国連が最も備えに欠けていると認定したリスクは「偽情報」だった

国連が最も備えに欠けていると認定したリスクは「偽情報」だった 偽情報の拡散

 2025年7月、国連は『Global Risk Report 2024』を発表した。これは136か国・1100人超のステークホルダーによる調査を基に、28のグローバルリスクについての認識、対応力、相互関係を分析したものだ。その構成は極めて包括的で、リスクの重要性(発生確率×影響の大きさ)と、それに対する多国間制度の備え(識別・予防・緩和の能力)を軸に、リスクのネットワーク的構造と連鎖的な波及効果まで視野に入れている。

 その中で、最も注目すべきなのは、「偽情報(Mis- and Disinformation)」が全リスクの中で唯一、重要性も備えのなさも極端に高い水準にあるとされた点である。


「グローバル脆弱性」という枠組み

 報告書では、リスクの「重要性」と「備えの程度」の両軸でマッピングされた28のリスクのうち、重要性が高いにもかかわらず、対応能力が著しく不足しているリスク群を「グローバル脆弱性(Global Vulnerabilities)」と呼ぶ。多くのリスクは、技術(AI・サイバー)、環境(気候・資源・生物多様性)、社会(感染症・移民)といったクラスタ内でまとまっている。ところが偽情報だけは単独で、最も深刻な脆弱性として特記されている

 この位置付けは決してレトリックではない。28のリスクの中で、偽情報は「影響の大きさ」「発生確率」を掛け合わせた重要性スコアで第3位(35.4点)にランクインしており、同時に「多国間制度の備え」という観点では宇宙起因災害やサイバー攻撃と並ぶ最低レベルの準備状況にあるとされている。


偽情報は他のリスクを加速させる

 さらに重要なのは、偽情報が他のリスクに対してカスケード的影響を及ぼす中心的な媒介リスクと位置付けられている点だ。報告書のネットワーク分析では、地政学的緊張、大規模戦争、社会的結束の崩壊、国家主権の侵食といったリスクと強く結びついている。つまり、偽情報は単体で破壊的なだけでなく、他のリスクの発現や悪化を促進するハブとして機能している。

 とりわけ政治的対立や社会不信の拡大において、偽情報はトリガーとして機能しやすく、国家間の誤解や国内の政策不信を一気に顕在化させる。その性質は、パンデミックや気候変動と異なり、意図的かつ戦略的に用いられうるという点で、制御の困難さを一層際立たせている。


現状維持シナリオに描かれる“誤動画戦争”

 報告書では、4つの未来シナリオ(崩壊・現状維持・進展・突破)が提示されている。その中の「Status Quo(現状維持)シナリオ」では、国際社会が協力体制を改善できないまま、ある国が戦争準備をしていると偽るディープフェイク動画が拡散され、同盟関係が崩壊するという事態が描かれている。

 このシナリオの中で、偽情報はサイバー攻撃、情報分断、社会的分極化、さらには環境資源の過剰消費にまで連鎖的な影響を与える。偽情報が一度社会の信頼構造を破壊すれば、それが気候協定の離脱、感染症対応の混乱、移民受け入れ政策の失敗といった形で他領域にも波及していく。これは単なる仮想未来ではなく、すでに過去10年に多発した現実の延長線にある。


偽情報への対応が特に困難な理由

 報告書が強調するのは、偽情報への対応が難しいのは技術的問題ではなく、制度的・社会的信頼の欠如に起因している点である。他のリスクでは「資金不足」「技術の未熟さ」が主な障壁だが、偽情報では、

  • データと事実の共有不足
  • 説明責任を果たす制度の不在
  • 合意形成の困難
    が主たる障害となっている。

 このような構造的な欠如がある限り、偽情報への国際的対応は後手に回らざるを得ず、結果として“最も重要で、最も備えが遅れたリスク”という不名誉な地位にある。


国連の動き:ようやく始まる制度対応

 国連はこの状況を受け、2025年末までに「情報エコシステムにおけるリスク対策タスクフォース」を設置する方針を明記した。これは、偽情報が国連のミッション(人道支援、平和維持、開発援助)そのものを妨げる要因になりつつあるという認識に基づく。実際、パンデミック対応や戦争報道における情報操作は、国連機関の信頼性や活動の実効性を直接的に損ねる事例が相次いでいる。


情報環境の「ガバナンスなき構造的脆弱性」

 この報告書が突きつけているのは、偽情報とは単なる認識の誤差でも、技術の悪用でもなく、グローバルな制度が最も遅れている“空白領域”であるという事実だ。インフラでも、資源でも、感染症でもない。「誰が何を真実と定義するか」という問題が、21世紀の最も深刻な構造的脆弱性になりつつある。

コメント

タイトルとURLをコピーしました