台湾で進む偽情報への制度対応──抖音プロパガンダ、AIディープフェイク、そして民主主義の防衛線

台湾で進む偽情報への制度対応──抖音プロパガンダ、AIディープフェイク、そして民主主義の防衛線 偽情報対策全般

 台湾における偽情報問題は、選挙干渉や社会分断といった情報戦の初期段階を超え、制度的な反応が求められる局面へと移行している。Global Taiwan Instituteが発行する『Global Taiwan Brief Vol.10 No.9』(2025年5月7日)は、この転換点を象徴する三つの現象を取り上げている。すなわち、中国系インフルエンサーによる抖音(Douyin)上での統一プロパガンダ、AIディープフェイクを用いた政治的・性的攻撃、そしてそれらに対する台湾政府の制度的対応である。本稿では、同号に収録された三本の論考を参照しつつ、民主主義が偽情報環境の中でどのような制度的“耐性”を獲得しようとしているのかを検討する。

抖音インフルエンサーと“戦争の宣伝”:制度を内破する言論

 台北市内で中華人民共和国の国旗を振り、人民解放軍による台湾包囲演習を賛美するライブ配信を行う──。こうした行動が台湾国内で注目を集めるようになったのは、抖音アカウント「亞亞在台灣(Yaya in Taiwan)」を運営していた中国出身のインフルエンサー、劉振亞による投稿がきっかけだった。彼女は中国湖南省出身で、台湾での滞在資格(依親居留)を得ていたが、抖音上で繰り返し「一国一制」や「明日は五星紅旗で島が覆われる」といった発言を行い、政府の対応を誘発した。

 台湾政府は、国家安全と社会秩序を脅かす言論として、劉の在留資格を取り消し、国際人権規約ICCPR第20条1項「戦争の宣伝の禁止」を根拠に国外退去処分とした。この事例の意義は、制度的寛容性(言論の自由)を逆手に取る“制度内破型”の言論に対して、リベラルな法制度がいかに対処可能かという試金石となった点にある。象徴秩序(民主主義)を否定する言論が、その象徴を保証する制度の内部から発信される場合、いかなる法的・倫理的正当性の下で対処が可能かという問題が可視化されたと言える。

AIディープフェイクと選挙干渉:現実認識の操作と制度破壊

 AIによって生成された音声や映像が、現実の出来事や言説を巧妙に模倣し、制度的プロセスを撹乱する──。この脅威が現実化したのが、2024年の台湾総統選である。筆者Ahmet Yiğitalp Tulgaは、複数の政治家がAI生成のディープフェイク映像により誹謗中傷され、また候補者間の非実在対話が「暴露」された事例を挙げ、台湾社会が偽情報による制度的攻撃の最前線にあることを指摘する。

 特に注目すべきは、選挙干渉に留まらず、性的ディープフェイクの大量流通がプライバシー侵害として深刻化した点である。YouTuber朱玉宸による事例では、100名以上の女性の顔がポルノ動画に合成されて販売されており、立法府は2023年にAIによる非同意性的生成物の刑罰化を盛り込んだ改正を行っている。これは、ディープフェイクが単なるフェイクコンテンツの問題ではなく、制度的正当性(選挙)や人格権(プライバシー)を基盤から侵す存在であることを示している。

象徴と制度をめぐるグレーゾーン:自由はどこまで耐えられるのか

 本号の論考群を通じて浮かび上がるのは、台湾が制度としての民主主義を防衛する過程において、言論の自由や多様性といった象徴秩序が侵食される可能性にどう対峙するかという命題である。抖音やYouTube上に投稿されるコンテンツは、単なる自己表現にとどまらず、制度的機能を逆用した象徴戦として機能している。すなわち、「自由な表現」という象徴を用いて「自由な社会」そのものの正統性を傷つけるという構造である。

 台湾政府は、退去命令、ディープフェイク関連法の整備、選挙期間中の情報環境監視強化といった施策を取っているが、それは単なる規制強化ではない。「制度秩序を維持するために象徴秩序の操作をどこまで容認するか」という民主主義にとって本質的な課題に対する試行錯誤である。

制度としての民主主義の“耐性”はいかに設計されうるか

 台湾の事例は、偽情報対応が制度論へと展開していく典型例である。民主主義国家が外部からの情報戦・認知戦にさらされる中で、自由と寛容の原理をどのように運用可能か、その臨界点が問われている。とりわけ、生成AIによる言説環境の変質や、国家的プロパガンダと個人の表現の境界が曖昧化する現在、制度の強靱性(resilience)は、単なる規範の保持ではなく、不断の制度設計と事後対応の積み重ねによってのみ維持されうる。

 台湾は「偽情報民主主義圏」における最前線であり、その制度対応の変遷は他の民主国家にとっても先行事例として注視すべきである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました