本稿は、Asia CentreとInternational Media Support(IMS)が2026年に共同刊行した報告書『Climate Disinformation in the Philippines: Legitimising Attacks on Indigenous Peoples』を紹介する。Asia Centreはバンコクを拠点とし、UN ECOSOC特別協議資格を持つシビルソサエティ系研究機関、IMSはデンマークを拠点とする独立系メディア支援NGOである。本報告書はカンボジア・インド・インドネシア・マレーシア・タイを対象とする同名シリーズ6カ国研究のフィリピン版にあたり、各国ベースライン調査と地域統合報告書から構成される比較研究の一環として位置づけられている。
フィリピンは2012年から2023年の間に298人の環境活動家が殺害されたアジア最多・世界第三位の危険国であり、犠牲者の三分の一を先住民族の土地防衛者が占める(Global Witness, 2024)。同国は世界リスク指数(2025年版)で自然災害リスク1位に位置し、気候変動の最前線に立つ。それにもかかわらず、採掘産業・ダム建設・再植林事業が「グリーン」ナラティブの外衣をまとって先住民族の祖先領域に侵食し続けている。本報告書が解明しようとするのは「気候偽情報が先住民族への暴力を正当化するメカニズム」という構造的問いである。発行元のAsia CentreとIMSはいずれも先住民族の権利保護とメディア支援を組織的使命として掲げるアドボカシー志向の機関であり、この立場性は報告書の推薦章の規範的色彩に表れている。読者は当該文脈を念頭に置いてデータを参照する必要がある。
調査の方法論と対象
研究は三段階で設計された。デスクリサーチ(2025年9月〜2026年2月)では、フィリピン語・英語の国際・国内法的枠組み、国家開発計画、国際NGO・CSO・メディア報道を横断的に参照し知識の空白を特定した。フィールドリサーチ段階では、2025年12月から2026年2月にかけて12件のオンライン・キーインフォーマントインタビュー(KII)を実施した。回答者は先住民族コミュニティ代表、先住民族系CSO関係者、メディア専門家、学術研究者で構成され、安全上の理由から全員の身元は匿名化されている。2026年2月27日には予備的知見の検証と政策提言の精査を目的としたFGD(フォーカスグループディスカッション)をオンラインで開催した。その後、IMSへの初稿送付(2月27日)、査読フィードバック受領(3月18日)、国内会合での知見報告(3月24日)を経て最終稿を完成させた。
フィリピン先住民族の構造的脆弱性
2024年時点でフィリピンの総人口は約1億1,580万人であり、先住民族(IPs)はその約15%・約1,700万人を占める。Indigenous Peoples’ Rights Act(IPRA、1997年)が認定する七つの民族地理的地域に居住する主要三集団として、北部ルソン島コルディリェラ山岳地帯のイゴロット(約120万人)、ミンダナオ島の30以上の部族集団から成るルマド(約130万人)、ミンドロ島中心のマンギャンがある。
先住民族の土地権利は複数の法的枠組みに支えられているように見えるが、実態は著しく異なる。根本的矛盾の核心は植民地時代由来の「Regalian Doctrine」——国家がすべての公有地(森林・鉱物資源を含む)を所有するという法理——とIPRAの衝突にある。憲法第12条第5節が「未分類地」への国家所有権の推定を定める結果、先住民族のCertificate of Ancestral Domain Title(CADT)取得は費用・時間・官僚主義の三重障壁で阻まれ、CADTなき土地は「公有地」として採掘プロジェクト許可の対象となる。先住民族委員会(NCIP)は本来IP権利の保護機関だが、退役陸軍大佐Allen Capuyanの委員長就任(2019年)以降、軍と民間企業の利益代弁機関として機能してきたと複数のKII回答者が証言する。2025年1月施行のNCIP改訂FPIC規則は鉱業採掘や大規模観光などをFPIC要件から免除した。この制度的軍事化は、大統領令第70号(2018年)に基づく「Whole-of-Nation」アプローチ、NTF-ELCAC(共産主義武装闘争終結国家タスクフォース)、ATL(反テロ法、2020年)と連動し、先住民族の土地防衛を国家安全保障上の脅威として扱う包括的な抑圧装置を形成している。
気候面でも先住民族の脆弱性は顕著である。2024年は観測史上最高気温を記録し、2002〜2024年にフィリピンは147万ヘクタールの樹木被覆を失った。採掘業は2010年以降だけで23万ヘクタール以上の樹木消失に寄与し、2023年時点で先住民族祖先領域130万ヘクタールが国家支援プロジェクトのリスクにさらされていた。
四類型の気候偽情報:構造と具体事例
報告書は気候偽情報を「delayism(遅延主義)」三類型と「denialism(否定主義)」一類型の計四類型に体系化する。
