欧州人種差別・不寛容対策委員会(ECRI)2025年次活動報告:ヘイトスピーチの深刻化と対抗措置の現状

欧州人種差別・不寛容対策委員会(ECRI)2025年次活動報告:ヘイトスピーチの深刻化と対抗措置の現状 ヘイトスピーチ

 欧州評議会(Council of Europe)の独立監視機関である欧州人種差別・不寛容対策委員会(ECRI: European Commission against Racism and Intolerance)が、2025年1月から12月の活動を総括した年次報告書を2026年5月28日に公表した。ECRIは1993年の欧州評議会第1回首脳会議のウィーン宣言に基づいて設立され、2002年に閣僚委員会がその自律的定款を採択して以降、加盟46か国の政府から独立した専門家集団として機能する。各国から任命される46名の委員は個人資格で活動し、政府からの指示を受けない。本報告書は機関の擁護的・アドボカシー的性格を持ちつつも、国別監視訪問に基づく一次的観察を多く含む点で実証的価値が高い。

報告書の構成と2025年の中心テーマ

 年次報告書は毎年、翌年の活動の文脈を示すため欧州における人種差別・不寛容の主要動向を冒頭に概観する。2025年版はこの位置づけの特集テーマとして「ヘイトスピーチの防止と対策」を選定した。この選択自体、ECRIが国別監視を通じて欧州全域でヘイトスピーチの深刻化・常態化を認識していることの表れである。報告書本体は、ヘイトスピーチ動向分析(A〜J節)、2025年活動記録、付録(委員名簿・事務局・会合記録・刊行物一覧)から構成される。

欧州におけるヘイトスピーチの現状:対象集団と動向

 ECRIが各国訪問および市民社会・独立機関の報告書をもとに観察した動向は、複数の差別的言説が同時並行して激化しているという全体像を示す。

 公式統計と民間調査を横断した観察によれば、ヘイトスピーチの根拠として最も頻繁に観察されるのは民族的・国民的出自であり、宗教、国籍、性的指向、性自認がこれに続く。反ユダヤ主義的・反イスラム的ヘイトスピーチはいずれも2023年10月7日のハマスによるイスラエル攻撃とその後のガザ紛争以前と比較して水準が大幅に高止まりしており、統計上の顕著な上昇が継続している。LGBTIフォビアについては、トランスジェンダーの人々が公的言説において特に標的とされており、法的性別承認に関する立法議論が攻撃の文脈として利用されていることが複数国で確認された。

 移民や難民に向けた排外主義的言説の増加も報告書が強調する動向の一つで、より厳格な入国管理政策の策定過程でこうした言説が顕在化するパターンが観察された。さらにこの排外主義的言説はしばしば反黒人人種差別主義と交差し、アフリカ系住民がオンライン環境やスポーツ分野で特にヘイトスピーチの対象となっている。ロマについても、公衆衛生や治安への脅威として描写するヘイトスピーチが頻繁に報告された。

政治領域におけるヘイトスピーチの機能

 ECRIが政治領域に関して記録した最も重大な動向は、選挙期間中に外国人(特に移民)、LGBTI者、ロマ、ムスリムを対象とする有害な言説が政治的に動員されるパターンである。報告書の分析によれば、政治家による偽情報や否定的ステレオタイプに基づく炎上的・分断的言説は、公的生活における差別的言動の軽視化(trivialisation)を促進し、社会的緊張を高め、対象集団に排除感と周縁化感をもたらす。ECRIはこうした自主規制の枠組みとして、欧州議会議員会議(PACE)が2022年決議2443で承認した「非人種差別的・包摂的社会のための欧州政党憲章」の署名を繰り返し推奨している。

 一方で一部の国では政治指導者がヘイトスピーチへの公開的な異議申し立てや対抗言論(counter-speech)の取り組みを主導する事例も確認されており、報告書はこうした態度を積極的に評価している。

 ヘイトスピーチと偽情報キャンペーンの接続も重要な観察点として記録された。いくつかの国では、ヘイトスピーチが移民やLGBTI者を標的とする政治的偽情報キャンペーンの構成要素として機能しており、データの誤用、孤立した出来事の一般化・脱文脈化・歪曲というパターンが選挙期間中に特に顕在化している。海外発の偽情報キャンペーンへの懸念も各国当局から高まっており、報告書はこれを増大する問題として提起している。

オンラインヘイトスピーチ対策の課題と実践

 オンラインヘイトスピーチへの対処は欧州評議会加盟国全体で主要な政策課題となっており、ソーシャルメディアおよびメッセージングプラットフォームを経由した有害コンテンツの急速かつ広範な拡散が問題の核心にある。匿名プロフィールやボットの広範な利用が有害コンテンツの拡散を加速させると同時に、責任の所在を曖昧にし、比例的・抑止的制裁の執行を困難にしている。

