情報戦の非対称性をどう埋めるか──ICDS「Beyond Defence」が描く制度・資金・作戦の構造分析

情報戦の非対称性をどう埋めるか──ICDS「Beyond Defence」が描く制度・資金・作戦の構造分析 情報操作

 エストニアのシンクタンク International Centre for Defence and Security(ICDS)が2025年11月に公表した政策ペーパー「Beyond Defence: A Proactive Strategy for the West in the Information Domain」は、ロシアと中国を中心とする権威主義国家の情報戦を、制度設計、資金配分、具体的な作戦手口、西側の政治環境という複数の層に分解して論じる文書だ。著者のPekka Kallioniemiは、ロシアの情報操作を追跡するVatnik Soupシリーズで知られる研究者であり、本ペーパーではソーシャルメディア上の監視経験と政策分析が統合されている。特徴は、単に「偽情報は脅威だ」と言うのではなく、「なぜ権威主義国家は情報戦に強く、なぜリベラル民主主義は構造的に不利なのか」を制度・予算・政治力学のレベルで描き、その上でEU・NATO側に対して、防御中心から攻勢的・自律的な情報戦略へ移行せよと求めている点にある。

権威主義国家の制度的優位──構造としての非対称性

 ペーパーがまず前提として置くのは、ロシアや中国が「腕の良いプロパガンディストだから強い」のではなく、国家の制度と情報空間の構造そのものが情報戦に最適化されているという点だ。意思決定は極端に短いチェーンで行われ、立法・司法・独立メディアといった民主主義的チェックはほとんど機能していない。そのため、国家レベルのメッセージキャンペーンは、準備・立ち上げ・方向転換・打ち切りまでを外部への説明なしに即座に行える。民主主義の側では、同じ規模のキャンペーンを立ち上げようとすれば、予算審議、世論の反応、法的制約を踏まえた調整が必要であり、それ自体が抑止要因になる。
 情報空間の閉鎖性も決定的だ。ロシアは「ソブリン・インターネット」構想の下でYouTubeやFacebookへのアクセスを制限し、主要メディアの大半を国家とオリガルヒが掌握することで、国内の情報流通をほぼ一方向に支配している。中国はGreat Firewallと複数段階の検閲装置を通じて、GoogleやX、Wikipediaといった外部サービスを事実上排除し、国内プラットフォーム上でもキーワードフィルタや人手による削除が日常的に作動する。こうした環境では、外部からのカウンターナラティブはほとんど届かない一方で、国家側から外に向けて発せられるメッセージには実質的な制限がない。
 ロシアの場合、ソ連期から続く心理戦・政治戦の伝統が、この環境にそのまま持ち込まれている。KGB時代に培われた「相手社会に制度不信と分断を埋め込む」手法は、SNSと結びついたときに爆発的な拡張性を持つ。認知バイアスや政治的不満に合わせて異なるメッセージを束ね、受け手の感情に直接働きかけるキャンペーンの設計は、単発の広告ではなく、長期にわたる「意識の条件付け」として機能する。さらに、権威主義国家は予算配分においても柔軟であり、福祉や教育から資金を削ってでもプロパガンダに回すことが政治的危機を招かない。ロシアが2023年に15億ドル超、2024年には18億ドル前後をプロパガンダに投じているとされる数字は、この優先順位を端的に示している。