同意の捏造は、国家・企業が祖先領域での破壊的プロジェクトに対するIPの「同意」を偽造・演出してFPIC制度への形式的遵守を装う手法である。2011年のMacroAsia Corporation事件では、パラワン島Pala’wan先住民族のニッケル採掘への同意として「部族首長が80%の支持を得た」と新聞広告で主張されたが、「同意した代表者」は同社が報酬を払って雇用した人物であり、「Tribal Chieftains」という用語自体がコミュニティの用いない植民地時代の蔑称であることが後に判明した。この事案は2023年にNCIPが採掘への事前条件証明書を交付することで一応の決着を見たが、FPICプロセスでの情報隠蔽と賄賂の疑惑は消えていない。Pan Pacific社によるアパヤオ川ダム建設(2017〜2022年)では、選別されたコミュニティメンバーが15分以内の回答を求められた秘密合意セッションで得た「交渉のみへのYes」という条件付き応答を、Manila Bulletinが「全22先住民族バランガイが再生可能エネルギー施設とともに持続可能な未来を展望」と報道した。Makilala Mining社はGovernor James Edduba が協議の立会人として署名した写真を覚書への署名として流布した。
グリーンウォッシングでは、Unilever Philippinesの「Misis Walastik」プログラム(2012年〜)が典型事例となる。同プログラムは「コレク・キロ・キタ」構造でプラスチック回収を推進しているが、2023年にGreenpeaceは同社を1秒間に1,700個のサシェを販売する世界最大規模のサシェ販売企業として告発し、同社がインドとフィリピンでサシェ禁止法案へのロビー活動を展開したことも報告されている。Shell Pilipinasは2023年にDENRとのMoUを締結して自然に基づく解決策(NbS)プロジェクトを宣伝する一方、「OurFilipinoGrandma」と呼ばれるインフルエンサーを起用して燃料リワードプログラムの認知拡大を図った。Shell は気候排出量トップ20社の第7位(Taylor and Watts, 2019)に位置するが、長期的な脱炭素化を実現しないまま環境配慮イメージを構築している。San Miguel Corporationは新マニラ国際空港建設地でのマングローブ伐採(600本)を相殺するとしてBulacan州の生物多様性オフセットサイトを2026年1月に開設したが、環境専門家はこれを不可逆的な生態系破壊への表面的補償と批判する。
偽の気候解決策では、National Greening Programme(NGP)、REDD+、LNG「橋渡し燃料」論の三つが分析される。NGPは2025年に2028年までの710万ヘクタール再植林目標を更新したが、航空写真分析と目撃証言は再植林対象区域の25ヘクタールに1件の割合で実際には伐採イベントが発生していることを示す。原設計者Marlo Mendozaは、地域コミュニティが短期土地アクセスと単作プランテーションに縛り付けられ、自らの設計から大幅に逸脱していると批判する。REDD+に関しては「成功事例」とされるケソン州General Nakarの森林被覆率が2016年の72.18%から2022年には57.52%へと急落し、2024年単年で35ヘクタースが消失して約2万トンのCO2が排出された(Global Forest Watch, 2024)。LNGについては、Marcos Jr.が2025年の国家演説で再エネ比率引き上げを公約しながら同年にLNG産業開発法に署名した。LNGは採掘・輸送・処理段階でのメタン漏洩が20年スパンでCO2の10倍以上の温暖化効力を持ち、未燃焼リークはCO2比80倍以上に達する。LNG傾斜の背後には政治家と化石燃料産業の利益相反がある——2024年にバタンガス州知事Hermilando Mandanasが同州LNGブームで価値急騰したAbaCore Capital Holdings Inc.の最大株主であることが露呈した。
説明責任の回避は環境公約の撤回と気候陰謀ナラティブの二つのサブカテゴリで構成される。Duterte政権は2016年にパリ協定を「ナンセンス」と切り捨てながら2017年に署名し、採掘モラトリアムを掲げながら2020年にその解除で291件の採掘申請を承認した。Marcos Jr.は2023年にManila Bay埋立の全面停止を宣言したが2025年までに6件のプロジェクトを個別承認した。NTF-ELCACのFacebookページは「元武装勢力メンバーの投降」を主題とする投稿を継続的に発信し、Philippine News AgencyやGMA Networkの記事リンクを添付して信頼性の外観を付与しながら、環境活動家や先住民族指導者を共産主義武装勢力と結びつける偽情報を制度的に流通させている。
先住民族への四つの被害連鎖
威圧については、パナイ島のJalaur River Multi-Purpose Projectが中心事例となる。韓国輸出入銀行が主要融資者のこのダム事業は「持続可能な開発」として宣伝されてきたが、2020年12月の軍警察合同作戦でTumandok集落に対して9人殺害・16人逮捕という結果をもたらした。ダム建設は最終的に少なくとも16集落・17,000人以上を移住させる見込みである。Balbalan(カリンガ州)では2023年、オーストラリア資本JBD Water Power Incのダム計画反対コミュニティへの空爆が実施され、約2,700人が影響を受けた。子どもに航空機の音に対するPTSD症状が生じたことが報告されている。軍事行動のうち実際に武装勢力を標的にしたものは17.4%に過ぎない(Altermidya, 2024)。
