欧州の政策ネットワーク Digital Policy Lab(DPL)が2025年に公表したブリーフ「Fostering Healthy Masculinities: Building Resilience Against Online Misogyny」は、若年男性がオンライン空間で女性嫌悪的コンテンツに触れる際の「流れ」そのものを記述した文書である。DPL は学術機関ではなく、SNS安全担当者、若者支援団体、研究者、政策立案者が横断的に参加する実務寄りの組織で、理念よりも現場観察に基づく構造分析を重視する。このブリーフの面白さは、女性嫌悪を“思想”として切り出すのではなく、自己改善動画、軽いジェンダー一般化、制度不満、匿名コミュニティ、インフルエンサー経済、プラットフォームの推奨設計といった複数の断片が、どの順番で若者の画面に現れ、その並びがどのような説明力を帯びていくのかを具体的に描いている点にある。
情報の入口としての自己改善動画
DPL の観察でまず重要なのは、女性嫌悪的な語りに触れる最初の場面が、政治的議論でも対立的なコミュニティでもなく、自己改善系の短尺動画にあることである。若年男性のタイムラインの冒頭には、筋トレのルーティン、睡眠効率化のテクニック、朝の習慣、集中力を上げるコツ、食生活の改善といった、ごく一般的な“生活を整える方法”が並ぶ。視聴が続くと、この流れのなかに「女性は社会的地位の高い男性を選ぶ傾向がある」「恋愛市場で男性が不利になるのは努力不足が原因だ」といった軽いジェンダー一般化が紛れ込む。こうした一般化は敵意ではなく“恋愛あるある”の延長に見えるため、受け止め方は日常的で、特別な思想の入口には見えない。しかし推薦アルゴリズムは視聴維持率の高い断片を優先して提示するため、軽い一般化が繰り返し登場し、違和感のない位置に固定されていく。この位置づけが、その後の断片の受容に重要な影響を与える。
異なるサブカルチャーの断片が同じ画面に混在する
女性嫌悪が濃くなるのは、この入口の直後である。ブリーフが最も詳細に描いているのは、Manosphere を構成する複数のサブカルチャーが、本来なら互いに異なる思想背景を持っているにもかかわらず、短尺動画の流れの中では一つの物語の断片であるかのように隣り合って提示される構造である。視聴者が遭遇する断片には、恋愛の不全感を遺伝や外見の問題として扱う Incel 的語彙、離婚制度やDV支援体制の偏りを“男性差別の証拠”として語る MRA 的主張、沈黙の扱い方や視線操作を“女性をコントロールする技術”として教える PUA 系の実践、そして成功と支配を前提に“強い男性像”を説く Alpha 系インフルエンサーの自己啓発的語りが含まれる。これらは本来別々の文脈に属しているが、推奨アルゴリズムは背景の整合性を考慮せず、反応率の高い部分を自動的に抽出し同一の視聴者に提示する。その結果、断片同士の矛盾は切り捨てられ、「男性が構造的に不利である」という一点だけが強調されて受け取られる。この混在こそが、DPLが「構造」と呼ぶものの核心である。
Manosphere 内の主要サブカルチャー
- Incel 的語彙:恋愛の挫折を遺伝や外見の問題として説明し、“選ばれない側”という自己評価を固定化する語りが中心になる。被選択性の不平等が強調され、“努力しても意味がない”という無力感を誘発しやすい。
- MRA 的制度批判:親権、家庭裁判所、DV 支援制度といった領域を取り上げ、「制度が男性に不利である」という訴えを整合的な構造として提示する。制度の偏りを示すデータの裏付けは弱いが、個々の事例が強い感情反応を引き起こし、一般化されて流通する。
- PUA 的テクニック話法:会話の成立を“操作の技術”として扱い、沈黙や視線の使い方、距離の取り方などを女性の心理をコントロールする方法として提示する。関係性を相互行為ではなく、支配の技術として捉える枠組みを前提にしている。
- Alpha 系成功話法:男性の価値を社会的成功の有無に結びつけ、弱さや迷いを排除した理想像を示す。ここでは「勝者」と「敗者」が強く対比され、男性の不全感を“階層化”という物語で説明しようとする。
いずれの断片も、思想的な一貫性よりも、視聴者の反応を引き出しやすいという点で“選ばれて”提示されている。ブリーフは、ここに女性嫌悪の世界観が成立する基盤があると捉える。
