いのもその一例だろう。

 さらに、疫学研究においては社会経済的格差が統計結果を支配する。貧困層の不健康、富裕層の健康──この構図はあまりに強力で、研究者は教育水準や収入などの要因を調整する必要がある。しかし調整の方法によって結果は容易に変わり、「科学的合意」が実は統計的仮定に大きく依存していることが明らかになる。こうした限界を踏まえれば、科学的合意を絶対視しないMAHAの姿勢は「合理的な疑念」として一定の説得力を持つ。


批判の論理──不信の制度化

 だが批判者はこう反論する。科学的不確実性を強調すること自体は正しいが、それを国家戦略に組み込めば「科学的合意は常に不安定である」というメッセージが社会に広がる。科学的合意は本来、政策決定や公衆衛生の基盤を支えるための「安定」を担ってきた。その安定を自ら揺るがす制度設計は、公衆衛生の信頼を長期的に破壊しかねない。

 しかも、規制強化と規制緩和を同時に掲げる姿勢は、科学の評価を真に尊重するというよりも、政治的に都合の良い方向へ科学を動員するだけではないかという疑念を生む。結果として、MAHAは「科学を疑え」という正しい問題提起と、「科学を利用する」という政治的操作とを境なく混在させてしまう。


結論──科学の不確実性をどう扱うか

 MAHA戦略を陰謀論や偽科学と一刀両断するのは容易だ。しかし、それでは見落としてしまう。実際には、この戦略の核心は「科学的合意と不確実性のせめぎあい」を制度的にどう扱うかにある。

 科学は常に不確実であり、資金や統計調整の影響を免れない。にもかかわらず、社会は政策や制度を進めるために合意を必要とする。MAHAは、その合意の暫定性をあえてむき出しにし、不信を制度に組み込むことで新しい正統性を築こうとした。

 それは、科学を利用する危険をはらむと同時に、科学の限界を突きつける。したがって、この文書をめぐる賛否は単なる政策評価ではなく、「科学的合意を社会にどう位置づけるのか」という根源的な問いに直結している。

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