誤情報や偽情報の拡散に対抗する試みは、この10年で数多くの技術開発、教育啓発、政策提案を生んできた。しかし、それらの多くは「断片的」であり、また短命だった。2025年に発表されたAADT(Alliance Against Disinformation Technologies)によるレポート「Where Do We Go From Here」は、この現状に対して明確な問題提起を行っている。
このレポートは単なる状況の概観ではなく、誤情報対策という分野そのものを再設計しなければならない段階にあるという強いメッセージを発している。焦点は、「誤情報と戦う」ことそのものではなく、誤情報が生まれにくく、拡散しにくい情報環境をどう構築するかという構造論に移りつつある。
「反応」から「構造」へ:エコシステム全体の再定義
まずレポートの冒頭で提示されるのは、従来の誤情報対策の構図──すなわち、問題のある投稿を見つけ、それをチェックし、誤りを指摘するという事後的対応モデル──が、もはや機能不全に陥っているという指摘である。
代わって強調されているのが、「信頼できる情報空間を支える構成要素としてのファクトチェッカー」という新しい視座だ。これは、個別の誤情報への対応ではなく、情報の流通プロセスそのものに介入する役割である。
このような構造的介入の具体例としては、以下のような要素が挙げられる:
- ファクトチェック結果を標準化された構造で共有するプロトコル(ClaimReview, FactStream など)
- コンテンツの信頼性を示すメタデータの付与(Credibility Indicators, Media Reviewなど)
- アルゴリズムの動作基準としての信頼性シグナルの提供(Ranking signals for trustworthy content)
いずれも、検証者が「反応者」であるのではなく、「設計者」としての役割を担うことを意味している。
なぜ良い技術が使われないのか:プロトタイプからプロダクトへの壁
レポートの中盤では、これまで開発されてきた数々の技術が、なぜ社会実装に至らなかったかについての具体的な分析が行われている。
典型的な失敗パターンとして挙げられるのが、以下のような例である:
- 助成金で開発された誤情報検出ツールが、使用者のニーズと乖離したUI/UXであったために、使われないまま更新停止となった。
- ファクトチェックの結果が構造化されていたとしても、それが表示される環境(検索、SNS、メディアサイト)がその形式に対応していないため、実際には再利用されなかった。
この問題に対してレポートは、「技術者」と「現場実務者」が共通のユースケースを設計できていないという根本的断絶を指摘している。
解決策として提示されているのは、ユースケース主導の開発モデルであり、教育、報道、政策、プラットフォーム運営といった現場で「どう使うのか」が出発点になるべきだという考え方である。
信頼の設計──ホワイトリストではなくプロセスの透明性へ
2020年代初頭、多くのプラットフォームが「信頼できる情報源」として一部のメディアや団体をホワイトリスト化する方針を取った。だが、それは必ずしも社会的な信頼を獲得する手段とはならなかった。むしろ、「誰がそれを決めているのか」「なぜその情報が信頼できるのか」といった根源的疑問を残すことになった。
このレポートは、信頼というものを「事前に定義された属性」ではなく、「文脈の中で構築されるプロセス」として捉え直すべきだとする。すなわち:
- 出典がどこかだけではなく、その情報がどのようなプロセスで検証されているのか。
- 検証者がどういった根拠や評価軸を用いているか。
- 読者自身がその情報に対してどうアクセスし、検討できるか。
こうした「信頼の透明性=traceability」が、次世代の誤情報対策における中心概念となることが示唆されている。
誰が資金を出し、どう持続させるか:インフラとしての視点
もう一つの大きな問題は、資金と持続可能性である。誤情報対策の多くのプレイヤーは、短期的な助成金プロジェクトに依存しており、組織の長期的な運用戦略を持ちにくい構造にある。
レポートでは、以下のような代替的な収益構造が検討されている:
- 検証データのAPI提供とそれに対するサブスクリプションモデル
- 他社製品へのホワイトラベル供給(教育、メディア、プラットフォーム向け)
- トレーニングデータとしてのAIモデルへの提供(例:信頼性フィードバック付きLLM訓練)
これらはいずれも、検証活動が「インフラ」であるという認識に基づいており、単発のキャンペーンやリソース提供ではなく、「日常的に動き続ける構造」の中に位置付け直す必要があるとされている。
次のステップ──連携・標準化・制度設計
最後に、レポートのタイトルに立ち返ってみよう。「Where Do We Go From Here(これからどこへ行くのか)」という問いに対して、レポートが提示する答えは次の3点に集約される:
- 継続的インフラ連携の構築:単発の提携ではなく、互換性・再利用性・相互運用性を前提としたネットワーク形成。
- 信頼の社会的設計:評価軸の多元性、文脈性、判断の透明性を取り入れたインターフェースとプロトコル。
- 政策との橋渡し:AI規制やデジタルサービス法など、制度設計レベルに実務知見をどう反映させるか。
この文脈で、誤情報対策はもはや「情報の問題」ではない。技術、制度、社会構造、経済インセンティブの問題である。したがって、それに取り組む者たちには、検証の技術的正確性以上に、制度的デザインへの参与能力が求められている。
「誤情報への対抗」から「情報環境の構築」へ
2025年のAADTレポートは、これまでの10年が「誤情報と戦う」ことに費やされてきた時代だったと位置づける。そしてこれからの10年を、「どう設計するか」の時代として定義する。
この転換は、検証者、技術者、プラットフォーム、政策立案者、教育者のいずれにとっても、職能の再定義を迫るものとなる。誤情報は排除すべき“敵”ではなく、設計されなかった構造の必然的帰結である。この認識に立つとき、ようやく「Where Do We Go From Here」という問いに、本当の意味での答えが導き出されるのかもしれない。
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