強制退去と移住では、New Clark CityでのAeta先住民族500家族への7日間退去通告(最終的に18,000人超がリスクにさらされる)と、New Manila International AirportによるManila Bay住民700家族の強制退去(半数は補償なし)が事例として記述される。ルマドが設立した代替教育機関「バクウィットスクール」は「武装勢力の訓練拠点」という反テロ言辞で閉鎖を正当化され、2019年だけで215校・5,500人の子どもが教育機会を失った。ミンダナオの先住民族の11%が正規教育を受けておらず、先住民族生徒の就学年数は非先住民族より平均3.8年少ない。
Red-taggingでは、Beatrice Belen事案(2020年の深夜家宅捜索・銃器捏造容疑による4ヶ月拘束、2021年に嫌疑不十分で棄却)、Beverly Longid事案(警察Facebookライブによるコミュニティ公開でのNPA募集者認定)、Sarah Dekdeken事案(歴史的記念碑撤去命令の告発によるサイバー名誉毀損有罪)が詳述される。2023年にはATC Resolution 41によってCPA幹部四名がテロ容疑者に指定され、法人資産が即時凍結された。2025年にはPKDGのスタッフ二名が「テロ資金提供」で逮捕され合計100万ペソの保釈金を求められた。この逮捕はネグロス・オクシデンタルのパーム油農園計画への同団体の反対活動と時期が一致する。
身体的暴力では、フィリピン軍が2012〜2023年の117件の擁護者殺害のうち64件に直接関与したというGlobal Witnessデータが基軸となる。2020年Tumandok九人虐殺から2021年のJulie CataminとAngelo Karlo Guillen暗殺への連続性、2022年のChad Booc殺害(#JusticeForChadBoocが拡散したが関与軍人への処罰なし)、2024年のFrancisco Dangla IIIとJoxelle Tiong誘拐が記述される。国家が「拉致・浮上・自首」スキームとして活動家の誘拐・拘束・自白会見を組織的に運用してきたことは、2023年のJonila CastroとJhed Tamanoの告発が実証した。
デジタル化された情報生態系と国家装置の共犯
フィリピンは2015年以来「世界のソーシャルメディア首都」と称されてきた。2025年初頭時点でインターネット普及率は83.8%(9,750万人)、SNS利用率は78%(9,080万人)であり、1日平均SNS接続時間は3時間46分と世界平均を1時間上回る。ニュースはFacebook(61%)、YouTube(45%)、Messenger(26%)、TikTok(23%)の順に共有されており、SNSが主要なニュース流通経路となっている。NTF-ELCACのFacebook公式ページはPhilippine News AgencyやGMA Networkへのリンクを添付することで信頼性の外観を付与しながら、red-tagging投稿を組織的に発信している。2025年中間選挙期間中には選挙関連議論の45%がフェイクアカウントに駆動され、虚偽コンテンツの約三分の一がAI生成ディープフェイク動画だった。Amnesty International(2024年)はMetaがred-tagging関連コンテンツのモデレーションに失敗していると批判し、Global Witness(2025年)はフィリピンの土地・環境擁護者の90%がオンラインハラスメントを経験していることを報告する。代替メディアとしてAltermidya(2014年設立の人民代替メディアネットワーク)、Radio Lumad、Radyo Sagada 104.7 FM(フィリピン唯一の先住民族コミュニティラジオ局)、CPA系SNSが先住民族の声を増幅しようとしているが、農村・山岳地帯のIPコミュニティはデジタルアクセスの地理的格差によりラジオ依存を余儀なくされている。
バイアス・評価・位置づけ
Asia CentreとIMSはいずれも先住民族権利保護と独立メディア支援を使命として明言するアドボカシー機関であり、報告書の推薦章は先住民族の自己決定、祖先領域の非軍事化、ILO条約169の批准といった規範的立場を前面に出している。先住民族コミュニティ側の証言と国家・企業側の反論を対等に並置する中立的報告書とは性格が異なる。他方、Global Witness、Amnesty International、Human Rights Watch、IWGIA、Global Forest Watch、Lighthouse Reportsなどの複数の独立した一次資料との突合が事実確認の基盤を構成しており、単一機関の視点に依存した構造ではない。気候偽情報研究における本報告書の固有の貢献は、気候変動をめぐる情報操作を科学否定論や脱炭素遅延論に限定せず、国家主導の反テロ言辞と結合した「先住民族への物理的暴力の正当化装置」として解析した点にある。この分析枠組みは、アジア太平洋地域における偽情報研究の比較的空白域に実証的足場を提供するものとして参照価値がある。

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