 当局が直面する追加的な課題として、大規模なオンラインコンテンツのモデレーション、表現の自由との均衡を維持しながらの規制・共同規制・自主規制の枠組み整備、当局・テクノロジー企業・市民社会の実効的な協力体制の確立が挙げられている。報告書はこの文脈でインターネット仲介業者(ソーシャルメディアプラットフォーム)との協力を強化して通報プロセスを改善した良好実践の存在を記録し、オンラインヘイトスピーチ事案の関係公的機関・プラットフォーム・信頼された通報者(trusted flaggers)への通報メカニズムの整備と通報処理ルールの明確化を不可欠と位置づける。

 AIおよびデジタルツールのヘイトスピーチ検出・報告・モデレーションへの活用については、利用規模はまだ限定的であるものの、強力な人間の監督、透明性、適切な保護措置と組み合わせることで有効性が向上するという観察が記録された。

法的枠組みと政策の整備状況

 ヘイトスピーチ対策立法の不備が問題の放置を招いているとする指摘は、複数の加盟国に共通する構造的課題として記録された。ECRIの見解では、刑事法のみに依拠した対応では不十分であり、民事・行政規定を包括した複合的な法的枠組みの整備が不可欠である。明確な法的定義、適切な制裁、実効的な救済手段の三要素が被害者保護の基盤を構成する。

 政策面では多くの国が反ヘイトスピーチ政策を反人種差別戦略・行動計画の一部として、あるいは集団別の個別政策として整備している。ECRIは市民社会代表との協議に基づき、具体的目標と測定可能な行動を含み、持続的な専用財源に裏付けられた政策が最も実効的であるとする。しかし一部の集団、特にロマやムスリムについては、その権利擁護が政治的・選挙的に不利益と認識されるため、官民統計が対策の必要性を明示しているにもかかわらず政策的保護から系統的に排除されているという問題が記録された。

通報の低さと法執行への信頼問題

 欧州各国の市民社会組織からの調査・報告に基づけば、ヘイトスピーチ事案の相当割合が法執行機関に通報されていない。ECRIが特定した主要因は、リスクにさらされた集団における警察・法執行機関への信頼の低さである。この信頼欠如の要因としては、法執行職員による不適切な対応や被害者による捜査無効感の認識が挙げられ、最も深刻なケースでは法執行職員による実際の、または認知された人種差別的虐待が刑事司法制度全体への信頼を根底から損なっている事例が観察された。

 この問題への対処として、ヘイトスピーチ・ヘイトクライム対策を担当する専門法執行職員の指定・研修の傾向が明確かつ肯定的な動向として記録された。この専門化の取り組みには、オンライン上のヘイトスピーチ・ヘイトクライムも対象に含まれており、対象集団との関与強化も組み合わせられている。

対抗活動従事者の安全と萎縮効果

 報告書が深刻な懸念として記録しているのは、人種差別的・反LGBTI的ヘイトスピーチに公然と異議を唱える個人や組織が、それ自体のヘイトスピーチや脅迫(時に殺害予告)の標的となる事例の増加である。国会議員、平等機関の代表者(特に指導的地位)、市民社会組織構成員、さらに個別の裁判官が標的となったケースが複数国で確認されており、こうした状況が当事者の発言や問題への取り組みを萎縮させる効果をもたらしている。ECRIはこれを構造的問題として位置づけ、市民社会アクターが活動できる安全で自由な市民空間の維持と、国会議員・平等機関代表者・裁判官の実効的保護が民主主義の機能に不可欠だと主張する。

子どもと若者の保護

 ヘイトスピーチが特に加害者・被害者両面で子どもや若者に与える影響の増大も、報告書が警鐘を鳴らす動向の一つである。オンライン環境における早期からの有害コンテンツへの接触は、オフライン・オンライン双方における憎悪の軽視を促進し、子どもと若者の精神的健全性を脅かす。学校がヘイトスピーチや分断的言説の温床となりやすく、教師がこうした状況への対処に十分備えていないというパターンも複数国で観察された。中東紛争に関連した議論が生徒間の敵意や有害行動に発展した事例があり、一部の学校は対話の促進ではなく議論の制限という応答を選択しているが、これはインターカルチュラル社会における共生教育とは逆行するとECRIは批判的に評価する。人権教育とメディアリテラシーの確保がオンライン・オフライン双方のヘイトスピーチへの対抗と若者の人種差別・不寛容への抵抗力形成に不可欠だという立場が繰り返し強調されている。

2025年のECRI主要活動

第6・第7監視サイクルの運営

 ECRIの監視活動は複数年サイクルで進行し、2025年は第6サイクルと第7サイクルが並行して推移した。第6サイクルは平等機関の独立性・実効性の強化、インクルーシブ教育、不法滞在移民の権利へのアクセス、LGBTI平等、ヘイトスピーチ・ヘイト動機による暴力への対策、移民およびロマの統合・包摂という課題群に焦点を当てたもので、2025年中にウクライナ(9月に訪問実施)を除く全報告書を採択して実質的に完了した。2025年に公表された第6サイクル報告書はクロアチア、フィンランド、アイルランド、ラトビア、モンテネグロ、ポルトガル、ルーマニア、スロベニア、スペイン、スウェーデン、トルコの11か国分、中間フォローアップ結論はアルメニア、アゼルバイジャン、ブルガリア、フランス、ジョージア、ギリシャの6か国分である。

