2019年1月、世界37名の研究者が関わったEAT-Lancet委員会は「プラネタリーヘルス・ダイエット」を発表した。果物や野菜、豆類、ナッツの摂取を倍増させる一方で、赤身肉や砂糖の摂取を半分以下に減らすことを推奨する内容だった。健康と環境を同時に守るという理念を掲げたこの提言は、学術界にとどまらず各国の政策に取り入れられ、2024年までに600件以上の政策文書に引用された。EAT-Lancetの報告書「Meat vs EAT-Lancet: The dynamics of an industry-orchestrated online backlash」は、この影響力が畜産業界に「生存を脅かす挑戦」と受け止められたことを前提に、発表直前から仕掛けられた反発キャンペーンを明らかにしている。
ハッシュタグの動員と拡散
報告書が最初に描くのは、SNS上で展開された「ハッシュタグ戦争」である。2019年1月14日、テネシー州の医師でありYouTubeでも影響力を持つKen BerryがX(当時Twitter)に「#Yes2Meat」と書き込んだ。数時間後には、ベルギーの研究者Frédéric Leroyが同じタグを使って投稿し、この二人が起点となってタグは急速に広がった。EAT-Lancetが発表された1月17日にはすでに数百件の投稿が蓄積され、その後3か月で2,600万人に届いたと報告されている。報告書は「批判的投稿は支持的な投稿の6倍共有された」と数値で示し、この拡散が偶然ではなく戦略的に準備されたものだと指摘する。
同じ時期に動いたのが、PR会社Red Flagによる #ClimateFoodFacts だった。2019年1月9日に開始されたこのキャンペーンは、まずインフルエンサーPeter Ballerstedtが投稿し、続いて米国の業界団体Animal Agriculture Allianceが少なくとも50回以上使用した。Red Flagは広告キャンペーンも組み合わせ、自己報告によれば「78万人にリーチし、8,000クリックを獲得した」と記している。報告書は、これらの仕掛けによってEAT-Lancet発表の直前から「反発の土壌」が作られていたとまとめている。
大学拠点とPR会社の戦略
SNS上での発信は、PR会社と大学研究拠点が結びつくことで補強されていた。Red Flagはハッシュタグや広報戦略を設計する中心的存在で、キャンペーン資料の中には「#ClimateFoodFactsを活用して畜産業界の正当性を守る」といった記述が残されている。
さらに重要な役割を果たしたのが、カリフォルニア大学デービス校のCLEAR Centerである。報告書が引用する内部文書には「A Digital Countermovement(デジタルな対抗運動)」という表題が付けられ、EAT-Lancetへの反発を公式に「運動」と位置づけていた。そこには「40名の科学者を動員した」との記録があり、学術的な権威を利用することが意図されていた。資金源のリストには、飼料業界団体IFEEDER、大手食肉企業のCargill、Tyson Foods、JBS、さらにNational Pork BoardやCalifornia Cattle Councilが含まれていた。報告書は、このような産業資金と大学の研究拠点が結びつくことで、批判的言説が「学術的に正当化された反論」として流通する仕組みが整えられていたと記している。
国際会議と声明の連動
反発はオンラインだけでなく、国際会議や声明の形でも展開された。2022年には「ダブリン宣言」が公表された。これは700語ほどの短い声明で「肉は社会に不可欠である」と主張し、36人の共著者の名が連ねられていた。しかし報告書によれば、実際に草稿を執筆したのはFrédéric LeroyやコンサルタントのPeer Edererを含む6人で、署名者の約6割は畜産業界と経済的なつながりを持っていた。
さらに2024年10月には、コロラド州立大学で「Societal Role of Meat」会議が開催された。初日のワークショップを運営したのはRed Flagであり、会議の音声記録には「これは科学会議ではなく広報戦略会議だ」という発言が残っていた。参加者は「国際的に統一されたメッセージで最大の浸透を図る」ことを確認し、最終的に“Denver Call for Action”と題する文書をまとめた。報告書は、この文書が「栄養」「生態系の複雑性」「科学的厳密さ」という三つの観点からEAT-Lancetの正当性を揺るがす内容を盛り込み、Animal Frontiers誌に掲載されたことを伝えている。さらに、この会議には米国農務省の研究助成機関USDA-NIFAから49,200ドルの助成がついていたことも明らかにされている。
2025年に繰り返された方程式
報告書は、2019年に確立された「逆風の方程式」が2025年にも再現されたと述べる。#Yes2Meat は直近1年間で2,000件以上の投稿に使われ、#MeatHeals は8,000件以上で確認された。しかも今回は、健康や食事法の議論にとどまらず、「男性性」「カーニボア食(肉食中心のダイエット)」「陰謀論的な政治言説」と結びついて拡散している。プラットフォームのモデレーションが弱体化したこともあり、極端な内容が広がりやすい状況が助長されていると報告書は指摘する。
結論
報告書は結論として、EAT-Lancetへの反発は自然発生的な批判ではなく、PR会社、産業資金、少数の影響力者、学術媒体が結びついた組織的ネットワークによって仕掛けられたものであるとする。2019年と2025年の両時期に同じ人物と同じ語りが登場していることは、この「逆風の方程式」が再利用可能なものとして機能している証拠だと報告書はまとめている。
コメント