マルタの小島、マノエル島をめぐる開発契約が、今、政治・企業・市民社会を巻き込んだ一大論争に発展している。だがこの問題の核心には、単なる土地利用計画ではなく、「誤情報ナラティブ」としての構造がある。2025年7月に発表されたMedDMO(地中海デジタルメディア観測所)の報告書「Manoel Island in our mind」は、この事例を通じて、明白なフェイクニュースではないが、公共の理解を歪めるような情報の構成──いわば「構造的誤情報」──を精緻に描き出している。
「公共性」をめぐる数字の錯覚
MIDI社は、マノエル島の開発計画について「80%が公共空間になる」と主張した。さらにその内訳として、建物が占めるのはわずか8%、残りは歴史的建造物や公共広場だと説明する。この数字だけを見ると、島全体がほぼ公園化されるように感じられる。
だが実際には、アクセス制限のある空間や、見通しを遮る高層住宅群が含まれており、島の自然景観や文化的視界の連続性は失われる。報告書が指摘するのは、この種の「事実に基づいた印象操作」がいかに強力に作用するかという点だ。80%という数字は誤りではない。だがその構成の説明の仕方が、あたかも全面的に開かれた公共空間であるかのような誤解を招く。ここに典型的な「数値によるナラティブ形成」の構図がある。
遺跡発見という「予見不可能性」のナラティブ
MIDIが工事の遅延理由として繰り返し挙げるのが「考古学的発見」だ。フォート・マノエルやラザレット(隔離施設)に隣接して未知の遺構が見つかったという。これにより開発計画は設計変更を余儀なくされ、完了は当初契約(2023年までに「実質的完成」)の期限を大幅に越えた。
だが報告書は、そもそもこの島が「かつて6つの墓地が存在した場所」であることが、契約に付属する資料にも記されていたことを指摘する。つまり、「予見不能」という主張は歴史的事実と矛盾しており、許容できる説明の限界を超えている。ここで語られるのは、「避けがたい事情としての遅延」を用いて法的責任を回避しようとするナラティブの構造だ。
誰が責任を負うのか──政治家の語りの分断性
2025年6月、マルタのアベラ首相は「この契約は野党時代に結ばれたもので、自分はその後始末をしているだけだ」と発言した。しかし、報告書によればこの契約は2000年に与野党一致で議会を通過したものであり、責任を一方に押しつけるのは事実の一部だけを切り出したものだ。
誤情報ナラティブの典型はここにも見られる。全体の文脈の中でしか理解できない事象を、特定の切り取りで語ることで、政治的免責を演出する。これは、事実が誤りでなくとも、記憶の再構築に似た「ナラティブ編集」によって、政治的帰責構造が歪められるプロセスを示す。
「市民運動は無意味」という抑制のナラティブ
市民団体Moviment GraffittiとFlimkien Għal Ambjent Aħjarが主導した「Post Għalina(私たちのための場所)」キャンペーンは、短期間で29,000以上の署名を集めた。それでも一部では「今さらやっても無駄」「25年も放置していたのに」といった冷笑的な声が広がった。
このような「無力感のナラティブ」も、報告書が分析する誤情報の一環だ。何もしなければ何も変わらない、という行動主義的合理性が覆い隠され、「行動の無意味さ」がナラティブ化される。こうした語りは、公共議論における参加そのものを抑制する機能を果たす。
誤情報は必ずしも「嘘」ではない
この報告書の特筆すべき点は、取り上げられているナラティブの多くが明白な虚偽ではないことだ。むしろそれは、事実の選択、文脈の削除、印象の調整、責任の転嫁といった「編集」によって構築されている。だからこそ、このケースは現代の誤情報の本質──情報の加工によって公共の理解が歪められる構造──を示す実例として重要である。
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