西バルカンを覆う偽情報──悲劇と地政学を利用した情報操作の最前線(2025年1〜3月報告)

西バルカンを覆う偽情報──悲劇と地政学を利用した情報操作の最前線(2025年1〜3月報告) 情報操作

 2025年1月から3月にかけて、西バルカン地域では一連の大規模な悲劇と政治危機が相次いだ。火災や銃乱射事件、建造物の崩落といった惨事の後には、市民による抗議が自然に広がったが、その過程で必ずといってよいほど現れるのが「偽情報キャンペーン」である。抗議は「外部勢力による操り」だと断定され、政府の責任を問う声は「カラー革命のシナリオ」になぞらえて退けられる。こうした動きは偶発的ではなく、組織的かつ感情的に仕立てられた偽情報戦術であることが明らかになっている。

 Metamorphosis Foundation(北マケドニア)が主導する「Western Balkans Anti-Disinformation Hub」がまとめた最新の報告書 「Disinformation Trends And Narratives In The Western Balkan Region Media Monitoring Report January– March 2025」は、この地域で展開された偽情報のトレンドとナラティブを詳細に分析している。ここではその内容を紹介する。


悲劇を利用する偽情報

 2025年初頭、西バルカンでは三つの大きな惨事が発生した。

  • モンテネグロ・ツェティニェでの銃乱射事件(1月1日)
    12人が犠牲になった事件は、すぐさま「民族的不寛容」をあおる物語に利用され、ヘイトスピーチや差別表現が偽情報と混ざって拡散した。
  • セルビア・ノヴィサド駅での屋根崩落(2024年11月発生、抗議は翌年も継続)とベオグラードでの大規模デモ(3月15日)
    抗議は腐敗や不処罰に対する市民の不満を背景に広がったが、政府寄りメディアは「西側の資金で仕組まれたカラー革命」と描き、参加者の正統性を否定した。さらにはデモ鎮圧に使用されたとされる音響兵器の存在を否定し、混乱は陰謀だとする説まで流布された。
  • 北マケドニア・コチャニのナイトクラブ火災(3月16日)
    62人の若者が犠牲となった火災は、消防・安全基準の不備や腐敗への怒りを招いた。しかし政府側は抗議を「外部勢力の工作」と位置づけ、市民の声を封じ込めようとした。ここでも「深層国家」や「西側の傀儡」といった陰謀論が動員されている。

 これらの惨事に共通するのは、市民の抗議を抑え込むために偽情報が動員される構造であり、抗議者の主体性を否定することで政府責任の追及を回避する点にある。


反西側ナラティブの深化

 西バルカンで広まる偽情報の大きな柱は、米国・NATO・EUに対する不信の強化である。

  • USAID支援停止をめぐる偽情報
    トランプ大統領が発表したUSAID資金の停止は「西側が地域を見捨てた証拠」として利用された。さらにUSAID自体が「犯罪組織」「テロ支援者」「LGBTQプロパガンダの温床」と描かれ、支援を受ける市民団体やメディアは「CIAの出先機関」とレッテルを貼られた。ボスニアのスルプスカ共和国では、これが「外国エージェント法」導入の口実にまで使われ、実際に独立メディアへの警察による家宅捜索が行われた。
  • NATOと西側の二重基準
    NATOを「テロ組織」と呼ぶ極端な言説や、西側がウクライナ戦争を引き延ばしているという主張が拡散された。一方でトランプ再登場を「平和の仲介者」と持ち上げる矛盾した物語も同時に広まり、情報環境は意図的に混乱させられている。
  • EU統合をめぐる失望
    EU加盟が進まないことを口実に、EUは「加盟条件を口実に主権を侵害する偽善的な存在」と描かれた。モンテネグロやアルバニアでは特に強く、北マケドニアやボスニアでは「EU加盟は生活水準の改善につながらない」という虚偽の比較が広まった。

各国別の事例

アルバニア

 ワクチンや自閉症、LGBTQといった米国発の偽情報が流入し、国内メディアで反復された。さらに「10万人のパレスチナ難民を受け入れる」という虚報が拡散し、政府否定後も市民の不安をあおり続けた。

ボスニア・ヘルツェゴビナ

 RSの大統領ドディクを擁護するため、匿名の英語・ドイツ語サイトが「偽の西側メディア」として作られ、国内メディアに逆輸入されるという巧妙な仕掛けが確認された。USAID攻撃と並行して、気候変動を「詐欺」と断じる陰謀論も展開。

コソボ

 2月の議会選挙を背景に、「政府は反セルビア的」「NATOはセルビア人の迫害を支援」とする言説が拡散。セルビア国内やロシア発のプロパガンダが大きく影響した。

モンテネグロ

 憲法裁判所をめぐる政治危機に加え、ツェティニェ銃乱射事件の衝撃で制度不信が増幅。ここに「EU崩壊」や「ウクライナ戦争でのEUの失敗」といった反EU偽情報が重ねられた。

北マケドニア

 コチャニ火災をめぐる陰謀論が最も強力だった。さらに、トランプ政権人事に関する米国発の偽情報が輸入され、SNSで反民主主義的な言説と結びつけられた。

セルビア

 学生主導の大規模抗議は「外国勢力による国家転覆」として描かれ、USAID資金関与説まで広まった。政府寄りメディアは「音響兵器の使用否定」を繰り返し、混乱を「西側の陰謀」にすり替える情報操作を展開した。


今後の注視点

 報告書は「Keep an eye out」として、今後特に注意すべき偽情報テーマを挙げている。

  • プライドイベントを標的とした反LGBTQ偽情報
  • アルバニアに対するイラン発の偽情報・サイバー攻撃
  • ボスニアでのスレブレニツァ虐殺否認の強化
  • コソボ議会の不信をあおる秘密取引説や買収疑惑
  • セルビアでのメディア規制機関の政治化による監視不在

結論

 西バルカンでの偽情報は単なる誤報ではない。市民抗議の正統性を奪い、制度不信を固定化し、欧米統合を弱体化させるための戦略的な武器として使われている。ロシアの影響力と地域政治の腐敗が結びつき、感情を最大限に利用した情報操作が進むなか、民主主義の基盤そのものが脅かされていることが、今回の報告書から浮かび上がる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました