人道危機を揺さぶるジェンダード・ディスインフォメーション──HAG「Digital Frontlines」が示す現場の構造

人道危機を揺さぶるジェンダード・ディスインフォメーション──HAG「Digital Frontlines」が示す現場の構造 ジェンダー

 Humanitarian Advisory Group(HAG)の「Digital Frontlines: Gendered Disinformation in Humanitarian Crises」は、女性支援者や女性医療従事者に対する偽情報・嫌がらせ・オンライン暴力が、支援現場や政治領域に具体的な影響を及ぼしていることを、複数の国際調査・人道活動の記録・ワークショップ参加者の証言を突き合わせて明らかにする報告書である。WPS(Women, Peace and Security)が25年の制度化にもかかわらずサイバー領域を扱わないという構造的空白が、現場の混乱と結びついたまま放置されているという問題意識が、この文書の出発点にある。地域も領域も異なる事例を丹念に拾いながら、ジェンダーに紐づいた偽情報がどのように伝播し、どのように支援・政治・治安を阻害するのか、その構造を可視化しようとする点に本報告書の特徴がある。

現場で観察された具体的な攻撃のあり方──偽情報は女性支援者にどう作用したのか

 報告書が最初に取り上げるのは、DRC(コンゴ民主共和国)でのエボラ危機における偽情報の広がりである。支援者側の作業日誌や国際機関の調査を参照しながら、HAGは「女性医療従事者が行う行為」に不信が集中したことを示す。ワクチン接種や採血といった医療行動が、“女性が行う”という点と結びつけられ、「毒を入れている」「不妊化が目的だ」という断片的メッセージがWhatsAppで断続的に共有された。通信インフラが脆弱な地域でも、家族単位の対話、宗教集会、地域長老の判断を通じて不信が生活圏に入り込み、女性スタッフの接触を避ける行動、治療拒否、支援施設への不安が連鎖した。支援体制そのものが破綻したわけではないが、“誤情報の動き”が女性スタッフに焦点化されることで、日常的な支援行為に具体的な障害が生まれていたことが確認される。

 同じ現象は政治領域にも見られる。IPUの調査では、女性議員に対する攻撃が政策内容とは無関係に、母親としての役割や性的噂と結びつけて拡散することが明確に示されている。議会活動や法案への立場よりも、家庭生活や性に関する虚偽情報がSNSで反復され、議員の正統性や信頼性を揺らす構造が定着している。男性議員には見られない特有の攻撃であり、女性議員の政治的活動の可視性が高まるほど、攻撃は「女性であること」そのものに向かう。

 ジャーナリズム領域では、UNESCOとICFJが実施した国際調査のデータが参照され、女性記者の大多数が性的脅迫、捏造画像、民族的侮辱の組合せを受けている事実が提示される。特に調査報道や汚職追及といった“権力監視”の領域において、女性記者は取材対象ではなく女性という属性そのものに攻撃が集中し、レイプ予告や家族への脅迫が職務遂行に実際の影響を与えている。被害者個人の評判の問題ではなく、取材の継続性、編集判断、組織内部での役割分担に影響が積み重なる点を報告書は重視する。

 人権擁護領域では、国家主体や準政府系アクターが女性活動家を標的にした情報操作を行った事例が複数紹介される。政府系アカウントが活動家を“過激派支援者”と描く手法、女性の性的情報を捏造して拡散する手法などが、国や政治体制を問わず反復して確認されている。こうした攻撃は、対象個人を黙らせるだけでなく、組織内部の意見形成や国際的連携にまで波及し、現場の活動が縮小する“二次効果”を持つ。

 HAGが主催したワークショップでは、支援機関・赤十字・地域団体・学術関係者が、人道支援の実務に情報攻撃がどのように干渉するかの具体例を共有した。オンライン上の偽情報や嫌がらせが、地域での信頼関係や治安判断に直接影響し、保護サービスの利用低下、調停役としての女性の権威の弱体化、支援スタッフの安全確保の難化といった“現場の阻害”として現れることが繰り返し語られている。いずれの証言も、個人攻撃以上に、役割や職務に対する正統性の毀損が現場で深刻な影響を生んでいることを示す。

事例から浮かび上がる攻撃の構造──標的選択・伝播経路・三層攻撃

 これら異なる領域の事例を束ねると、ジェンダード・ディスインフォメーションが“女性の役割”を入口として情報空間に侵入するという共通構造が浮かび上がる。医療行為、議会活動、取材行為、人権擁護という職務内容は異なるが、攻撃の焦点は常に性、家族、道徳、宗教といったジェンダー規範に引き寄せられ、対象者の職能評価ではなく“女性としての逸脱”を物語として組み立てる。DRCのような低接続社会でも偽情報が強い影響を持つのは、オンライン発信ではなく家族単位の会話、宗教的権威、地域長老といった既存の信頼ネットワークを通過するためである。伝播経路が“技術的な拡散”ではなく“社会的な信頼構造”に依存する点が、プラットフォーム企業や外部の情報介入が十分に機能しない理由になっている。

 さらに、攻撃は単層ではなく三層構造として働く。最初に短い偽情報が投入され、対象者の役割に対する疑念が形成される。次に民族・宗教・性的要素を結びつけたジェンダーヘイトが付加され、対象者の人格を損なう物語が固定化される。最終的にレイプ脅迫や殺害予告、家族への危害などのオンラインGBVが現れ、オンライン空間を超えて物理的危険と結びつく。報告書が繰り返し指摘するのは、この三層構造が地域や領域を問わず観察され、特定の政治思想ではなく“女性の公共参加を阻害すること”自体を目的としている点である。

制度的含意──WPSの空白とレポートが示す問題の位置づけ

 報告書は、これらの現象がWPSの四本柱──性・ジェンダー暴力、女性の参加、危機対応、リーダーシップ──のすべてに影響することを示す。オンライン攻撃が物理的暴力と連動するにもかかわらず、司法制度は十分に対応できず無罰性が実質的に温存される。女性の参加は自己検閲、退出、若年層の意欲低下を通じて制度的な弱体化へ向かう。危機対応では、誤情報による医療・保護サービスへの不信が支援の受入れを阻害し、現場の対応力が低下する。リーダーシップ領域では、WPS政策がサイバー領域を想定していないため、対策が総合化されず制度的な空白が残る。報告書が提示する“情報レジリエンス”の枠組みは、この空白を埋めるために地域の信頼アクターを中心に平時から情報基盤を構築し、pre-bunkingやverification hubを用いて危機時の情報環境を安定化させようとするものである。外部のプラットフォーム対策だけではなく、地域の情報ネットワークそのものを支える制度設計を求めている。

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