過激化は段階ではなく弱い刺激の積層で進行する
DPL の文書で重要な点は、過激化が「穏健 → 過激」という直線的な軌道で進むのではなく、複数の弱い刺激が異なる場で同時に積み重なることによって生じる、という観察である。自己改善が不足感を刺激し、軽いジェンダー一般化がその不足を説明する枠を提供し、制度不満が構造的根拠のように働き、匿名コミュニティでは怒りが共有され、短尺動画の反復で刺激への耐性が下がる。このように、別々のプラットフォームや文脈で受け取った断片が、後からひとつの世界像として統合されてしまう。DPL は、若者が「思想を採用していく」というより、「断片の順番に従って世界を理解してしまう」状態が起きていると記述する。
女性嫌悪は思想ではなく収益モデルとして強化される
ブリーフが力点を置いているのは、女性嫌悪的言説が“優位な思想”として広がるのではなく、収益モデルの内部で強化されるという点である。短尺動画のインフルエンサーは、自己改善講座、恋愛指南、有料コミュニティ、テストステロン系サプリ、ステロイド関連情報、AI生成ポルノなど多様な商材を扱っており、刺激性の高い断片は視聴維持率が高く、推奨アルゴリズムに乗りやすい。これらの断片が繰り返し前面に配置されるのは、思想的な正しさではなく収益最適化の結果であり、女性嫌悪は“注目を稼ぎやすいコンテンツ”として定着する。ブリーフは、この経済的インセンティブを無視しては情報環境を理解できないと指摘する。
観察された商材
- 男性向け自己改善講座:自己啓発の延長として提供され、短尺動画で刺激された不安や不足感を“解決する”商品として位置づけられる。
- 恋愛指南・関係操作プログラム:PUA 的な技術を体系化した有料教材で、視聴者の不安と支配欲を同時に刺激し、課金へ導く導線として機能する。
- テストステロン系サプリやステロイド情報:身体的な“男らしさ”を欠いているという不安を煽り、補う手段として販売される。
- AI生成ポルノや有料コミュニティ:無料コンテンツで関心を集めた後、閉じた空間での“真実の共有”や“独自の情報”を提供する場として課金に誘導する。
これらの商材は、オンライン女性嫌悪を単なる言説ではなく、収益モデルの構成要素として理解する必要があることを示している。
若年男性の脆弱性は構造外ではなく内部で作用する
ブリーフのもう一つの重要な点は、若年男性側の脆弱性が“外的条件”ではなく、情報構造の内部で作用していると捉える観点である。弱さを語れない文化、男性性をめぐる話題が揶揄されやすい学校環境、孤立や抑うつの高まり、相談機能へのアクセス困難、助けを求める行為そのものへの羞恥の強さといった状況が、軽い一般化や制度不満といった断片が“自分の不安を説明してくれる語り”として受け入れられやすくする。女性嫌悪は、他者への攻撃としてだけではなく、若年男性自身の不安や孤立感が絡み合い、説明力を持ってしまう構造の中で広がっている。
介入策は理念ではなく実装の設計として提案される
DPL が提示する介入策は、理念的な教育や説得よりも、情報の流れそのものを再設計する試みが中心である。通報機能の UI を攻撃的な「Report」ではなく「Something seemed off — want to talk about what happened?」という相談誘導型の文言に変更し、行動の段差を下げる方法や、SNS動画で接触しつつオフラインのメンターが継続的に受け止める若者支援プログラム、ゲーム空間で軽度の侮蔑語への初期介入やギルド単位の対話促進を行う手法などが示されている。どれも、断片が積層して世界観が固まる前に、流れを変える“介入のポイント”を見定める実装である点が特徴的だ。
まとめ
このブリーフの価値は、女性嫌悪を単なる危険な思想として切り離すのではなく、若年男性のオンライン環境における情報の提示順序、断片の混在、反応率主導の推奨ロジック、収益モデル、匿名コミュニティの力学、脆弱性の作用など、多層の要素がどのように組み合わさって“流れ”を形成しているのかを具体的に示した点にある。女性嫌悪は個別投稿の問題でも、単独コミュニティの問題でもなく、情報構造の結果として成立していると言える。

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