2024年11月5日にアメリカで実施された大統領選挙と総選挙について、OSCE(欧州安全保障協力機構)の選挙監視団が最終報告書(2025年4月4日)を発表した。OSCEはアメリカも加盟する国際組織であり、選挙監視は加盟国同士の合意に基づいて実施される。この報告書は、選挙運営の全体構造に対する観察を目的としたもので、投票制度、訴訟、資金、報道、代表権、偽情報など多岐にわたる領域が対象となっている。
本稿では、報告書に含まれた偽情報の分析を軸にしつつ、その内容が制度全体の評価とどのように関係していたのかを整理する。
訴訟、登録制度、制度的不均衡
選挙の正統性に対する圧力は、投票日以前から制度の各所で顕在化していた。報告書によれば、2024年の総選挙をめぐっては少なくとも295件の訴訟が提起されていた。中でも接戦州では、選挙法をめぐる判断が投票直前に下されるケースが多く、有権者の混乱を招いた。連邦最高裁が原則とする「Purcell基準」(選挙直前の制度変更は避けるべき)も、実務上の運用に一貫性を欠いていたとされる。
投票アクセスの面では、州ごとの登録制度やID要件が特定の集団に対して不均衡な影響を与えていた。有権者IDが義務化された州では、約17万人のトランスジェンダー有権者が公的身分証と一致しない情報しか持っていないとの調査も引用されており、制度的な排除が問題化している。
偽情報はどこから制度に食い込んだのか
報告書が注目したのは、こうした制度的な緊張関係と偽情報の拡散構造が連動していた点だった。
選挙前には、ジョー・バイデン大統領の声を模したAI音声がニューハンプシャー州の有権者に発信され、「予備選に行かなくていい」と棄権を促す内容が録音されていた。副大統領カマラ・ハリスに対しては、AI生成の性的映像や、事実無根のひき逃げ事件への関与疑惑、軍服姿の偽画像などが拡散され、一部はトランプ本人のSNSでも共有された。
また、“Progress 2028”と名付けられたキャンペーンは、あたかも民主党の将来戦略を装いながら、保守系ネットワークが資金提供した虚偽広告だった。報告書では、こうした手法が「情報出所の偽装によって、有権者に誤認をもたらす構造的な偽情報」として明確に記録されている。
このように、偽情報は単なる偶発的な誤情報ではなく、制度の隙間に入り込み、有権者の判断や行動を直接揺るがすものとして機能していた。
情報インフラの変化と管理体制の疲弊
SNSプラットフォームの対応にも課題があった。報告書では、Xの「Community Notes」が誤情報に対する十分な制約になっていないと評価されている。Meta(Facebook・Instagram)は選挙期間中こそ第三者ファクトチェック制度を維持していたが、2025年1月にこの制度の終了と注釈形式への移行方針を発表している。
また、偽情報が直接的に人を攻撃するケースも記録されている。複数州で選挙管理者に対して白い粉の封筒や脅迫文が送りつけられ、報道では最大で約4,000件の脅迫が確認された。その結果として、複数州で選挙管理職の大量離職が発生し、制度を維持する現場の人的リソースそのものが失われつつあることも指摘されている。
報告書が提案する制度改革の方向性
OSCE/ODIHRは、以下のような制度改善の勧告を提示している:
- 投票権制限に関する事前審査(プレクリアランス)の再導入
- 仮想通貨を含む選挙資金の透明性確保
- ワシントンD.C.や米領の完全な議会代表権
- 大統領選挙における選挙人団制度の見直し
- 偽情報への恒常的対応と選挙管理者の安全保障
これらの提言は、いずれも「制度そのものが中立であるとは限らない」という前提に立っている。
偽情報という構造的脆弱性
この報告書が示すのは、偽情報が単なる「誤った情報」ではなく、制度の運用と構造の中で特定の役割を果たしうるという現実である。有権者に誤解を与えるだけでなく、投票行動を歪め、管理者を萎縮させ、報道を装って意図を隠す。制度が支えるべき公共空間そのものが、その内部から揺らいでいる。
OSCEはその観察を通じて、アメリカの選挙制度がいま何に脅かされているのかを可視化しようとした。偽情報に関心をもつ立場として、この報告書が描いた制度の断面図には学ぶべき点が多い。
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