「偽情報が拡散されている」という言葉はもはやニュースの常套句となったが、その内容が国際犯罪の隠蔽に直結していたとしたらどうだろうか。2025年5月8日に公開された国際人権団体 Global Rights Compliance と The Reckoning Project が共同執筆した報告書『Manufacturing Impunity: Russian Information Operations in Ukraine』は、まさにその点に踏み込んでいる。本稿では、この報告書が提示する「情報アリバイ(Information Alibis)」という新たな概念を軸に、ロシアによる偽情報操作と戦争犯罪の関係性を紹介する。
「情報アリバイ」とは何か
この報告書が定義する「情報アリバイ」とは、戦争犯罪などへの責任を否定する目的であらかじめ用意された虚偽情報のことだ。たとえば、民間施設への攻撃後に「そこは軍事拠点だった」と主張したり、破壊行為を相手側の自作自演と位置づけたりする。このような情報工作は偶発的な反応ではなく、戦術的・計画的な行為として組織的に行われている点に特徴がある。
この「情報アリバイ」は、単なる誤報や宣伝とは異なり、犯罪そのものの構成要素として機能し得ると本報告書は位置づけている。
ウクライナ戦争での5事例:偽情報の即時展開
報告書では、ウクライナ戦争における代表的な5事例を挙げ、それぞれにおいてロシアがどのように情報アリバイを展開したかを詳細に検証している。
- マリウポリ産科病院への空爆
→ 攻撃直後、ロシア国防省は「過激派が立てこもっていた」と発表。 - マリウポリ劇場の爆撃
→ 数百人の避難民がいたとされる建物を、「ウクライナ側が爆破した」と主張。 - クラマトルスク駅襲撃事件
→ 被害に使用されたミサイルの出所を巡って矛盾した発信を繰り返し、責任を曖昧化。 - オレニフカ捕虜収容所の爆発
→ 自国による襲撃と疑われる中、「ウクライナが米製兵器で攻撃した」との声明。 - カホウカ・ダム破壊
→ 甚大な洪水被害をもたらしたダムの爆破について、責任を転嫁する複数の説を同時展開。
これらの偽情報は、戦闘行為とほぼ同時に拡散され、調査や国際的非難を妨害する機能を果たしていた。
法的な論点:虚偽情報が「犯罪行為」となる可能性
報告書の核心は、こうした情報操作が国際刑事責任を構成し得るという点にある。とりわけ国際刑事裁判所(ICC)ローマ規程第25条に基づく「共謀」「幇助」「その他の形態の関与」として、情報アリバイの拡散者にも刑事責任が及ぶ可能性が論じられている。
また、情報アリバイが犯罪の計画・実行・隠蔽において重要な役割を果たしたと認定される場合、その寄与の程度に応じて、メディア関係者や政治家など非戦闘員にも責任が及ぶ可能性がある点は特筆に値する。
表現の自由との関係:どこまでが「合法」か
当然ながら、偽情報の発信すべてが犯罪になるわけではない。本報告書は国際人権法上の「表現の自由」との関係にも配慮しており、「意図的かつ計画的に犯罪に資する形で使われた情報操作」のみが対象となることを明確にしている。この点は、情報戦に対する法的規制を正当化するための精緻な基盤となっている。
むすびに──戦争犯罪の「影」に光を当てる報告書
『Manufacturing Impunity』は、戦争犯罪の「物理的証拠」ではなく、「情報操作」を分析の主軸とした異色の報告書である。その斬新さと、徹底した法的検討のバランスは、多くの研究者・実務家にとって示唆に富むものであり、偽情報対策を国際司法の文脈で考える上での貴重な資料といえる。
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