Firehose of Falsehoodと情報洗浄──手口のレイヤー構造

 ペーパーは、ロシアの情報戦を二つのレイヤーで描き分ける。一つは「量で上書きする」Firehose of Falsehoodモデル、もう一つは「起源を消す」情報洗浄のプロセスだ。
 Firehoseモデルは、真偽や一貫性をいったん脇に置き、量と速度と多チャネル性を優先する。説得よりも飽和を目的とするため、同じ対象について互いに矛盾するメッセージが同時に投げ込まれる。ウクライナを「西側の傀儡」「ネオナチ」「ロシアへの存在的脅威」と複数の像で描き、受け手ごとに異なる恐怖や嫌悪を刺激するやり方は典型的だ。インターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)は、シフト制で働く数百人のオペレーターを抱え、このモデルを半ば工場のような形で実装してきた。大量のメッセージが投下されるなかで、「伝統的価値を守るロシア」と「退廃した西側」という二項対立の軸が徐々に形成され、それが欧米保守層やグローバルサウスの一部に受け入れられていく。国内の人口減、アルコール依存、経済停滞といった現実は見えない。
 情報洗浄は、より静的なプロセスだ。初期の偽情報や歪曲は、まず信憑性の低いブログやプロクレムリン寄りサイトで出され、次に陰謀論系のYouTubeチャンネルや「オルタナメディア」がそれを“疑問を呈する分析”として取り上げる。その後、SNSのインフルエンサーや匿名アカウントが「自分で調べた事実」のように再包装し、最後にポピュリスト政治家やテレビのコメンテーターが議会や番組で引用する。この過程を経ることで、元の情報がどの時点でロシアに接続されていたのかを追跡することは難しくなり、反駁しようとする側は「誰もが言っている話」に対して反論しているような構図に追い込まれる。国家が直接前面に出る必要はない。

スーパースプレッダーとTenet Media事件──「西側の声」を利用する

 ペーパーは、ソーシャルメディア上のスーパースプレッダーを情報戦構造の中心に置く。COVID-19期の分析で、健康偽情報の大部分がごく少数のアカウントに集中していたことが示されているが、地政学領域でも同じパターンが見られる。プラットフォーム側がエンゲージメントに基づき収益を配分するモデルを採用している以上、センセーショナルなコンテンツを大量に発信するアカウントほど、経済的にも持続可能になる。
 ここにロシアの資金が結びついた具体例が、2024年に米司法省が摘発したTenet Media事件である。ロシア国営メディアRTから約1,000万ドルがペーパーカンパニーを通じて米テネシー州のメディア企業Tenet Mediaに流れ、そこで雇われたMAGA系インフルエンサーに対し、月40万ドル規模の報酬が支払われていたとされる。彼らは、反ウクライナ、反NATO、親ロシアのメッセージを、あくまで「アメリカ保守層の本音」として発信していた。外見上はロシアの広報ではなく、国内政治の一部に見える。
 この事例が示すのは、ロシアがもはや「偽のアメリカ人」を演じる必要がないということだ。既に存在する国内の政治勢力と語りの方向性が一致するのであれば、そこに資金と話題を流し込むだけで、外国のプロパガンダが内政の延長として流通しうる。スーパースプレッダーは、国家が作ったアカウントではなく、プラットフォームのインセンティブ構造によって生み出される。

ロシアと中国の協調的ナラティブ・エコシステム

 本ペーパーが興味深いのは、ロシアと中国の情報戦を「別々の脅威」としてではなく、「協調的なナラティブ・エコシステム」として描いている点だ。両国の戦略目標や政治文化は異なるが、少なくとも次のような軸で語りが収束している。

  • NATO拡大やウクライナ戦争を、「西側の侵略」「米国の覇権主義」としてフレーミングする。
  • 自国モデルを「安定した代替案」として提示し、リベラル民主主義の正統性を相対化する。
  • グローバルサウスにおいて、「西側メディア偏向」に対抗する国際ニュース供給源として自らを位置づける。

 中国は、一帯一路と連動したメディア戦略を通じて、アフリカ諸国の国営放送にCGTNやXinhuaのコンテンツを組み込み、共同制作や記者研修を行うことでニュースフレーム全体を握ろうとする。ロシアはRTやSputnikのコンテンツを無料または低価格で提供し、予算に余裕のない放送局にとって「便利なニュース供給源」として入り込む。南米ではRTが国際ニュースとして主要な位置を占める国もあり、BBCと並ぶ参照源になっているとされる。
 さらに、両国は欧州の極右・反EU勢力にも接近する。ロシアはAfDやフランスの極右政党、ハンガリーのオルバン政権などと親和的な関係を持ち、中国も欧州の極右政治家を情報源・影響力行使の媒体として利用していたと報じられている。共通しているのは、西側内部の分断と制度不信を利用し、リベラル民主主義の中心に「内側からの揺さぶり」をかける構図である。

