2025年6月にCAAD(Coalition Against Anti-Climate Disinformation)が発表したブリーフィングノート「Canadian Wildfire Disinformation」は、カナダで恒例となりつつある山火事シーズンに付随して発生する気候偽情報の典型的な構造を分析している。報告書が扱っているのは、4月21日から6月20日までに観測されたオンライン上の言説、とりわけXを中心とする気候否定系ネットワークの動向である。
本稿では、同報告書の主要ポイントを整理し、山火事と結びつけられる偽情報の再利用パターン、ナラティブのフレーム、そして推奨される対策について紹介する。
山火事をめぐる三つの主軸ナラティブ
報告書によれば、2025年の山火事シーズンでも偽情報の内容は大きく変わらなかった。例年通り、気候変動への責任を否定・転嫁する定番のナラティブが繰り返されている。なかでも以下の三点が中核をなす:
1. 放火犯と気候アジェンダ
火災の原因は人為的な放火であって、気候変動とは無関係だとする言説が拡散した。逮捕者数に関する誤情報(「90%が放火」など)や、放火事件を揶揄的に「気候変動の逮捕」と称する投稿も確認されている。一部では、政府や環境団体が意図的に火を放って「気候危機」を偽装しているという陰謀論にまで発展している。
2. 政府の失策
森林管理の不備、水爆撃機の未配備、人員不足などを挙げ、政府の無能が火災を拡大させたという枠組みが定着している。特に右派層は、「政府は国内対応よりも気候アジェンダや外交を優先している」との批判を繰り返す。
3. 気候パニック扇動
上記二つのナラティブを土台に、「気候変動を口実に急進的な環境政策を推し進めるために恐怖を煽っている」という主張が展開される。カナダ首相によるG7での発言を「スケアモンガリング」と呼び、火災対応の失敗から話題をそらすための政治的演出とする見方も広がった。
拡散の場と構造的特徴
偽情報の主たる拡散源はXであり、従来から活動が確認されている気候否定派ネットワークが組織的に関与している。報告書では、以下のような発信者・団体が特に目立ったとされる:
- メディア: The Daily Skeptic(英)、Rebel News(加)
- ソーシャルメディア: Bjorn Lomborg、Jasmin Laine、Marc Nixon
- シンクタンク: Fraser Institute(加)、Heritage Foundation(米)
これらは互いに引用・拡散を繰り返すことで相互に信頼性を補強する構造をとっており、従来のCOVID-19やワクチンをめぐる偽情報ネットワークとの連続性も示唆される。
表層的変化とナラティブの再利用
2025年の特徴として唯一挙げられるのは、「カナダが米国に煙害を与えるために火をつけている」というサテリカルな投稿がTikTok上で拡散した点だが、影響力は限定的であり、他のナラティブと比べて構造的意義は小さい。
全体としては、過去数年にわたって構築されてきた言説が再利用され、内容よりも「定型の物語としての繰り返し」が強調されている。つまり、ここで問題となっているのは、誤情報が単発の誤解や間違いではなく、「構造化された記述様式」として機能している点にある。
政策的対策──「情報の火消し」のために
報告書は、カナダ政府やプラットフォームに対して以下のような構造的対応を提案している:
- 気候偽情報を明示的に脅威と定義し、競争法や広告規制と連携したグリーンウォッシング対策を強化すること。
- プラットフォームに対し、モデレーション基準の開示や違反コンテンツの処理体制を整備すること。
- 偽情報の収益化を抑制し、研究者には十分なアクセス権を保障すること。
- 国際基準(UN、UNESCO)に沿った気候偽情報の定義と監視体制を導入すること。
おわりに
カナダの山火事をめぐる偽情報は、内容そのものよりも構造が重要である。繰り返されるナラティブ、常連の発信源、再利用される枠組み──それらが組織的に動員されることで、単なる誤解ではなく、社会的・政治的な効果を持つ言説として成立している。
この報告書は、そうした再生産の構造を明示的に示すものであり、2025年という一時点の記録ではなく、気候偽情報の基本的様式への洞察として読むべきものである。
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