2024年から2025年にかけてルーマニアで行われた大統領選挙は、同国のポスト共産主義史において最も政治的に混乱した選挙のひとつと位置づけられている。だがそれ以上に注目すべきは、この選挙が国外に住む自国民(ディアスポラ)によって主導される偽情報の発信と拡散が、どれほど国内の選挙環境を揺るがし得るかを示した実証例として残された点である。
EDMOにより2025年7月に公開された報告書「RO2025: Electoral Disinformation Ecosystems in Romania and its Diaspora」は、X、TikTok、Facebookという3つの主要プラットフォームを対象に、ナショナリズム、制度不信、反EU・反NATO的言説がどのように拡散され、またどのようにして国外のルーマニア人によって国内政治に影響を与えたかを、実証的に解明している。
偽情報の震源地は国外に──イタリアからの影響
この報告書で最も興味深いのは、国外在住のルーマニア人(特にイタリア在住者)による言説拡散が、国内の政治動向に直接的影響を与えたとする分析だ。2025年の再選挙において、極右・反EU的な候補ジョルジェ・シミオン(George Simion)は、イタリアに住むルーマニア人から投じられた約28万票のうち実に約19万票(66.78%)を獲得している。
ここで重要なのは、彼らが単に票を投じただけではないという点だ。イタリアのディアスポラはTikTokやFacebookで政治的コンテンツを日常的に投稿し、ナショナリズムや反体制的言説を可視化・拡散する側にまわっていた。しかも、その多くはイタリア語で書かれた投稿であった。つまり、言語的にも法的にも、ルーマニアの選挙監視の枠外で形成される言説圏が出現していたことになる。
TikTokにおける感情操作と「娯楽化されたナショナリズム」
TikTokはこの選挙サイクルにおいてもっとも注目されたプラットフォームである。従来型の政治広告や党派的な声明ではなく、ミームやリミックス動画を通じて政治的主張を「娯楽」として再構成する手法が一般化していた。
例えば、アカウント「@3d_dog_danutz」では、同じ音源を繰り返し使いながら、ルーマニア政府を“外部から操られる腐敗した存在”として描写する短尺動画が多く投稿されていた。映像編集によってカリン・ジョルジェスク(Călin Georgescu)を国家の殉教者として描く投稿群も目立つ。
このような動画は、論理や検証可能性よりも、「共感できる感情」や「懐かしさ」「伝統文化の再発見」といった非言語的な要素に訴える。実際、多くの動画がルーマニアの塩鉱、自然療法、民間伝承といった「素朴で失われた過去」を参照しながら、国家主権や排外主義を呼びかける文脈に組み込まれていた。
ハッシュタグ構造から見る政治ナラティブの分布
報告書では、ハッシュタグの共出現ネットワークを構築し、どのような言説群が形成されていたかを構造的に分析している。たとえばXでは、#Romania、#CG(Călin Georgescu)、#suverana(主権)、#respectといったハッシュタグが、ナショナリズム、反グローバリズム、制度不信といったテーマを軸に密に連結されたクラスターを形成していた。
一方、Facebookではより長文の投稿や象徴的な画像(国旗、聖像画、歴史的人物など)を通じて、政治的信念や思想的フレームを補強する言説空間が生まれていた。特に#PNTCDや#statulromanといったハッシュタグの使用が、保守的かつ陰謀論的な視座をもった投稿の中心となっていた。
プラットフォームの分業構造──TikTokが感情を作り、Xが拡散し、Facebookが補強する
報告書が明らかにするもうひとつの重要な構造は、プラットフォームごとに異なる「言説の役割分担」が存在するという点だ。
- TikTok:感情のインジェクション。ナショナリズムや制度不信を「娯楽」として演出。
- X:イデオロギーの拡散。ハッシュタグ構造により政治的な論点が一気に広がる。
- Facebook:認知的な補強装置。長文と象徴表現によって、ミーム的主張を思想へと昇華。
これらが互いに補完し合うことによって、個別プラットフォーム上では断片的だった言説が、全体として一貫性を持つ政治的ナラティブとして定着する。
規制が追いつかない構造的脆弱性
2024年の第1回選挙は、憲法裁判所によって「不正なオンラインキャンペーンと情報操作の疑い」により無効とされた。だが、これは制度が健全に機能していることを示すというよりは、制度の限界を示した象徴的事件である。
実際、報告書では市民団体Funky CitizensやExpert Forumの分析を引きつつ、選挙管理当局によるデジタル選挙資金や広告の監視がまったく機能していなかったことが強調されている。さらに、ディアスポラから発信された政治コンテンツは法的に取り締まることが難しく、「非管轄からの情報干渉」に対してルーマニア政府は無力だったことが明らかになった。
偽情報が主流化する回路
報告書の結論部で示されている最も警戒すべき論点は、「偽情報や陰謀論が一定の感情的親和性と反復性を持つことで、主流的言説として受容されるようになる」という構造である。
TikTokで笑えるミームとして見ていたものが、Xで真剣な政治的主張として再利用され、Facebookで歴史的な裏付けと共に「正当化」される。これらは一見断片的に見えるが、アルゴリズム的な最適化と感情的共鳴によって、結合され、強化され、制度的抵抗力を超えていく。
総括
RO2025報告書は、ルーマニアという一国家の選挙事例を通じて、現代の偽情報問題が「どこから来るのか」「どのように広がるのか」「なぜ制度的に止められないのか」を構造的に描き出している。特に、ディアスポラという非管轄的アクターが、言語・感情・プラットフォーム特性を駆使して選挙空間を再構成する現象は、今後他国でも不可避的に観察される課題である。
このような構造を可視化し、分析し、制度的な対応へとつなげていくためには、単なるファクトチェックや規制の強化を超えた、プラットフォーム間の動態、感情経済、国際的法制度の非対称性といった観点を踏まえたアプローチが必要になるだろう。ルーマニアの選挙は、それを強烈に示す警鐘である。
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