欧州の資金と制度──「桁違いの不足」の具体像

 資金の非対称性は、このペーパーが最も具体的に可視化している部分の一つだ。ロシアがプロパガンダに年間15〜18億ドルを投じている一方で、EUの対抗策は数千万ユーロ規模にとどまる。
 ヨーロッパ・メディア・アンド・インフォメーション・ファンド(EMIF)は、2022年に偽情報対策プロジェクトの公募を行ったが、申請総額1,940万ユーロに対して採択されたのは570万ユーロ分、33プロジェクトのみだった。研究開発枠のHorizon Europeで支援されたVIGILANTやFERMIなども合計730万ユーロ規模であり、メディアリテラシー向上のためのEU資金は年間500万ユーロ程度とされる。
 民主主義国家では、こうした支出は議会審議と公共の監視を受ける。情報戦への投資はすぐに「プロパガンダ」「検閲」といった批判を招き、政治的論争の対象となる。一方で、権威主義国家のプロパガンダ予算は国家安全保障の一部として恒常化され、外部からはほとんど見えない。このギャップが、単なる数字の差ではなく「民主主義の制度設計が情報戦能力を制約している」という構造の差異として示されている。

米国という変数──同盟内部からの情報戦

 ペーパーの後半で大きな比重を占めるのが、「The US Variable」と題された節である。ここで示されるのは、米国がもはや情報戦における一貫したパートナーではなく、むしろ内部からの脆弱性の源でもあるという視点だ。
 MAGA運動とロシアのナラティブは、EU・NATO・“グローバリズム”批判、選挙の正統性への疑念、文化戦争といったテーマで明確に重なっている。ロシア国営メディアはMAGA系メディアの語りを好んで取り上げ、逆にMAGA側もロシアの語りと共鳴する形でメッセージを発信する。Tenet Media事件は、この構造に資金の流れが直結した極端な事例であり、ロシアが「米国の愛国者の声」として自らのプロパガンダを流通させていたことを示す。
 より深刻なのは、米国内で“disinformation”という概念そのものが政治戦の道具になっている点だ。かつては国家安全保障上の課題として共有されていた情報操作の問題が、現在では「検閲の口実」「リベラルの陰謀」として攻撃される。国務省のGlobal Engagement Centerや国土安全保障省の監視部門は予算を削減され、機能が縮小している。
 この環境を前提に、ペーパーは「欧州は米国の政権交代による方針反転を織り込んだ戦略的自律を構築すべきだ」と結論づける。情報戦に関しては、トランスアトランティック協力の価値を否定せずに、しかしそれに依存しない枠組みが必要だとされる。

防御から攻勢へ──提案される戦略パッケージ

 本ペーパーの核心は、リベラル民主主義が防御中心の姿勢から攻勢的情報戦へと戦略を転換すべきだという提案にある。ただし、権威主義国家の手法をコピーするのではなく、民主主義の価値を維持したまま攻勢に出る枠組みが求められるとされる。ペーパーが提示する主な要素は次の通りだ。

  • 欧州レベルで情報空間を安全保障インフラとして位置づける。多年度財政枠(MFF)の中にInformation Security Fundのような専用枠を設け、OSINT、メディアリテラシー、戦略コミュニケーションを防衛インフラと同列の投資対象とする。
  • NATOの防衛支出算定に、プレバンキングキャンペーンや多言語の脅威監視インフラへの投資を含め、加盟国が情報戦能力を「防衛義務」の一部として拡充するインセンティブを作る。
  • プレバンキングを選挙前や危機時だけの対策ではなく、恒常的な戦略レイヤーとして位置づける。EEASの戦略コミュニケーション・タスクフォース、EDMO、NATO StratCom COEを連携させ、YouTube、TikTok、ゲームプラットフォーム、学校教育など「人が実際にいる場所」で偽情報の典型的手口やナラティブを事前に可視化する。
  • 情報監視をプロジェクトベースの学術研究から、常設のインフラに移行する。AIによる多言語データ解析、OSINT専門家、地域研究者、フォーサイトチームを組み合わせ、TelegramのクローズドチャンネルやRuNet、WeChat、ディアスポラ・コミュニティなど、「偽情報が育つ場」を継続的に監視する。

