オーストラリアでは2024年に「Combatting Misinformation and Disinformation Bill」が提出され、規制当局ACMAがプラットフォームに対して直接的に規制を行う枠組みが検討された。だが、この法案は「言論の自由を不当に制限する」という批判を受けて撤回された。
その代替として注目を集めるのが、業界団体DIGI(Digital Industry Group Inc.)が主導する自主規制の「Australian Code of Practice on Disinformation and Misinformation(ACPDM)」である。Adobe、Apple、Google、Meta、Microsoft、TikTokなど主要企業が署名しており、2025年のレビューでは、この自主規制をどう強化すべきかが焦点になった。
定義の核心──misinformationを含めるか
ACPDMは発足当初、組織的に仕組まれた「disinformation」のみを対象としていたが、公開協議と規制当局からの要請を受けて「misinformation」も加えた経緯がある。
- disinformation:AIやボットなどの不正行為を伴い、意図的に虚偽情報を拡散するもの。
- misinformation:一般ユーザーが善意で拡散する虚偽情報。意図は必須ではない。
この線引きは一見明快だが、実際にはきわめて難しい。例えば、ある情報が虚偽かどうかは政治的立場によって認識が分かれることが多い。また、研究によれば偽情報に日常的に接している人は少数にとどまる可能性も指摘されている。レビュー文書は、こうした研究知見を踏まえ、誤情報を引き続きスコープに含めるべきかを問い直している。もし「misinformation」を外すとなれば、規制対象はAI生成コンテンツやボットによる組織的操作といった「測定可能な領域」に限定されることになる。
透明性報告──「比較できない数字」という課題
ACPDMに署名するプラットフォームは、年に一度「透明性報告」を提出することが義務付けられている。そこには、どのようなポリシーで誤情報に対処しているか、ユーザーからの報告はどう処理されているか、拡散抑制のためにどんな手段が使われているかが書かれる。
しかし大きな問題は「各社の報告が比較できない」ことだ。サービスの種類や対策の手法があまりに違うため、共通の指標が作れない。レビュー文書は、これを正直に「ハード・プロブレム」と表現している。
改善に向けて挙げられた論点は以下のようなものだ。
- オーストラリア市場に関する長期トレンドを示す
- 各社のポリシー変更を明確に記録する
- 数字が毎年一貫して追跡できるようにする
- AI生成・改変コンテンツへの対応をきちんと説明する
このような改訂が行われなければ、透明性報告は「企業による自己宣伝」にとどまり、信頼性を持たなくなる危険がある。レビューは、あくまで数字の羅列ではなく「意味のある説明」にすることを求めている。
苦情処理──市民の声は届いているのか
ACPDMのもう一つの特徴は、一般市民が「企業がコードを守っていない」と感じた場合に苦情を申し立てられるポータルを設けていることだ。ただし対象は「個々の投稿」ではなく「企業の行動」である。つまり「この投稿が嘘だ」という訴えではなく「企業が約束を守っていない」というレベルでの申し立てに限定されている。
2021年の設立以来、96件の苦情が寄せられたが、実際に「コード違反」と認定されたのはわずか2件。市民からすると「声を上げても無駄ではないか」という印象になりかねない。規制当局ACMAも「各社のコミットメントを誰でも理解できる形で可視化すべきだ」と指摘しており、ポータルの使いやすさや説明責任の向上が重要な課題として浮上している。
メディアと広告──プラットフォーム以外の責任
これまでのコードは主に大手プラットフォームを対象にしてきたが、レビュー文書は「メディアや広告産業にも責任を広げるべきではないか」と問題提起している。
象徴的な事例として挙げられたのが2024年4月のBondi Junction事件だ。事件発生直後、テレビ局が誤認報道を流し、その映像クリップがソーシャルメディア上で急速に拡散した。誤報を出したのはメディアであり、拡散の一翼を担ったのは視聴者自身だった。
この例は「偽情報のエコシステム」において、プラットフォームだけでなくメディアや広告も重要な役割を果たしていることを示す。従来の自主規制は放送領域を中心に設計されており、オンライン配信までカバーしていない。レビューは、このギャップを埋める必要があると強調している。
ガバナンス──運営委員会の独立性
ACPDMの運営委員会は、署名企業4社と独立委員3名で構成され、透明性報告の点検や苦情処理の監督を担っている。しかし、企業の影響が強すぎるのではないかという批判もある。レビューでは、委員構成をどう独立させるか、専門的知見をどう取り込むか、会議の透明性をどう高めるかといった論点が提示されている。これは単なる形式的な問題ではなく、コード全体の信頼性を左右する核心的な論点である。
国際比較──オーストラリアだけの問題ではない
オーストラリアの課題は孤立したものではない。EUの偽情報コードでも「共通メトリクスをどう設計するか」が最大の難題となっている。各国で「誤情報を含めるか否か」という議論も同様に起きている。
オーストラリアのレビューは、AI生成コンテンツや操作的行為をどう扱うかという国際的な課題に直結している。つまり、ここでの決定は世界の議論にも波及する可能性がある。
結論──偽情報の「定義」をめぐる社会的選択
今回のレビューが示すのは、単に規制を強化するか緩めるかという話ではない。むしろ「何を偽情報と呼ぶのか」「誰がその責任を負うのか」という社会的な選択のプロセスである。誤情報まで含めるのか、それともAIやボットを使った組織的な操作だけに絞るのか。プラットフォームだけでなく、メディアや広告も責任を負うのか。市民の声をどう位置づけるのか。
これらの問いに答えることは、オーストラリアだけでなく、国際社会における偽情報対策の方向性を占う試金石となる。


コメント
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