 2025年に始動した第7サイクルはヘイトスピーチ・ヘイトクライムの防止と対策、教育・医療部門における平等な扱いと包摂を横断的テーマとし、18か月後に2つの優先勧告の実施状況を審査する中間フォローアップ手続きを維持する。2025年中に実施した第7サイクル監視訪問はアルバニア(6月)、オーストリア(5月)、ベルギー(11月)、チェコ(11月)、デンマーク(11月)、モナコ(6月)、ノルウェー(11月)、スロバキア(5月)の8か国である。

一般政策勧告の更新

 ECRIは過去に17本の一般政策勧告(GPR)を採択しており、2025年は2006年採択のGPR第10号「学校教育における・を通じた人種差別と人種差別主義対策」の改訂作業を開始した。同GPRの採択から20年が経過し、教育分野における人種差別への対応のあり方を更新する必要性が認識されたことが背景にある。改訂作業部会は2025年12月2日に初会合を開き、将来の改訂版GPRの内容と作業方法を検討した。

平等機関との年次セミナー

 2025年10月23〜24日にストラスブールで開催した年次セミナーは「民主主義の後退期における平等の前進」と題し、欧州平等機関ネットワーク(Equinet)および国連人種差別撤廃委員会(CERD)との共同開催で実施した。平等機関、市民社会、学術界の代表者60名超に加え、欧州評議会議員会議・人権委員の代表、欧州人権裁判所、EU、国連の代表が参加した。

 セミナーでは欧州全域における構造的差別(ロマ、アフリカ系、ユダヤ系、ムスリム、移民、LGBTI者に対するもの)の持続、民主主義の後退と移民の「安全保障化」がこれらの不平等を増幅させるメカニズム、平等機関が政治的圧力下で独立性を維持するための法的・制度的保障のあり方が議論された。ECRIのGPR第2号(改訂版)、EU指令2024/1499(平等機関の基準に関するもの)、EUの反人種差別戦略2026〜2030の相互補完性についても検討が加えられた。

 アルゴリズムバイアスと人種プロファイリングを主題とするセッションでは、AIが法執行・入国管理当局に利用される局面での差別防止に向け、平等影響評価、透明性要件、多分野協力の不可欠性が強調された。EUのAI法と欧州評議会のAIに関する枠組条約は重要な前進として評価されつつも、実効的な実施には十分な財源、専門知識、国内当局間の調整が必要だとする留保も表明された。

 セミナーはECRI議長Bertil Cottierが「欧州の複数地域で市民空間が縮小し、偽情報と分極化が進み、平等機関は正当性と独立性を損なう圧力に直面している」と述べて開幕しており、民主主義の後退に対する機関の危機意識が反映されている。

対外協力と機関間連携

 2025年の対外活動は多岐にわたる。欧州評議会内部では、拷問防止委員会(CPT)との交換討議(警察における人種プロファイリング、トランスジェンダー、移民を議題)、性的指向・性自認・表現・性特性に関する政府間専門家委員会(ADI-SOGIESC)第3回会合(マルタ)、人工知能・平等・差別に関する専門家委員会(GEC/ADI-AI)第3回会合(2月)などへの参加が含まれる。CERD、UNHCR、OSCEの民主制度・人権事務所(ODIHR)との協力も継続し、OSCEからはバルカン・東パートナーシップ地域の法執行・市民社会代表者向け「民族・宗教的根拠に基づく憎悪に対するより強固な警察対応の構築」セミナー(11月、スコピエ)への参加招待を受けた。EU側との連携では欧州委員会・欧州評議会共催の反イスラム人種差別・差別に関する調整会議(3月)や技術会議(9月)への参加が記録されている。

 米国の脱退という出来事も記録されている。2025年2月7日、アメリカ合衆国はECRIにおけるオブザーバー資格を撤退した。ECRIは第97回本会議(3月18〜20日)でこれを遺憾をもって確認しており、2022年からオブザーバーを務めていたClarence Lusaneの書面声明が委員全体に周知された。

民主主義との連接:報告書の結論的位置づけ

 報告書は、人種差別的・反LGBTI的ヘイトスピーチが挑戦を受けないまま放置されれば、ヘイト動機による暴力の先行指標あるいは直接の促進要因となりうることを強調する。ヘイトスピーチが民主主義社会全体に及ぼす連鎖的影響について、特にリスクの高い集団がいち早く不安全感を抱き、公的機関への信頼を失い、市民参加から遠ざかるという経路で示す。この文脈において、ECRIはヘイトスピーチ対策を直接被害者の保護という個別問題としてではなく、民主主義社会の実効的機能の基盤条件として位置づけている。報告書は欧州全体の民主的コミットメントの刷新・強化を目指す欧州評議会の「ヨーロッパのための新民主主義協定(New Democratic Pact for Europe)」がこれらの原則を強化する機会を提供すると結んでいる。


コメント

タイトルとURLをコピーしました