権威主義の弱点を突く攻勢的情報作戦

 攻勢的情報戦の具体像として、ペーパーは権威主義国家の内部脆弱性を標的とする構想を提示する。ロシアの人口減少、地域格差、エリート腐敗、若年層の失望、中国の高い若年失業率、検閲への潜在的不満、党内派閥の対立などは、いずれも「事実として存在する弱点」であり、ここに焦点を当てた情報作戦は、虚偽を用いずとも効果を持ちうる。
 Navalnyの反汚職基金(FBK)が制作した「プーチンの宮殿」ドキュメンタリーは、黒海沿岸にある巨大な邸宅を詳細に描写し、その資金源と所有構造を追跡することによって、ロシア政権の腐敗を視覚的に可視化した。YouTube上で1億2,000万ビューを超えたこの作品は、外部から押しつけられた価値観ではなく、ロシア内部に存在する怒りと不満を増幅させる形で機能した。ペーパーはこれを、事実に基づく攻勢的情報作戦の成功例として位置づける。
 また、政府は大規模な官僚組織ではなく、小規模で高機動な「デジタル特別部隊」を持ち、ミームや風刺、ローカル文化を取り入れたコンテンツを柔軟に投入できるようにすべきだとされる。重要なのは、これらが虚偽や捏造を用いるのではなく、既存の事実と内部の矛盾を材料にすることで、長期的な信頼性を維持する点にある。

倫理的境界と民主主義の優位性

 攻勢的情報戦が民主主義の自己否定にならないためには、明確な倫理的境界が必要だとペーパーは主張する。基本原則は三つに整理される。第一に、発信されるコンテンツは真実に基づき、証拠によって裏打ちされ、検証可能でなければならない。短期的な効果を狙って虚偽を用いれば、長期的には権威主義国家からの「偽善」批判を正当化し、自らの正統性を損なう。第二に、対象社会の文化・歴史・政治的コンテクストへの深い理解が不可欠であり、西側の価値観をそのまま移植するのではなく、内部で既に存在する不満や矛盾を可視化する形で語りを構成すべきだとされる。第三に、攻勢的オペレーションには法的監督と事前評価の枠組みが必要であり、議会委員会や独立監視パネル、レッドチーム評価によって、エスカレーションや副作用のリスクを事前に検証する必要がある。
 このような制約は、一見すると権威主義国家に比べて不利に見える。しかしペーパーは、まさにこの制約こそが民主主義側の長期的な優位性の源泉であると位置づける。情報戦は単に「誰が大きな声で叫ぶか」を競うものではなく、「誰がより長く信頼を維持できるか」の競争でもあるからだ。

シビルソサエティを力の倍増装置として組み込む

 最後にペーパーは、BellingcatのようなOSINT調査集団、Vatnik Soupのような監視アカウント、FBKのような告発組織など、国家の外側で活動するシビルソサエティの役割を強調する。これらの主体は、国家機関よりも迅速に動くことができ、政府からの距離があるからこそ得られる信頼性を持つ。
 民主主義国家は、これらを指揮下に置くのではなく、自律性を維持したまま支援する枠組みを整えるべきだとされる。具体的には、手続きの軽いマイクログラント、デジタルセキュリティ支援、SLAPP訴訟などへの法的支援、プラットフォームとの連携を支える情報共有基盤といったものが挙げられる。国家は「指揮官」ではなく「触媒」として振る舞うべきだという立場だ。

情報空間を安全保障の中核として再定義する

 ペーパーの結論は、情報戦を選挙前や危機時だけの副次的課題ではなく、軍事・外交と並ぶ国家安全保障の中核として扱うべきだというものだ。短期(0〜18ヶ月)にはプレバンキングと即応的カウンターメッセージ、OSINT能力の拡充、中期(2〜5年)には国レベルの情報レジリエンスセンターの設置や公共放送・教育の改革、長期(5〜15年)には批判的メディアリテラシーを教育カリキュラムの中心に据えることが求められる。
 偽情報・情報操作の研究の観点から見ると、このペーパーは技術的な対策に留まらず、「制度・予算・政治環境・作戦・倫理」を一つの枠組みの中で扱っている点に価値がある。権威主義国家の情報戦能力の源泉を制度と資金のレベルで示し、西側が防御だけに依存している限り非対称性は縮まらないことを具体的な事例と数字で示したうえで、「民主主義の価値を維持したまま攻勢に出る」という難しい課題に対して一つのパッケージを提示しているからだ。情報空間における権力の再配分をどう構想するかを考える上で、本ペーパーは有用な参照点になる。

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